境目
君と来た海に一人、波の音を聴く。
貴方もおいで、と裾を濡らしながら無邪気に笑う君が目の前にいるようだ。
君の幻影につられて海に入る。水が染み込んでスニーカーが重たい。デニムが歩行の邪魔をする。冬の海のはずなのに、君と来た夏の景色が見えるのは気のせいだろうか。
「今そっちに逝くよ。待っていてくれ」
もうすぐ君のもとへ逝ける。そう思うと重たいスニーカーも邪魔なデニムも気にならなくなった。不思議と笑みがこぼれる。久しぶりに希望を見出だした気分だ。
ようやく、やっと、君に会える……!
ふと、泣き声が聞こえた。わぁぁ、と叫ぶような泣き声。五月蝿いな。感動の再会に雑音なんて相応しくない。苛立ちを覚え声の元を睨む。小さな女の子が砂浜にぺたんと座り込んでいる。行っちゃやだと喚いている。
……あぁ、そうだった。あの子はぼくらの大事な娘だ。君に託された宝物。宝物を残して君のもとへはいけない。重たくなった服のまま、ずるずると歩いていき、なんとか娘の元へ行く。潤んだ瞳が宝石のようだ。真っ赤になった頬は艶々した林檎のよう。
目の前までいくと娘は顔を輝かせ飛び付いてきた。おとーしゃん、おとーしゃん、と嬉しそうに声をあげる。こんなにいとおしいこの子を遺して逝けないね。
娘を大事に抱き上げて、空を見上げる。
ぼくの決意を励ますかのように青空が見える。君と見た空ととてもよく似ている。
君は喜んでくれるかな。きっと困った顔をしてそれでも最後は笑って受け入れてくれるだろう。
踵を返し、海に入る。
「おとーしゃん」
「なんだい?」
きっと今のぼくは柔らかい笑みを湛えているんだろう。
「これからどこにいくの?」
「母さんのところに逝くんだよ」
「かーしゃん?」
「そう。そこで3人仲良く暮らそう」
きょとんとした顔のあと、娘は満面の笑みを浮かべてうん!と言った。
黄泉の世界は年を取るのかななんて、意識が遠退く中でふと考えた。まあいいや。とりあえずこの子とはぐれないようにちゃんと手を繋がなきゃ。あれ、そういえば。ぼくらには子どもなんていたかな?君に会ったら聞かなきゃね。