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ショートショート4月~2回目

タバコ

作者: たかさば

時の止まったタンスの奥深くから、小さなかばんが出てきた。

牛革でできた、小さな、ハンドバッグ。

これは…私が、まだ、学生だった頃に使っていたものだ。


…なぜ、こんな所に。


毎日大学に通うときに持ち歩いていた、お気に入りの、かばんだった。


…もう、捨ててしまったと思っていた。

…もう、捨てられてしまっていたと思っていた。


いつしか使うことがなくなり、存在すら忘れていた、かばん。

いつから使うことがなくなったのかさえ、思い出せない、かばん。


思いがけず、自分のモノを発見して、戸惑って、いる。


私が居なくなって久しい、私の欠片などひとつもあるはずのない家屋で見つけた、自分の、名残。



……私は、執着しない、人間だ。


モノは、使って、手放すもの。

モノは、まだ使えても、手放すもの。


私のまわりに、古いものは何一つ存在していない。

私のまわりに、思い入れのあるものは何一つ存在していない。


私は、執着する事を、諦めなければならなかった。


自分のモノがなくなることは、日常茶飯事であったのだ。

私はいつだって、自分の持ち物を手放していたのだ。


例えば、いいなあと思って買ってきた上着は、いつの間にか祖母が着用するようになっていた。

例えば、いいなあと思って買ってきたコロンは、いつの間にか祖母が愛用するようになっていた。


例えば、いいなあと思って毎日つけていた指輪は、いつの間にか祖母が指にはめていた。

例えば、いいなあと思って毎日つけていた日記は、いつの間にか祖母が愛読していた。


自分のモノは、自分一人のモノではなかったのだ。


モノを手放すことに、躊躇などした試しがない。

モノを手放すことを、躊躇する事は許されなかった。


私の持ち物は、いつでもすぐに手放すことができる代物だったのだ。


持ち物だけでは、ない。


自分が否定されることも、日常茶飯事であった。

私はいつだって、自分自身を手放していたのだ。


例えば、いいなあと思って聞いていた曲は、いつだって祖母に否定された。

例えば、いいなあと思ってみていた画集は、いつだって祖母に否定された。


例えば、いいなあと思って憧れた人間関係を、いつだって祖母に否定された。

例えば、いやだなあと思って逃げ出した人間関係を、いつだって祖母に否定された。


否定されれば、手放さなければならないのだ。


自分自身を手放すのを、躊躇する事を許されなかった。

自分自身を手放すのを、躊躇してはならなかった。


私の感情は、いつでもすぐに塗り替えることができる代物だったのだ。


自分の感情は、祖母ありきのものだった。

自分の心は、祖母ありきのものだった。


自分自身など、自分の中に微塵も存在していなかった時代の……カバン。


何が入っているのかと、あけてみると。


未開封のタバコが一箱と、ハンカチ、ティッシュ。


ーーースーっとして、気持ちいいよ!

ーーーみんな吸ってるって!

ーーーデザインかわいいでしょ?


……大学生の時に、すすめられて買った、メンソール煙草だ。


ピンク色の箱を見て、記憶の扉が勢い良く、開いた。



あれはサークルの新入生歓迎コンパだった。

やけにノリのよすぎる集団に囲まれて、断りきれずに、振り切る事ができずに、流されて買った、一箱。


何年も思い出すことすらなかった、記憶。


八重歯の先輩の顔、化粧の濃すぎた友人の顔、意地悪な知人の顔が、思い出される。

居酒屋のテーブルの柄まで覚えているのに、向かい側に並んでいた男子達や奥に並んでいた女子の顔は思い出せない。


煙草を買った、一連の流れはしっかりと覚えている。

煙草を買って、なぜ開封しなかったのか、覚えていない。


記憶というのは、おかしなものだな。


思い出せる事、思い出せない事。

覚えている事、覚えていない事。


実に巧妙に、絶妙に、混じりあっている。


思い出すべきことも、思い出すべきでないことも、しっかり混じって、絶妙に記憶に残っている。


消えた記憶は、追わずとも良いのだと思えるほどに、私は過去の出来事に興味がない。

消えた記憶に、思い出したい瞬間などないと思えるほどに、私は過去の出来事に興味がない。


……ただ。


気の向くままに、推理をすることは……可能だ。


おそらく、このカバンは……祖母が隠したモノなのだ。

おそらく、カバンをなくした私は、それなりになにかを思ったはずなのだ。


おそらく、カバンの中に煙草を見つけた祖母は激しく私を叱ったはずなのだ。

おそらく、私は、祖母の望む言葉を吐くまで、激しく叱られたはずなのだ。


私の推理が当たっているのか、知るものは、誰もいない。



……気まぐれに、煙草のフィルムをはがし、箱を開けてみる。


開けた途端、箱が壊れてしまった。


古いものだからな、そんなことを思いながら、金色の紙を捲ると、ふわりとメンソールの香りが、鼻をくすぐった。


……まだ、吸えるのかもしれない。


とうの昔に販売終了してしまった、期限切れの、煙草。


私は、一本取り出して、火を着けようとしたのだが、つまみ上げた瞬間、煙草がちぎれてしまった。

長い年月が、煙草を風化させてしまったらしい。


箱の中身を床にあけると、パラパラと茶色い煙草の葉が、舞った。


煙草として買われ、煙草として吸われることなく崩れた……ただの、ゴミが、ここにある。


……ここは。


……この、場所は。


私として生まれ、私として扱われることなく過ごしていた、この、場所。


……もう、ここは、誰も必要としない場所になってしまった。


長らく、時を止めていたこの場所が動き出すのは、もうまもなく。

長らく、時を止めていたこの場所から、なにもなくなるのは、もうまもなく。


私は、煙草だったものを、無造作にタンスのなかに放り投げた。

私は、かつて愛用していたカバンを、無造作にタンスのなかに放り投げた。


……必要のないものなど、持ち帰らなくても良いのだ。


……本当は、思い出したくない記憶も、放り投げたいのだけれど。


……記憶など、放り投げなくとも、いずれ消えてしまう、か。


「最終チェック、オッケーです」


「じゃあ、来週から解体入りますので、お願いします」


私の、実家がなくなるまで、あと、少し。


私の、囚われていた場所がなくなるまで、あと、少し。



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― 新着の感想 ―
[一言] なんとっ! 家がっ……! たまに出て来る祖母は、ねぇ〜。 嫌な感じの思い出しか残してないんですかね? 古過ぎたタバコは崩れ去るんですね。 ボロッといきそうな感じがしますね、確かに。 なる…
[良い点] おお、なんと恐ろしいことでしょう [気になる点] 過去へ行きましたね、脳が。 [一言] 韻を踏むのは強者の風格
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