第9話:黒杉村の鬼伝説
社会科見学当日、天候はこの上ない晴天であった。
生徒たちは普段より早く集合し、各々バスに乗り込む。
問題となった行き先分けは多少混乱があったものの、無事平等な人数に分けることが出来た。
稚隼、宝条は沖姫城、円嘉と一輝はそれぞれ違う場所へ向かった。また沖姫城には里見も担当教諭として参加している。
「伊武ちゃん、ポッキーいる? 期間限定だよ」
稚隼はバスに乗り込むと、早速ウトウトし始めた。
数日間の遠足追い込み作業の疲労が原因である。
そんな稚隼の隣で同じく沖姫城を選んだ真下が騒ぐ。バスが発車してまだ30分も経っていないのにお菓子を開け始めている。
「……いらん」
稚隼が低く呻く。
断られても真下はポッキーを押しつけて来る。
(ウザい!)
稚隼が睨み付けると、それに気付いた真下は口を尖らせた。
「折角の遠足なんだからさ、伊武ちゃん! テンション上げてかなきゃ勿体ないって!」
「俺は疲れてんの。到着してからテンション上げるから、ほっとけ」
お疲れ様、と真下は笑いながら言うと、諦めたのか通路を挟んで隣の席の生徒に話し掛けた。
(ったく、向こうに着いたら着いたで宝条政義という難関が……)
一つ前を走るバスを見ると、宝条が暴れている姿がぼんやりと見えた。盛り上がっている。
そして稚隼は頭を悩ますであろう未来を呪った。
数時間後、バスは目的地に到着した。と言っても、沖姫城に着いたわけではない。
バスで行ける限界にまで着いたのである。つまりここからは徒歩だ。
(厳しい……)
稚隼はバスから降りた途端、愕然とした。
覚悟はしていたものの、なかなかの獣道である。
鬱蒼と茂る木々は全体を暗くし、自由に生える丈の長い雑草のため歩き難そうだ。
(テレビに出てきそうだ)
まさにそんな森である。
「さぁ、張り切って行くぞッ!」
不満や期待が混じりあってざわめく人込みの中で、一際目立つ声が耳に入る。
勿論、宝条である。
「まるで冒険だなッ! 遠足なだけはあるッ。楽しそうじゃないかッ! 良い場所を選んだなッ」
(この人は、もう!)
しかし稚隼は宝条のこの性格に助けられたと思うことがある。生徒会に入ってから特にそうだ。
宝条には空気を変える力がある。
現に全てとは言わないものの、不満の声が少しずつ違うものへと変化する。
「宝条先輩は相変わらず宝条先輩だなー!」
真下はニヤニヤしながら稚隼を見た。
「何だよ」
「良い先輩持ったね」
その憎たらしい顔にイラッとした稚隼は真下の肩を力一杯叩く。
「いたっ! 暴力反対!」
「うるせ」
「素直じゃないんだからなァ」
叩かれた部分を擦りながら、真下はブツブツと文句を言った。稚隼は無視する。
(だから宝条政義は嫌だ)
歩き始めてみれば早いもので、数十分も歩けば沖姫城まであと少しになっていた。
「伊武ちゃん! あれじゃない?」
真下は沖姫城を発見したのか、指をさして急にはしゃぎ出した。
「えぇ?」
稚隼が指差す方を見れば、大きく看板が立ててあった。
『沖姫城跡』
「やっと着いた!」
真下は目を輝かす。とはいえ、稚隼も同じ気持ちを隠し切れなかった。
それほど、この道程は長かった。
「いやいや、趣あるねェ」
背後からする声に気が付き、そちらを向くと、興味深そうに眺める里見がいた。
「良かったな、センセー」
「ああ……てか態度デカいよ?」
それにしても、と里見は看板の奥を覗く。そこには古い建物が見える。
唯一残っている蔵である。
少し汚れている白い壁にくすんだ紺の瓦が映える。
雑誌などでよく見る、まさにそんな外装である。
(あ、意外と普通)
辺鄙な場所にあるため、他と違う感じを想像していたのだ。
(まあ新聞で見てたけどさ)
そして東宮高校一行は沖姫城跡に足を踏み入れた。
最近世間の注目を集め始めた沖姫城は、今回の遠足のために数人のボランティアガイドを用意してくれた。
これも里見が手を回したのだろう。
「初めまして、沖姫城にようこそ。黒杉村村長、川相です」
ボランティアガイドのリーダーである川相は生徒の前で挨拶をし、沖姫城やそれを管轄する黒杉村の歴史を説明し始めた。
その内容はなかなか興味深かった。
特に生徒たちの関心を惹いたのは、黒杉村の鬼伝説である。
「昔、つまり江戸時代ですね、黒杉村には鬼が出て村人を襲ったという伝承が残っています。よくある昔話ですがね、ウチの村のはちょいと違う。狙うのは村娘ばかり」
「つまり人間を採って喰らうのが目的じゃなかった。鬼の目的は“人さらい”だったってことです」
「何しろ鬼の棲家はここ、沖姫城のどこからしいですよ。皆さんも探してみるといい。そこには……」
(宝が眠ってる、ねえ)
稚隼は沖姫城跡をぶらぶら回りながら、そんなことを考えていた。
真下は秘密の洞窟はないか、と必死に辺りを見渡している。
「おい真下、多分見つからないと思うぞ?」
「いーや、分かんないよ伊武ちゃん! もしかしたら今日の俺はラッキーボーイかもしれない」
真下は無駄に胸を張る。稚隼は苦い表情で彼を見た。
「ラッキーボーイって何だよ、真下!」
ケラケラ笑いながら会話に参加して来たのは八田である。
「宝を見つけるんだとよ」
稚隼が呆れたように言ったのが面白かったのか、八田は更に笑う。愉快な奴である。
「きっと見つかるよ! 俺にも分けてくれよなっ」
「お前……」
八田がからかうので、真下は引くに引けなくなった。稚隼は頭を抱える。
「いやいや伊武ちゃん、俺は本気で思ってるよ? 真下頑張れー、って」
そして二カッと笑う。
八田はいつの間にか稚隼のことを“伊武ちゃん”と呼んでいた。
(気持ちが感じられないよ、八田さん)
真下は先程に増して、世話しなく動く。それに付き合うのは嫌だ、と稚隼は近くにあった大きめの石に座り込んだ。
「それは祝石と言ってね、城主たちが祝い事の際に腰掛けたと言われている石だよ」
「へ?」
稚隼は話し掛けられたことに驚き、その反動で立ち上がった。
声の主、川相はその様子に微笑む。
「驚かしてしまったね、すまない」
「え、いや、大丈夫……です」
稚隼が焦っているので八田はクスクス笑った。稚隼はそれを横目で睨む。
「その石に腰掛けたら良いことがあると伝えられているよ。きっと君に幸運が訪れるだろう」
川相はにこやかに言った。
(あれ? でも……)
「こんなに伝承残ってるのに今まで見付けられなかったの、不思議だなァ」
八田は遠慮なく発言する。
すると川相の表情が曇る。
「ちょ……おい、八田」
稚隼が止めようとするが、八田もなかなか引かない。
「だってさ、伊武ちゃん。鬼が出るとか言われたら普通探しに来ない?」
「だからそれは今まで見つかってなかったんだから仕方ないだろ」
「そういうことじゃなくって! 何かおかしいじゃん!」
八田は駄々をこねるように言う。分かって貰えないことがもどかしいようだ。
「何が気になるのかな?」
(……わ)
空気がヒヤリとする。
川相の眼はひどく冷たい。
「普通お城って大切にされるはずだ。どこにあるかってことくらい伝えられててもおかしくない」
「それなのに今まで場所すら分からなかった。それはおかしい、ということかな?」
宝条は相変わらずの優雅な笑みで微笑む。
「ほ……宝条サン」
「どうしたッ? 伊武!」
(び、ビックリさせないでくれっ)
ヒンヤリとした雰囲気に加え、宝条の登場はより恐怖を誘った。いきなり背後に立たれた八田は口を金魚のようにパクパクしている。川相も驚いているようだ。
「しかし君の言うことは的を得ているな! 黒杉村の人々は熱心なようだ、何せ高校生の遠足にまで顔を出してくれる。そんな人々が沖姫城を見つけるのに今まで掛かったとは考え難い」
「つまり今までかく……」
八田が言い終わらない内に、稚隼は八田の頭をはたいた。
痛い、と八田は泣き言を言った。
「ちょっと黙っとけ!」
稚隼はハラハラして仕方がない。少しずつ川相の表情が難しくなっていくのだ。
「すみません、川相さん。時間取らせちゃって……ほら、宝条サンも! こっち!」
ほらほら、と宝条と八田を川相から離そうとする。
宝条は反抗するかと思いきや、面白そうに笑って大人しくついて来ている。
その様子が稚隼はやけに気に入らなかった。
(奴はいつも全て分かったような顔をする)