第8話:事前準備
翌日、稚隼が生徒会室の扉を開けると、そこは無法地帯に近かった。
まず宝条政義が暴れている。
「いい加減に諦めなさいっ!!」
次に円嘉の怒りの声が響き渡る。
最後、一輝はどうしているかと言うと、黙々と事務作業をしている。意外とマイペースだ。
(どうすりゃいいんだ)
残された稚隼は途方に暮れるしかない。
宝条の言い分はこうだ。
彼が編み出した社会科見学の候補地の草案はかなり妥協されたものである。
その上、彼が校舎中を歩き回って生徒一人一人に意見を求め、それをまとめたものなのだ。
だからそれを却下するのは間違っている、と。
(からかわれてるだけなんじゃ……)
集められた内容がとても高校生が真面目に考えたものだとは思えない。
“こんなの楽しそう”といったレベルだ。さすがに高校の行事をそんな軽い気持ちで決めてはいけないだろう。
「宝条サン、それ、みんなの冗談ですよ」
稚隼は本気に受け取った宝条を気の毒に思いながら、渋々言った。
しかし宝条の返答は意外な一言だった。
「それがどうしたッ!」
「へ?」
「冗談だからなんだと言ってるんだッ!」
(……ついていけない)
宝条のわけの分からない発言に稚隼は頭を抱えた。
円嘉は呆れ顔で、一輝は仕事を続けていた。
「みんな本気じゃないんスよ? それを一々取り入れてたら切りがない」
「伊武、よく考えてみろッ!」
稚隼は首を傾げる。
これ以上、何を考えるというのか。
「実現されるはずがないから本気じゃないんだッ! だったら実現すればいいッ」
「……」
沈黙が走る。
稚隼どころか、円嘉も口を挟めない。
「若い内から諦めることを知る必要なんてないッ! それを教えてやるんだ!」
(……何てご立派な意見だ)
稚隼は溜息を吐いた。
「でもね政義、もう里見センセーが候補地に当たってくれてるのよ。今更変えるなんて無理なの」
円嘉が諭すように優しく言うが、宝条はそれを聞こうとしない。
「何で勝手に決めたんだッ」
「真面目に働かないのが悪いんでしょ?」
「俺は生徒会長として……」
言い終わる前に、円嘉に、はいはい、と話を打ち切られる。
「心外だッ!」
宝条は本当に悔しそうな顔をした。
今回の社会科見学で稚隼が担当して調べることとなったのが、例の城である。
残りの三ヶ所は円嘉と一輝が手分けして調べることになった。
「ほら、これ資料」
放課後、稚隼が教室で調べものをしていると、机の上にドスンと白い紙袋が置かれた。
軽く顔を上げると里見がいた。
「ども」
「最近見つかったばかりだからな、あんま資料ねえんだわ。だからこれ使え」
紙袋の中を覗くと、雑誌や新聞、クリアファイルに挟まれた書類などが入っていた。
なかなか丁寧である。参考になりそうだ。
「これセンセーが?」
「趣味で、な」
里見は自慢げに笑う。
「へェ」
「じゃ、頑張れよ!」
里見はそう言うと、教室から出て行った。
稚隼は紙袋から新聞を取り出して、関連記事を読み始めた。新聞の日付はつい先日だ。
「伊武ちゃん! 何してんの?」
呑気な声に気付いて振り返ると、タオルを首に掛けた真下がいた。
片手にスポーツドリンクを持っている。
彼はバスケ部なのである。
「生徒会の仕事」
「へー、大変だね」
タオルで汗を拭きながら、稚隼の前の椅子に座る。
制服を着ているので部活後なのだろう。
「なになに? あ、今年はお城行くんだ」
真下が楽しそうに言うのを聞いて稚隼は少し嬉しくなった。
(生徒会らしくなってきた、ってことか)
稚隼は自分の喜びに正直、戸惑いを隠せなかった。
「沖姫城か。うーん、知らないなー」
「最近見つかった城らしいぜ」
すると真下は不思議そうな顔をした。
「どゆこと?」
「待てよ、えっと……」
稚隼は新聞記事を読み上げた。
『通称・沖姫城は伝承には残るものの、どこにあったのかすら分からなかった。ところが先日、伝承の残る黒杉山中にそれらしき城跡が発見された。詳しく調査している内に城跡より数キロ奥に進んだ場所に小さな蔵があることが分かった。あまりにも奥地にあるために今まで見付からなかったのだと思われる』
「なるほど」
真下は納得したのか、深く頷いた。
「それにしても沖姫城だなんて、可愛らしい名前だな。そういう名前のお姫様でもいたのかもね」
「さあな。だが、伝承でも本当の名前は残ってないらしい。沖姫城はあだ名だし……」
ふーん、と真下は呟いた。稚隼は他の記事にも目を通していた。
「へー、江戸時代に建てられたのか」
「雰囲気ありそうだね」
真下は雑誌に載せられた城の写真を眺めながら言う。
薄暗い森の中にこじんまりと佇む城は、なかなかのものである。
「お宝とか眠ってないかなー?」
「真下、里見と同レベル」
げー、と真下はおどけながら舌を出した。
そして何か思い出したかのように手をポンと鳴らした。
「てかさ、伊武ちゃん。こんな山奥までどうやって行くの?」
「……歩いて?」
真下と別れた後、里見から貰った資料を生徒会室に置きに行くと珍しく宝条一人がいた。
「珍しい人がいる」
すると宝条は不満げな顔付きで、
「生徒会長とは何たるか、を理解してない奴らがいるかなッ!」
と言った。
稚隼は苦笑する。そのまま必要な作業だけして部屋を出ようとした。
「沖姫城はどうだ?」
「……知ってたんスか」
「ああ」
(こいつはまた……)
稚隼はこういう宝条があまり好きではなかった。
見透かされている気がするからだ。
「あれは曰くつきの城だ」
「曰く?」
「ああ」
「どんな?」
宝条はふ、と笑った。相変わらず上品だ。
「それを調べるのが君の仕事だろう?」
(途中まで教えといて、こんなの卑怯だ)
「こうなってしまったのならば仕方ない。俺は沖姫城で宝探しでもするかな」
「……宝探し、流行ってるんスか?」
さあ、と宝条は面白そうに首を傾げた。
社会科見学の候補地が決定してから一週間、ようやく大体の準備が調って来た。
殺伐としていた生徒会室の空気も元に戻りつつある。
「どうぞ」
円嘉は穏やかに微笑んで、稚隼にオレンジジュースを差し出した。
「ありがとうございますー」
稚隼も穏やかにそれを受け取る。
先日までは有り得ない光景であった。
「葛城先輩もちょっと休憩しませんか?」
「ああ、そうしようかな」
一輝は立ち上がり、円嘉からジュースを受け取った。
「そういや宝条サンまた来なくなりましたね」
「仕方ないさ。ここにいてもやることないからね」
一輝はそう言ったが、円嘉は不服そうだった。
「やることないはずないんだけどね、ったく!」
しかし心に余裕があるのか、普段より本気で怒っているわけではなさそうだ。
「そういえば、稚隼君はどこに行くつもりなの?」
円嘉はジュースを飲みつつ尋ねた。
「そうだなあ、多分、沖姫城、かな?」
「政義と同じじゃない! 何だかんだ仲良しよね」
円嘉は楽しそうに言うが、稚隼は一気に暗い表情になった。
「マジっすか」
「マジっす」
「うわ、ついてねー」
「まぁそんなこと言わずに」
ポンポンと稚隼の肩を叩く。
「円嘉先輩たちは?」
「私たちは各自担当した場所に行くわ。一つ余るんだけど、何とかなりそうだし」
「そうですか」
(つまり俺一人で宝条政義の面倒を見なきゃいけないってことね)
稚隼はガックリとうなだれた。
(騒ぎを起こさなきゃいいけど)