第7話:高校生的遠足
五月中旬、生徒会室でダラッとする、それが最近の稚隼の日課となっていた。
とはいえ、全校生徒から選ばれてなった書記である。職務怠慢ばかりという訳にはいかない。
しかし毎日のように会議をすることもないし、東宮高校の生徒会は比較的自由にやることが出来るので彼らは好きなように運営している。
第一、顧問である里見も生徒会室にあまり顔を出さないのだ。
(あー……暇だ)
近頃は特に大きなイベントもなく、稚隼は放課後の時間を持て余していた。
残念なことに、宝条探しの時だけ忙しかった。
稚隼は何気なく生徒会長の机に散らばっているプリントたちに目をやる。
机の上は物凄く汚い。
宝条が心のままに読み漁った形跡があった。
稚隼はそれらの中の一枚を手に取る。
「社会科見学、か」
学生生活に欠かせないイベントの一つに社会科見学、所謂遠足を挙げても何ら不思議はないだろう。
プリントには、
『今年度の社会科見学の目的地は本人による選択制にすることに決定しました』
と書いてある。
稚隼は思わず首を傾けた。
(こういうの決めるのって、生徒会の仕事だよな?)
(じゃ何で俺、知らないんだ?)
自分自身に対する単純な問い掛けである。
稚隼は疑問を残しつつも、続きを読む。
『学年を問わず、以下の指定先の中から選択するように。
1、ドキッ☆熊と一緒に山登りツアー
2、ヒヤッ☆幽霊屋敷に潜入大作戦
3、ワクッ☆遊園地で無限鬼ごっこ
4、スイッ☆水族館でジンベイザメと泳ごう』
(……どれも嫌だ!!)
稚隼は愕然とした。
仮にも高校生である。こんな馬鹿みたいな見学に参加する生徒なんているのだろうか。
(これは宝条政義の提案に違いない)
稚隼にははっきりとした自信があった。
(そして円嘉先輩辺りに却下されたはずだ)
だからこのプリントが机の上に散らばっている。
稚隼は全て納得がいった。
特にやることもなくなった稚隼は生徒会室にある自らの席に着き、机の上の整理をしている。
他人のことを指摘出来るほど整頓されてはいなかった。
「あ、稚隼君!」
水色の爽やかな紙袋を片手に現れたのは円嘉だった。
そして室内にふんわりと甘い香りが広がる。
「今日のおやつは何ですかー?」
「さて何でしょう?」
「えっと……バナナケーキ、かな?」
稚隼が答えると、円嘉はニコッと笑った。
「正解!」
そう言って紙袋から一つ、バナナケーキのカップを取り出して稚隼に渡した。
「ありがとうございまーす。うわ、美味そう」
円嘉の作るおやつは生徒会以外でも評判であるほど、彼女の腕は良い。
真下がいい例で、いつも稚隼を羨ましがっている。
「そういえば……」
稚隼はケーキを頬張りながら言う。
「円嘉先輩、そこに社会科見学のお知らせのプリントあったんですけど……」
途端に円嘉は不機嫌そうな表情になる。何か嫌なことを思い出したようだ。
「俺、今日初めて知りましたよ?」
「……政義が絶対譲らないって五月蠅いのよ」
(だと思ったよ)
「政義がみんなに選ばれて生徒会長になった、ってことはよく知ってるわ。あの奇怪な行動で学校変えてくれるかも、って思ったのかもしれない。だけど限度ってものがあるでしょ!?」
一息に円嘉は文句を吐き出した。
稚隼は苦笑するしかない。
(幽霊屋敷にジンベイザメか……マニアック過ぎるだろ)
「あれでも遠慮し過ぎたほどらしいわ! ったく、もう!!」
円嘉は怒りで準備していた紅茶のティーカップを握り潰しそうだ。
右手がわなわなと震えている。
「遠足、どうなるんスか?」
「え? うん、学年バラバラっていうのは決定ね。当たり前だけど、行き先は変えるかな」
(学年バラバラなのか……でも宝条政義とは一緒になりたくないな)
稚隼はケーキを食べ終え、重い腰を上げた。
生徒会長の机に近寄る。
「里見は何て?」
「センセーはどこでもいいって。温泉、なんて言うからすぐ却下したわ」
「役に立たないっすねー!」
まあ元々期待なんてしてないわ、と円嘉が溜息混じりに呟くのははっきりと聞こえていた。
暫くすると一輝が生徒会室にやって来た。
「今日はバナナケーキかな?」
一言目がそれである。呑気な生徒会だ。
「ねえ、一輝君は遠足のことどう思う? 正直、今週中に決めないとどこにも行けなくなるよね」
一輝は少し困った顔で微笑んだ。彼も宝条のことを思い浮かべたのだろう。
(生徒会に大きな権限を与えてくれるのは有り難いが、こういう面はなかなか厄介だ)
「政義は?」
「まだっす」
「またどっかほっつき歩いてるんじゃない? 誰かに迷惑掛けてなきゃいいんだけど」
宝条が生徒会室に顔を出すことは滅多にない。
会議があるとか、そんなことお構いなしである。
そのため宝条がどうしても必要な時に探しに出るのが稚隼の役目だ。
(また探しに行くのか)
いい加減うんざりしている。
「探して来ますか?」
「ううん、話がややこしくなるから今回は政義抜きで決めましょ!」
円嘉はドアに向かう稚隼を制止した。
一輝を見ると、小さく一度頷いた。
「じゃあ俺が知恵を貸してあげよう」
少し開かれたドアから顔だけ出してそう言うのは里見である。
その様子は気持ち悪い。
「おい、伊武。あからさまに嫌そうな顔すんな」
里見は年甲斐もなく口を尖らせた。
「ったく、駄目だよ? こういうことはもっと早めに決めとかないと」
やけに教師らしいことを言うので稚隼は苛ついた。
「センセー、他人のこと言えないでしょ? 自分だって丸投げにしてたんだから」
「うっ……」
反論出来ずに口ごもると、里見は大人しく窓の近くに立て掛けてあったパイプイスに座った。
「センセーは何か良い案ありますか?」
里見に丁寧に敬語で話すのはこの中で一輝のみだ。
「あのさ、意外と城とか良くない?」
さすが日本史担当教員である。
(無難だな)
「最近ここらの山奥で新しく城が見つかったらしくてよ、面白そうじゃない?」
「確かに歴史の学習にもなりますね」
一輝は、うんうん、と里見の案について頭を働かしていた。
円嘉も悪くないという顔をしている。
「隠された財宝とか出て来たらどうしよっかなあ、男のロマンだろ!?」
(それは心配いらないな、出て来ないし)
稚隼は心の中でツッコミを入れる。
(しかし、城、か。嫌いじゃないけどね)
里見の意見は思いの外、妥当な意見だったようだ。
「俺は城という案、良いと思うんだけど、二人はどうかな?」
一輝は先程円嘉から受け取ったバナナケーキ片手に尋ねる。
里見の羨ましそうな視線に気付きながらも、敢えて知らない振りをした。
「私も賛成! さすが里見センセーね!」
円嘉は里見をおだてるようなことを言った。すると里見は満更でもなさそうに頬の筋肉を弛ませた。
「俺も賛成でーす。……里見の案っていうのが癪だけど」
最後は聞こえるか聞こえないかくらいの声の大きさだった。
しかし里見が稚隼を睨んだので、しっかり伝わっていたのだろう。
「それでは候補地の一つは城ということで決定します。センセー、ありがとうございました」
残りの候補地は無難にテーマパーク見学などが選ばれた。
あとは相手の許可が取れるかどうかだ。ここからは里見の仕事である。
「しっかしお前らのボスはどこ行ったんだ?」
里見は構内禁煙にもかかわらず、堂々と煙草を吸っている。
「……センセー、煙草消さない限りケーキあげないよ」
円嘉は冷たい眼で里見を見た。
「消します! 消します! だからケーキ頂戴!」
(どれだけ必死なんだ……大人の癖に)
稚隼は自らの机で片肘をつきながらその様子を眺めていた。
視線を感じたのか、里見と目が合った。
「伊武、そんなに見つめるなよ」
「……は?」
本気で嫌そうな声を出すと、里見は苦笑いした。
「それにしてもうちの高校の生徒会は大変だねェ。こんなことまで任されちゃって」
「本来の生徒会の域を超えてるわ」
円嘉は里見と一輝の紅茶を淹れながら言った。
良い香りが室内に蔓延する。
「こういうこと決める時に風紀委員会は関係ないのか? てか俺が決めること?」
「風紀委員会だけじゃなく外の委員会も集めて話し合って決めるのが本当は一番いいんだろうけど、それではいつになっても決まらないですからね」
「確かに」
一輝の意見に里見は大きく同意した。
多人数で物事を決めるのは様々な意見が出てよいことではあるが、なかなか答えを出せないものなのだ。
「残る問題は……」
一斉に四人の視線がある場所に集まる。
残る問題は、生徒会長宝条政義である。
「幼稚園児みたいに暴れるだろうよ」
里見は、生徒たちの苦悩を思いながら、そう言った。