第22話:先輩と後輩
翌日、元気を取り戻した真下は、いつも以上にドッジボールの練習に力を入れていた。赤尾に悪いと思う気持ちがあるのだろう。
「ほら、伊武ちゃん! ドッジはパス回しが大切なんだからさぁ、ボーッとしてリズム崩さないでよ!」
(バスケ部のお前と同じにするな)
稚隼はブツブツ文句を言った。しかし、真下はそれを無視する。
「真下のくせにっ」
「まあまあ、それにしても意外だな。伊武、スポーツ得意そうなのに」
赤尾は怒る稚隼を宥めながら、尋ねた。
「俺はサッカー! ああ、くそっ、ボール蹴ってもいいっていうルール追加されねえかな!?」
そう言い終わった途端、稚隼はハッと息をのむ。
(あ……)
言ってはいけないことを口にしてしまったような後悔が、稚隼のなかに広がる。
(くそ、油断、した)
「赤尾っ! パス!」
「おう!」
赤尾は特に気にした風はなく、前島から回されたパスを難なく受け取り、タイミング良く投げ返した。
(……よかった)
稚隼は胸を撫で下ろす。表情にもそれが表れていた。
(あんなに自然に出てくるなんて、俺は……)
「伊武ちゃん、危ないっ!」
次の瞬間、稚隼の顔面にボールがクリーンヒットした。
「あーあー、ボーッとしてるから」
「……真下ぁ、このやろっ!!」
稚隼はラインを越えて、真下にパンチをくらわそうとする。
「あー!」
いきなり真下が大きな声を出したので、稚隼はビクリとした。
「な、なんだよ」
「はい、伊武ちゃん、外野行ってー! ライン越えるのルール違反でーす」
「……」
「伊武、本番は初歩的なミスするなよ?」
赤尾がため息混じりに言った。当の本人は、頭を抱えている。
(そりゃあ、このウザさがいつもの真下だけどっ)
(いくらなんでも、ひどすぎる!)
放課後、練習を終え生徒会室に向かうと、久し振りに全員が揃っていた。ここ最近は、それぞれがクラスの練習で忙しく、集まって作業することは滅多になかったのだ。
「こんちはー……お、今日はガトーショコラっすね!」
円嘉に餌付けされてから、稚隼は男子としては異様にお菓子に詳しくなった。
宝条に至っては、匂いだけで判断出来るらしい。
「そうよ。最近手抜きしたものばっかりだったから、力入れてきたの」
ニコリと笑う円嘉は、やはり美人だ。
そして、その手にあるガトーショコラに目を向ける。ナッツが入っていて、綺麗にカットされている。
(やる気出て来た)
稚隼もただの高校生である。
「伊武ッ! 端谷から聞いたぞッ。随分と気にしているサッカー部員がいるそうじゃないかッ」
(そういや、宝条政義と話すのも久し振りかも)
(いや、別に話したくないけど)
「あぁ、実は真下の後輩だったんスよ。だから」
稚隼は自分の机の上を整理しながら言う。先日、整頓して帰ったはずなのに散らかっている原因は、言わずもがな、宝条にあるのだろう。
(また勝手に人の机使ったな……)
稚隼は小さくため息をついた。
「真下君のかッ! じゃあ元バスケ部という訳だなッ! それなのにサッカー部に入るとは、チャレンジ精神に溢れる若者なのだなッ」
宝条は楽しそうに言う。しかし、稚隼には何が楽しいのか分からなかった。
「よく分かんないっすけど、理由あるみたいですよ」
「なるほどッ! それで、真下君が一年の教室のまわりをウロウロとしていたのだなッ」
「……そうなんスか?」
稚隼は今日初めて、宝条の目を見て尋ねる。
「今日の昼休みにも会ったぞッ」
稚隼は昼休みの真下の行動を思い出す。確かに、クラスの練習中に何処かへ出掛けたのだ。
(懲りずに会いに行ってたってわけか)
稚隼は席に着く。そして、クラスマッチに関する資料を広げた。やらなければならないことは大分減った。
「それよりも伊武ッ! 君は真下君を手伝わないのかッ?」
(どうして俺が?)
口には出さずとも、顔に出ていたのだろう。宝条は身を乗り出した。
「不思議そうな顔をしているなッ! しかし不思議なことなんてないぞッ」
「政義は、第三者の方が上手く話を纏められるって言いたいんだよ」
宝条にプリントを渡しに来た一輝が口を挟む。宝条は、そうだッ、と満足そうに言った。
「特に真下君は感情的になりそうだからね。冷静な伊武がいた方がスムーズに話が進むかもしれないよ?」
「……確かに」
稚隼は納得した。
「はいはい、ちょっと早いけどお茶にしない?」
円嘉の一言に、三人は喜びの声を上げた。
サッカーの練習をする晴海を見て、真下は愕然とした。彼がバスケを辞めたことを、実感したのだ。
「おい、晴海ぃ!」
練習が終わるのを見計り、真下は声を掛けた。当の本人は、真下の姿に気付いていたのか、特に驚くことなく、その呼び掛けに反応した。
「本当にサッカーやってるんだなっ!」
「はい……」
「本当にバスケ辞めたんだなっ!」
「……はい」
真下は心底、悔しそうな顔をする。一方、晴海は無表情だ。
「お前が言う、失敗って何だよ」
晴海がバスケを辞めた理由、それは先輩に申し訳ないことをしたから、というものだった。晴海はゆっくり口を開く。
「好徳先輩はどうして、こんな俺に構うんですか?」
晴海の発言に、一瞬ポカンとする。そして暫くすると、普段の真下の笑みが戻った。
「バカだなー! 期待の後輩だからに決まってるじゃん!」
その後、晴海の表情が少し曇った。
「だから俺は、晴海にバスケやって欲しいんだよ。好きでサッカーしてるなら文句はないけど、バスケしたいのに我慢する理由はないだろ?」
「……」
真下は何も言わない晴海に、苦笑する。
「おいっ!」
「あれ? 伊武ちゃんじゃん。どしたの?」
突然の友人の登場に、真下は面食らう。伊武は両手に重そうな紙袋を抱えていた。
「あぁ、生徒会?」
「パシリだよ、こんなの! あ、そこの真下の後輩。端谷さんどこ?」
稚隼は苛々と尋ねる。晴海にしてみれば、とばっちりだ。
「真下の後輩って、こいつにも名前あるんだからさー」
稚隼は真下の文句を軽く受け流した。そして晴海が呼んで来ると言うと、満足そうに礼を言った。
晴海の姿が見えなくなると、稚隼は小さな声で話し掛けた。
「……宝条サンから聞いたぞ。お前、アイツのストーカーらしいな」
「ほ、宝条先輩がそんなこと言ってたの!? ストーカーじゃないよ、俺は先輩っ!」
「真っ向勝負すぎるんじゃねえの?」
「え、何、伊武ちゃん。アドバイスしてくれんの?」
「……アイツがカワイソウ」
「照れるなって!」
真下が嬉しそうに、ニコニコする。稚隼はそれを見て、嫌そうな顔をした。
「確かに俺は、一方的だったかもね」
真下は反省するように言った。稚隼は黙って、紙袋の一つを真下に押し付けた。
「勿体ないじゃん? 晴海、あの体格だし、バスケ続けるべきなのに」
「……」
「でも、俺が何言おうが余計なお世話なのかもしんないね」
真下は珍しく、しんみりとした口調だ。
「自分で決めたことだから……後に引けないんだろ」
稚隼の呟きに、真下は首を傾げる。上手く聞き取れなかったのだ。
「伊武ちゃん、何?」
「何でもない」
「何か言ったじゃん!」
真下は口を尖らせた。
すると、遠くから走ってくる端谷を見つけて、稚隼はペコリと会釈をした。
「毎回悪いね! あ、プリント出来たんだね。ありがとう」
端谷は爽やかに言った。
「あれ? 晴海は?」
晴海の姿が見えなくなったことに気付いた真下は、辺りをキョロキョロと見渡す。
「シャワー行ったけど? あぁごめん、もしかして引き止めた方が良かったかな」
「いや、大丈夫です」
真下の代わりに稚隼が答えた。どれだけ晴海に呼び掛けても、結果は同じだと思ったのだ。
「そういや、晴海? 成長したんスか?」
「ハハハ、下手ではないんだけど、自分の長所を上手く生かせてない気がするなぁ。バスケとサッカーじゃ、やっぱり違うだろ?」
なるほど、と稚隼は納得した。そして隣に立つ友人を見やる。稚隼は意を決して、尋ねた。
「楽しそうですか?」
稚隼の言葉に、真下がピクッと反応した。気にしていたことなのだ。
「どうだろう? ただでさえ無表情だしなぁ、つまらなさそうではないけど、満足してる風にも見えないな」
端谷と別れた後、一緒に帰宅することになった二人は、生徒会室に向かった。
(……宝条政義、何故いる)
室内に宝条しかいないことを確認した稚隼は、心の中でため息をついた。
「真下君じゃないかッ! なんだ、元気がないなッ」
空気を読まない発言に、稚隼は頭を抱える。
「宝条サン、一人ですか? 居残りとは珍しいっすね」
稚隼は話題を変えようと努める。しかしそれは無駄な努力だったようだ。
「悩んでいることがあるんだろうッ!? 相談するといいッ」
(宝条政義に!?)
(絶対止めた方がいい!)
稚隼は真下に向かって合図を送る。真下がそれに気付いているのかどうか、分からない。
「なんか、宝条先輩見てたら元気出てきました!」
「は!?」
稚隼はやけに大きな声を出した。
「真下、大丈夫か?」
宝条に聞こえないように、小さな声で呼び掛ける。真下は、だいじょーぶ、と呑気に答えた。
「俺、悩んでたことあるんスけど、先輩見てたら、俺考えすぎてたのかなぁって!」
「それは良かったなッ!」
決して褒められた訳じゃないのに、宝条は満足そうにしている。不満があるのは、展開についていけない稚隼だけだ。
「伊武ちゃん、さっさと荷物の準備してよね! 俺、今日見たいテレビあるんだからさー」
真下は稚隼をまくし立てる。
そして、宝条に挨拶をして、先に生徒会室を出た。
(何なんだ、一体……)
稚隼は小さなため息と共に部屋を出ようとする。
「君なら俺よりもっと力になれる。そうだろう?」
自分に向かって投げ掛けられた言葉に、稚隼は舌打ちをした。
(そんなの、俺が一番分かってるっての!)