第21話:先輩の弱音
今回のクラスマッチにおけるドッジボールのルールは次のようなものである。
1チーム10人、内野に入ることが出来る。また始めから外野を2人配置する。その2人は内野に戻ることは出来ない。
以上のような基本的なルールの他に細かいルールも幾らか設定されている。しかし結局のところ、小学生がやるドッジボールと大差ないのである。
「シンプルな戦いほど面白いんだッ!」
というのが、発案者の言い分である。
赤尾主導の地獄の特訓は毎日続いていた。
誰も文句を言わずに彼について行くのは、赤尾があまりにも真剣であまりにも鬼気迫るものがあるからだろう。
「俺、最近筋肉痛ヤバくて……今日休んでもいいかな」
昼休み、机に突っ伏した稚隼は弱音を吐いた。しかしそれを真下は許さなかった。
「情けないなー、体力ないなー! まだまだ若いんだからさぁ」
「生徒会の仕事もあるんだぞ! 無理無理!」
「俺だって部活あるんだから同じじゃん」
そうだけど、と稚隼は言葉を濁す。
「そういえば真下、お前って中学もバスケ部だよな?」
そーだよー、と呑気な返事が返って来る。
「晴海? って奴知らね?」
「晴海!?」
真下が急に大きな声を出す。
「あ、ああ」
「知ってるも何も……それよりもあいつ、生徒会に目つけられるようなことしたの!?」
「え? いや別に」
「じゃあ何で伊武ちゃん知ってんの!?」
真下のあまりの驚き様に、稚隼はわたわたとする。
「サッカー部のキャプテンにそいつの噂聞いたんだ。元バスケ部で、何故かサッカー部に……」
「晴海、バスケ辞めたの?」
真下の眼があまりにも真剣なので稚隼は少し怯んだ。
そして質問の答えは晴海本人にしか分からないことなので返事を出来ずにいる。
「晴海っていうのは真下の後輩だよ」
ケラケラと笑いながらやって来たのは八田である。八田は真下と中学からの仲なので、真下の中学時代をよく知っている。
「ほら、前に言わなかったっけ? 晴海恵名って」
「ああ、どっかで聞いたことあると思ったら……」
稚隼は納得する。その時は女の子の名だと思っていたのだ。
「真下のバスケ部の後輩でさ、二人は仲良かったんだよ」
八田が面白そうに言うのを、真下はいつものように咎めたりはしなかった。
晴海のことが気になるのか、ブツブツと何かを呟いている。
「キャプテンの話だと、晴海は先輩に顔向け出来ないからバスケ辞めたらしいぜ?」
「何それ、バカみたい!」
八田は毒舌である。
「その先輩って真下のことじゃないの?」
「そう、かもな」
稚隼は少し考えてから同意する。真下と仲が良かったのなら、考えられないことではないだろう。
「俺、晴海に会いに行く。赤尾に練習休むって言っといて!」
そう言い残して、真下は教室から飛び出して行った。
屋上にて真下と対面しているのは、例の一年生、晴海である。
真下の表情は普段ではあまり目に出来ないような真剣そのものである。
「……晴海、お前バスケ辞めたんだって?」
真下の声が低く響く。
しかし晴海は動揺することなく、無表情でそこに立っている。
「理由、聞かせてよ」
返事はない。二人の間に沈黙が流れる。
「お前バスケ大好きだったろ? 別にサッカーやりたくて高校からサッカー部に入ったっていうなら、それでも構わないさ。だけど……違うんだろ?」
「……」
「黙ってないで何か言えよ。口にしないと、晴海がどう考えてるかなんて分かんないんだから!」
暫くすると、晴海が重い口をゆっくり開いた。真下は緊張で喉を鳴らす。
「……先輩には、言えません」
「友達から聞いたんだよ、お前が先輩に許して貰わなきゃバスケ出来ないって言ってるって! じゃあ、その相手が俺じゃない、ってことなんだよな?」
真下の質問に晴海は答えなかった。ただ真っ直ぐに真下を見ているだけである。
「……っ」
真下は自分より背の高い晴海の胸倉を掴む。体格差のため、あまり効果的ではない。しかしそんなことは関係なかった。
「わがままだってのは分かってるけどさ! 俺はお前にバスケ続けて欲しいんだっ!」
晴海は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに無表情へと戻り、胸倉にある真下の手を丁寧に払った。真下は抵抗しなかった。
「……失礼します」
晴海の一言がやけに痛かった。
(こりゃ重症だ……)
稚隼は自分の席で落ち込む真下の姿を見て、率直にそう感じた。
真下の異変は昼休みからであり、原因が後輩との再会であることは明らかだった。
「てかさ、こいつとその一年生ってどういう関係なんだ?」
稚隼は近くで真下をからかっている八田に話し掛ける。
「だから何度も言ってるじゃん、真下の部活の後輩!」
八田は口を尖らせる。しかし不機嫌そうではない。
「それは聞いたけどよ。特別に仲良かったのか? 真下ってキャプテンじゃねえんだろ?」
「うーん、なんて言うか晴海がベタボレ?」
八田がケラケラ笑った。
稚隼はイマイチ理解出来ず、首を傾げている。
「真下って後輩に人気あるんだよ、その中でも特に晴海が真下に懐いてたって話!」
ふーん、と意外に簡単な話に稚隼は納得する。
「真下も晴海のこと気に入ってたからさ、今回のことよっぽどショックだったんだろねぇ」
八田はポンポンと真下の頭を叩くと、自分の席に戻って行った。授業が始まるチャイムが鳴ったのだ。
(おい真下)
(お前らしくねえぞ)
そう素直に声を掛けることが出来ないのが、伊武稚隼という人間なのである。
放課後の練習でも真下は驚くほど暗かった。ここまで引きずるとは思っていなかった稚隼は結構驚いた。
しかし赤尾の地獄の特訓は容赦なく課せられる。それを難なくこなしてしまうのが、現役バスケ部の体力なのだろう。
「伊武、あいつは……何かあったのか?」
あいつというのは勿論真下のことである。稚隼が応えようと振り返った場所にいたのは前島である。
(あ……)
その瞬間、真下の言葉を思い出す。
(そうだ、こいつも悪い奴じゃない、はず)
稚隼は無理に笑顔を作って、
「ちょっと、な。けどすぐに元に戻るだろ」
と言った。前島は稚隼の不自然な様子に少し怪訝な顔をした。
「それならいいけどな。でもあんな様子じゃ、すぐにボール当たるぞ」
前島が指差す方には心ここにあらずな真下が、ドッジボールのコートに立っている。
「あ」
「ほら」
そして赤尾の投げたボールは、見事に真下の顔面にヒットした。
「ごめん……伊武ちゃん」
真下は保健室にいた。運んだのはジャンケンで負けた稚隼である。真下の寝ているベッドの隣で肩で息をしていた。
(なんで男をおぶらなきゃいけないんだっ!)
「あー、赤尾にも悪いことしちゃったなー」
赤尾は真下にボールを当ててしまったことを気にしていたからだ。
俺が保健室まで行く、と申し出たが、それでは練習をまとめる者がいなくなってしまうので代わりがいくことになったのだ。
「俺って、そんなに頼りないのかな……」
真下が弱音を吐き出したので面食らう。
これまでに真下がヘコんでいたことがなかった訳ではないが、度々あることでもなかったのだ。
「今の晴海がどんなかなんて知らないけどさ、まだバスケ好きなら、俺が相談乗れるなら、力になれるなら、そうしてやりたいのに」
(……真下は“良い人”だ)
稚隼は急に真下が羨ましくなった。
(俺はこうなれない)
しかし稚隼は真下の優しさも一歩間違えれば偽善になりかねないことも、よく理解していた。
(もしそうだとしても、これが真下の良い所なんだよな)
稚隼は改めて真下好徳という人間を理解した。
「いいわねぇ、青春ね」
稚隼は背後からいきなり声がしたので肩をビクつかせた。
そこにいたのは保健室のおばさん、志磨である。
「伊武君、久し振りねぇ。生徒会頑張ってる?」
「あ、はい」
稚隼は少し照れ臭い気持ちになる。穏やかな志磨と話すと、まるで小さな子どもに戻ったかのような気分になるのだ。居心地の悪いものではない。
「お友達は大丈夫かしら? 新しい氷、持って来る?」
「大丈夫ですー」
真下は顔に乗っかる氷嚢を退けて、ヘラッと笑った。
志磨は安心したようにニコリと微笑むと、白衣から大きめの飴を取り出した。
「鼈甲飴、って知ってるかしら?」
はい、と稚隼が頷くと、
「美味しいわよ」
と、二人に配った。
口の中に入れると、甘さが広がった。美味しい、と言う真下を見て、志磨は優しい目を向ける。
「おばさんはね、あなたがどうして悩んでるのか分からないの。だけど時間はたくさんあるじゃない? いっぱい悩んだり、当たって砕けてみたり……今はやれることを何でもしてみればいいと思うわ」
「……そんなもんですか?」
「そんなものよ」
真下はクスクスと笑い出した。稚隼は真下が少しでも元気を取り戻したことに、胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます。えっと……」
「おばさん、って呼んでもいいのよ?」
志磨が意地悪く笑うので、真下の隣で稚隼は名前を教えてやった。
真下はベッドから起き上がり元気よく再び礼を述べると、氷を渡して保健室から出て行った。
稚隼も後について出て行こうとすると、志磨に袖を引かれた。
「たまには素直にならなきゃ駄目よ?」
稚隼は首筋に冷や汗がつたるのを感じた。
(このおばさん、あなどれない!)
「鼈甲飴うまー!」
真下は二つ目の飴を口に放り込む。
「伊武ちゃんもい……え? どしたの? なんか変な顔してるけど」
「な、何でもない。が、女ってやっぱ怖い生き物だな……」
「なにそれ、いきなりだなー」
真下は呑気に笑った。