第2話:保健室から
(どうして俺がこんな目に?)
入学したばかりで保健室までの道程が分からず、稚隼は男を担いだまま右往左往していた。
人に道を尋ねようにも、元々いた場所が校舎裏で、ただでさえ滅多に人が訪れない場所だ。
結局、一人で何とかするしかない。
(……こいつは当分起きそうにもないしね)
男は思ったより強く頭を打っていたようで、なかなか目を覚まさなかった。稚隼の気分はどんより暗くなる一方である。
やっとのことで人通りの多い場所に到着し、保健室の場所を聞き出すことに成功した。
保健室はそんなに遠くないことを知り、稚隼はほっと一息をつく。そろそろ限界である。
「失礼しまーす……」
カラカラと保健室の戸を開けると、そこには当然のことだが、保健室の先生がいた。
(あ、先生若くない)
稚隼はどこか期待を裏切られたような気持ちになったが、気を取り直して、男を備え付けのベットに寝かした。
「あら、宝条君じゃないの!」
保健室のおばさんは手で口を押さえながら言った。稚隼はふうん、と男を見た。
(こいつ、宝条って言うのか。もしかして先輩?)
「珍しいのねぇ、宝条君が倒れるなんて。貧血になるような子には見えないし……」
「頭を強く打ちました」
稚隼は片手を挙げて、半ば棒読みで報告する。
それを聞いて、保健室のおばさんは宝条の前髪を掻き分けた。
打った所が赤くなって腫れている。とても痛そうだ。
「あらあら、大きなたんこぶが出来てるじゃないの! まあまあ、可哀想に」
(近所のおばちゃんにそっくり!)
保健室に少なからず期待を抱いていた稚隼はガックリと項垂れた。所詮はただの男子高校生なのである。
保健室のおばさんは氷嚢に氷を詰めて、宝条のたんこぶに当てた。
「見掛けない顔ね。新入生かしら?」
「はい」
「そう。これから楽しいことばかりね。羨ましいわぁ」
おばさんはニコニコと、昔を思い出すように話した。稚隼はそういう表情をよく知っていた。
「それにしても早速、宝条君と顔見知りになるなんて幸運ね」
(本当にそうか? こいつと関わってからロクな目に遭ってない気がするけど……)
それからおばさんは、東宮高校の教師の話だとか、様々な噂話を繰り広げた。
稚隼はただ何となく頷いて、話を聞いていた。
「うっ……ここはどこだ?」
数分後、宝条はやっと目を覚ました。いてて、とたんこぶを摩る。たんこぶはまだ赤みを帯びていた。
「宝条君、やっと目を覚ましたわねぇ。ほら、この子が運んでくれたのよ」
保健室のおばさんはそう言って、稚隼の方を向いた。
稚隼は気恥ずかしくなり、そっぽを向く。宝条は目を擦りながら、稚隼をよく見た。
「君、誰だ? 知り合いか?」
「は?」
「すまない、俺は君を知らない……気がする」
(それはそうだ)
(俺だってあんたの名前も知らないさ!)
稚隼は無性に苛ついた。保健室までわざわざ運んだ苦労が報われない、と思ったのだ。
「新入生なのよ」
おばさんは相変わらず笑顔で言った。
「おお! 君、新入生なのか! ようこそ東宮高校へ!」
宝条はスクッと身体を起こし、稚隼に握手を求めた。稚隼はなかなかそれに応えようとはしない。
すると保健室のおばさんはズボンのポケットに突っ込まれた稚隼の右手を取って、握手させた。そして耳打ちをする。
「お友達が増えて損はないわよ」
(お節介だなあ! ほんと、おばさんって)
しかし優しく笑うその姿は、決して嫌なものではなかった。むしろ好感が持てる。
たんこぶの腫れが随分と引いた宝条はベッドから起き上がり、保健室を出る身支度を始めた。几帳面にシーツの皺を伸ばす。
「志磨さん、ありがとう。世話になった」
「またいつでもいらっしゃい。でも健康に越したことはないけれどね」
そう言って、保健室のおばさんこと、志磨は手を振って二人を見送った。
(……あ、また気まずくなっちゃった)
二人で廊下を歩いていると、自然と沈黙が訪れた。宝条は口笛を吹いて完全に自分の世界だ。稚隼は、どうしようか、と悩んでいる。
「あ! 政義!」
購買の近くを歩いていると一人の女子生徒が二人の方に近づいて来た。
胸の辺りまで伸びた、艶やかな髪。
彼女のモデル体型はお洒落に制服を着こなしている。
何より美人である。
「どこ行ってたのよ。探したのよ?」
怒ったように口を尖らせるその姿は可憐だ。
稚隼は彼女が宝条に話し掛けていたことにギョッとしながら、二人を見ていた。
(こいつの彼女!?)
(世に言う美男美女カップルということか……)
認めたくないが、稚隼は二人の容姿を見て認めざるを得なかった。
通りすがる人、皆が振り返って二人に目を奪われている。
「いつもの場所で昼寝をしていた筈なんだが、気づいたら保健室にいた」
「保健室ゥ?」
「ああ」
すると彼女はポカンとしている稚隼に気づいて、にこりと微笑んだ。
「はじめまして。政義の友達?」
「新入生だ!」
「へぇ、新入生。何でまた、こいつなんかと」
「俺を保健室に運んでくれたそうだ」
稚隼はなかなか会話に参加することが出来なかった。うんうん、と頷くことしか出来ない。
「あ、そうそう。これ、政義にって一輝君が」
「承知した。ありがとう!」
宝条は彼女からメモ用紙を受け取って、それをポケットに仕舞った。
そして彼女は、それじゃあ、と言うとその場から去っていった。稚隼はそれを名残惜しそうに見送った。
(宝条政義っていうのか、こいつ)
稚隼はあまり覚える気のない名前を確認した。宝条本人よりも宝条の彼女が気になったからだ。美人と知り合うことはむしろ積極的に行おうと思っている。
「そういえば君! 名前はなんていうんだ?」
(……いきなりだな)
「伊武っす」
「伊武君か! 俺は宝条政義だ。困ったことがあったら何でも相談したまえッ!」
(困ったことがあってもこいつには相談したくない)
(余計に話がこじれそうだしな)
稚隼はニコニコ笑顔をしながら、心の中で悪態をついた後、一度小さく頭を下げてその場を去って行った。宝条はそれを満足そうに見送った。
二度と関わりたくない、関わらないでおいた方が身のためだ、関わらないでおこう、と心に決めた稚隼が再び宝条と関わらざるを得ない状況に追い込まれるのは、それからほんの数日後の話である。
そして稚隼は宝条という人間の厄介さを嫌というほど体験することとなる。
それはまた違う話で。




