第14話:父娘
「代々、置姫城の城主をして来たのが“門真”氏だ」
コツコツ、という足音と共に現われたのは里見だった。
あまりカッコいい登場ではない。
(ったく、そう簡単に降りて来るなよ!)
稚隼は里見の職場放棄に少し苛つく。
里見と宝条は沖姫城について元々何か気付いていたような印象を抱いていたため、余計に怒りが増した。
「センセー!」
真下は呑気に嬉しそうな声を上げる。学生だけで、少し不安もあったのだろう。
「そう喜ぶなよ、真下。俺が重大発言したのに誰も驚いてねえだろ?」
里見は真下の頭をグリグリとする。
真下は軽く悲鳴を上げた。
「……門真、って、じゃあ鬼は!」
向日葵は、信じられない、と顔を歪めた。
「門真氏は今は没落してバラバラになってしまっているが、江戸時代は結構金持ちだったらしい」
「ここに藩があったってことか?」
稚隼がそう言うと、里見は嬉しそうな表情を作った。
「伊武、意外と俺の授業聞いてんだな」
「……」
稚隼は堂々と無視をした。
その様子に宝条は噴き出した。
「ま、続きを話そう。沖姫城なんて立派な名前がついてるが、要は大きな屋敷だ。だから本当の名前なんかない、沖姫城ってのもあだ名」
「なるほど!」
「真下君、いいお返事!」
里見がケラケラと笑う。
里見が現われてから、地下は一気に雰囲気が変わった。
それまでは重々しかったものが、明るいものとなる。
心なしか、向日葵の表情も柔らかくなったようだ。
「村長、俺、生徒たちに間違ったこと教えてねえかな?」
里見は川相を見て、笑い掛ける。
「学がない私には分からんね」
「そりゃまたご謙遜を」
そう言って、咥えた煙草に火を点けた。煙草の匂いが辺りに広がる。
「それにしても、よく調べたもんだ。独学ですか?」
「まさか! 俺、勉強嫌いですもん。知り合いに聞きました。沖姫城の専門家に」
里見は嬉しそうに笑った。
(沖姫城の専門家?)
(そういえばやたらと沖姫城に関する資料持ってたな)
稚隼は沖姫城の下調べをしていた時のことを思い出した。
あの時、里見はやけに協力的だったのだ。
「是非紹介して頂きたいものですな」
川相は興味なさそうにそう言った。
「宝条よ、いつまで黙ってるんだ?」
里見は突然、宝条に話を振った。当の本人はクスクスと笑っている。全て彼の予想の範囲内なのだ。
「センセーが話したいのかと思ってなッ! 譲ってあげたんだよ」
「そりゃどーも。次はお前の番だぜ?」
そうみたいだ、と宝条は呟く。
「気付いた者もいるだろう」
宝条はそう言うと、稚隼を見て微笑んだ。
稚隼は軽く頷く。
「連れて来られた娘たちはこの蔵で一生を過ごした。誰にも見付かることない、この暗い蔵で」
その場の雰囲気が再び暗くなる。内容が内容なのだ。
「でも、なんで川相さんたちは知ってるんだろ?」
真下が疑問を投げ掛けた。
「それは門真の屋敷が使われなくなった後、黒杉村の人々が必死に捜したからさ」
「隠し部屋も発見してた?」
「ああ、そうだろうな」
宝条は答える。
そして川相の立つ方に身体を向けた。
「いい加減に教えてくれませんか、川相さん。どうして村人は隠し部屋の存在を隠したがるのか」
「無駄よ! この人、馬鹿みたいにかたくなだから。それにお母さん大切に出来なかったろくでなしなんだから!」
向日葵の悲痛な声が地下に響く。
「お嬢ちゃん、それはちょっと言い過ぎじゃ……」
同じ大人として、里見が弁解に入る。
しかし向日葵に睨み付けられたことで、口を閉じてしまった。
「関係ない人は黙っててよ! あんたは……昔から嫌いだったけど、もっと嫌いになったッ!」
「向日葵、いつまでも我が儘は通らないぞ。大人になりなさい」
「大人って何!? 好きでもない人と結婚して、子供作ること? あんたは門真の親戚になりたかっただけ! その子供が欲しかっただけ!」
私のこと愛してなんかいないんじゃない、と小さく零れた悲鳴が稚隼の胸に突き刺さった。
向日葵は俯いて、黙り込む。その姿は泣いているようにも見えた。
「向日葵」
稚隼は向日葵の頭に手を置き、ゆっくり撫でる。
すると小さく向日葵の肩が揺れた。
「私は、お父さんにとって、“川相向日葵”になりたかったのっ。門真じゃない、お父さんの子供って見て欲しかったの! なのに……何で離婚しちゃうの? 私自身はやっぱり必要なかったってこと?」
向日葵はしゃくり上げた。
「川相さん! 何か言ってやれよっ! 娘を泣かせるなんて父親として駄目だ!」
感情の起伏の激しい真下は苦しそうに叫んだ。
川相に掴み掛かりそうな勢いなのを里見に止められている。
「……いい」
「よくないよ!」
「もういい。よく分かったから、いいの」
向日葵のか細い声は、真下を余計に熱くさせた。より感情が高まる。
「なんでっ! 向日葵ちゃんがよくても俺がよくない! 納得出来ない!」
「真下」
稚隼が声を掛ける。
真下は稚隼を見て、でも、と続けた。しかし稚隼は首を横に振った。
(これは親子の問題だ。向日葵と川相さんの問題なんだ)
(俺たちが軽々と踏み入れて、荒らしていい話ではない)
稚隼はやけに冷静な自分が嫌になった。同時に真下に一種の憧れの感情を抱く。
「川相さん……俺、何が正しいのかよく分かんねえけど、あなたのこと好きになれそうにない」
稚隼は正直に自らの気持ちを口にした。
(なんてガキらしい言い分だろう!)
「……私は悪者だな」
ようやく川相が重い口を開いた。その表情は苦々しい。
「向日葵、初めてお前の本当の気持ちを聞いた気がするよ」
「……」
「悲しい、思いをさせていたんだな」
向日葵は答えない。しかし彼女が悲しい思いをしていたことは事実だ。
「私は、もう少し娘と話す時間を設けるべきだった」
「そうですね」
宝条が川相の後悔に口を挟んだ。
川相はそれに一瞬驚いた顔をしたが、直ぐに苦笑した。
「私は沖姫城に心を囚われてしまっていたようだ……」
川相は向日葵の側に歩み寄った。それまでで一番近くにだ。
向日葵の隣にいた稚隼はスッと離れようとする。
それを向日葵に制止された。
「……」
稚隼は俯く向日葵をジッと見て、その場から去るのを止めた。
「君はさっき、向日葵は私のことを知りたがってると言ったね?」
川相は宝条に向かって話し掛けた。宝条は頷く。
「じゃあ私は話そう。話さなければならない、そう感じたよ」
「……」
「よく聞いてくれよ、向日葵」
川相は寂しそうに微笑んだ。
「私が沖姫城の真相を知ったのは、まだ学生だった頃だ。親父が話しているのを立ち聞きしてね。その時から私は沖姫城に夢中だった」
「沖姫城や鬼伝説について知れば知るほどハマっていってね、門真まで辿り着いた時には……その血筋が欲しいと思うほどのめり込んでいた」
「お母さんと出会った切っ掛けは見合いだ。無理にお膳立てして貰ったものでね。彼女と結婚して、向日葵が生まれた。私は満足だったよ」
向日葵の身体がピクリと動く。自らの名前が呼ばれたことに反応したのだ。
「……向日葵が生まれたから、忘れようと思ったんだ。沖姫城も鬼伝説も、綺麗さっぱり。出来る限り勤めた。しかし私はそこまで器用じゃなかったようだ」
川相は自らの過ちを後悔してか、痛々しい表情をしている。
「学生さんたちや先生が言ったことは大方当たっているよ。先生のお知り合いはよく調べてる」
里見はニヤリと笑う。
「川相さんはここに来たことありますか?」
稚隼は尋ねる。
最近使用されたと思われる蝋燭などが気になったのだ。
そして隠し部屋に何があるのか、川相が知っているのかどうか。
「あるさ。この隠し部屋を見付けたのは私が一番だと思ってる。私が見付けた時はもっと時間が掛かってな、こんな簡単に見付けられてしまうとは、私は隠すのが下手だな」
川相は残念そうに答える。
彼にとって、隠し部屋を見付けた時の感動は計り知れないものだったのだろう。
「隠し部屋には、何があったんですか?」
(宝条政義は多分教えてくれないだろう)
(そんな親切な人間じゃないから、知らなくていいことは言わないのだ)
(それなら自分で確かめるしかない)
ひんやりとした風が地下に吹く。
タイミングの良いそれは、果たして受け取る側の気持ちの問題なのだろうか?
稚隼は頬に汗が伝わるのを感じた。
「……娘たちの遺骸だよ」
ヒッ、と声が上がる。
その情景を想像した向日葵のものだった。
無意識の内に、稚隼の制服の裾を掴んでいた。
「……そうですか」
返事をする稚隼の声も暗い。
「少し考えれば簡単なことだろう?」
何故それをわざわざ口で言わせるのか、と川相が責めているように見えた。
「つまり私は、私の家系が、“鬼”ってことなのね?」
向日葵のか細い声に稚隼は驚く。
(ああ、こういうことだ)
(だから宝条政義は……)
「君が、君自身が“鬼”なのか?」
宝条は尋ねる。とても静かな声だ。
「家系だとか、血筋だとか、そんなことは関係ないということを君が一番よく分かっていると思っているんだが……」
向日葵は真直ぐ、宝条の眼を見た。
宝条はそれから目を逸らすことなく、真正面から受け止める。
そして向日葵はふと笑った。
「そうね、そうよね。私が一番知ってるわ! 逃げることは出来ない事実かもしれないけど、でも私は“鬼”じゃない」
向日葵はスッキリとした表情をしている。
(また俺は……)
稚隼は再び宝条に救われたことを情けなく思った。
(好奇心だけじゃ駄目なんだ。好奇心は人を傷付ける時がある)
(俺はそのことを忘れていた)
「この際、沖姫城の秘密、全部明らかにしちゃおうぜ? 俺もまだネタあるんだから」
里見が人差し指を立てて、提案する。
「先生の話は気になりますな」
川相が興味を示した。
川相自身では調べる限界があったのだろう。
里見が満足げに微笑んだ。
「お前もガキだなあ」
里見は楽しそうに、グシャグシャと稚隼の頭を撫でた。