第13話:黒杉村村娘
真下は、ひぃ、と声を上げそうになった。
それほど川相の放つオーラは恐ろしい。
僅かに上がった口角は不気味さを携えていた。
(とても向日葵の父親だとは思えない……)
稚隼は人の父親の悪口を言うつもりなど全くなかったが、それが正直な感想だったのだ。
川相はゆっくりと四人の側に寄る。そして向日葵がいることに気付き、少し驚いた表情になる。
「女の子の声が聞こえたがね、まさかお前とは」
「自分の娘の声も分からないなんてさすがね!」
向日葵は強く川相を睨む。
しかしそれは何事もなかったかのようにあしらわれた。
川相は宝条を見、目を細めた。
「お前さんは厄介な学生だね。いや、これは褒めてる。賢いのはいいことだよ」
どうも、と宝条は答える。
「しかし世の中には知らなくてもいいことがある。分かるだろう?」
「勿論!」
「じゃあこのことはもう忘れてくれ。知る必要のない事実だ」
川相はポンと宝条の肩に片手を置く。宝条はそれを払い除けた。
「好奇心には勝てない」
宝条はにやりと笑った。
反対に川相は顔を歪めた。
「……若いって羨ましいねぇ」
(それは里見の台詞だ)
稚隼は心の中でそっと思う。何故か気に障るのだ。
同じ言葉でも、里見が言うのと川相が言うのでは大分違う。
「しかしそれは命取りだ」
川相は、命まで取る気はないがね、と付け加えた。
「俺は沖姫城の秘密が知りたいだけだ。別に君たちの罪を暴こうとしている訳じゃない」
(罪……村の娘を誘拐した罪のことか。でも川相さんとどう関係が……?)
真下は話について行こうと必死になっている。
向日葵を見ると、険しい顔で宝条と川相を見ていた。
「ねえ、罪って何のこと? さっきあんたが言ってたことかしら」
向日葵が宝条に尋ねる。
稚隼が訊きたかったことだ。
「口の悪い子で……すまんね」
川相が初めて父親のような発言をしたが、向日葵の機嫌が更に悪くなるだけだった。
川相には目もくれず、その隣にいる宝条を見る。
「教えてよ!」
再び強く言う。
その様子に、宝条は少し困った顔をして、問い掛けた。
「君はそれを知ってどうするつもりかな?」
「私も好奇心よ! あんたと一緒!」
(向日葵は川相さんに反発したいだけだ)
稚隼は向日葵を見ていて、そう感じた。
勿論、宝条もそれを理解しているだろう。だから黙っている。
「川相さん、俺は貴方と向日葵が和解することを望んでいる」
(貴方、なんて宝条政義が使うなんてな)
稚隼は宝条の変貌に感心する。
宝条は急に、稚隼の知らない顔を見せるのだ。
「私はそんな気全くないわ!」
向日葵は相変わらずの調子だ。頑固である。
「向日葵、それじゃ話が進まないだろ? まず宝条サンの話聞いとけ」
稚隼が諭すように言えば、向日葵は、うう、と唸った。
そして口を閉じる。
「さすが世話焼き!」
真下がいらない野次を入れる。そして稚隼に睨まれる、普段のオチだ。
「気が利くじゃないか、伊武」
「どーも」
宝条もニヤリとする。随分上品だ。
「私も納得いかないんだがね、理由を教えて貰えるかい?」
川相が訊くと、宝条はゆっくりと前に進み始めた。
皆が暫く止まっていた足を動かす。
「俺は向日葵が貴方を勘違いしてるとも思わない。貴方が向日葵をどれほど大切にしているかも分からない」
「だが向日葵が貴方を知りたがっている。父親が何を調べ、何を隠しているのか。それを自分のものにしようとしている」
向日葵は、納得いかない、といった表情で宝条の話を聞いている。川相の表情は読み取れない。
じっくり見ると、二人はあまり似ていない。
「だから俺は協力しようと思う。だが元々は俺の興味が始まりだ」
稚隼は宝条の言いたいことが何となく分かるような気がした。
向日葵と川相はあまりにも噛み合わない。親子であるにも関わらず、だ。
それを、どうにかしたい、という気にさせられる。
(これが、余分なお世話、って言うんだろうな)
稚隼は自らのこの性格が嫌になることがよくあった。
「宝条先輩らしいや。よく考えたら、生徒会長だもんね」
「なんだよ、その理由」
「えー、だってそうだろ?」
真下が同意を求めたが、稚隼は素直に頷くことが出来なかった。
(宝条政義は猫かぶりだ)
(そして俺に出来ないことを簡単にやってのけてしまう)
宝条は黙って先に進んだ。
進んだ先に何があるのか、稚隼たちは分からない。宝条が知っているのかも謎だ。
しかし川相は知っている。
「随分と歩いたなー。もうすぐかな?」
「さあ? しっかし代わり映えのしない風景だな」
「ずっと一緒だもんなぁ」
真下が愚痴を言い始めた。
しかし稚隼もその気持ちが充分に分かった。
「……」
宝条が急に立ち止まる。
「わ!」
真下が宝条の背中にぶつかった。
「宝条先輩、どうしたんですか?」
「……これ以上は無駄だ」
宝条にしては珍しい、諦めを含む話し方だ。
少し苛々としているようにもとれる。
「無駄ってどういう意味っすか?」
「そのままの意味だ。俺たちはさっきから何回も同じ場所を回っている」
すかさず向日葵が、
「でもさっきからずっと真直ぐ来たじゃない。回ってるなら何処かで気付くはずよ!」
と、疑問をぶつけた。
宝条はキョロキョロと辺りを見渡す。何か探しているようだ。
「巧く作られてるからな、気付かなかったんだよ。それよりも向日葵、本当に隠し部屋があるかもしれないぞ」
「隠し部屋!?」
向日葵よりも先に真下が反応する。その様子を稚隼は苦々しく見ている。
「向日葵ちゃん、やったね! ホントに隠し部屋あったんだ」
真下は向日葵の両手をとって目を輝かせる。純粋な瞳だ。
「……う、うん。ありがとう」
「まだ喜ぶのは早いぞ、真下君。何処にあるのか見つけなければならないからな」
宝条は逸る真下の気持ちに静止を掛けた。とことん突っ走っていきそうなのだ。
「川相さん、気付いてついて来たな?」
丁寧な口調などいつの間にか捨てられていた。
宝条は強く川相を見た。川相の表情は薄暗く、よく窺えなかった。
「私は研究熱心な学生さんたちに協力するなんて、一言も言ってない。だから口を挟む必要もない。……監視してるんだから」
(監視、か。気持ち悪ィ)
稚隼は宝条の隠し部屋探しの手伝いを始めた。
残りの二人もそれに続く。
川相だけがただ見ていた。
「なーなー、伊武ちゃん! 隠し部屋ってことは、隠し扉があるってことだよな」
蝋燭の辺りを調べながら、真下は稚隼に話し掛ける。
「……確かに」
「じゃあ隠し扉探せばいいのかぁ」
「おう」
少しの間、作業を進めていると、いつの間にか姿を消していた宝条が現われた。
「どこ行ってたんスか、いつも自由なんだから!」
稚隼が小言を口にするが、宝条は言い返すことをしなかった。
少し考える顔をする。
「……見付けた」
「え?」
「隠し部屋があった」
宝条の表情は厳しい。
(……嫌なものを見付けたんだな)
稚隼は直感でそう感じた。
宝条の視線は川相に向けられている。
「民俗学者が喜びそうだ」
「?」
真下や向日葵は首を傾げている。訳が分からないようだ。
「宝条サン、謎解きしてくれるんでしょ?」
稚隼は挑戦的な目付きで、宝条を見る。
沖姫城の真相が、完璧にまではいかないものの、何となく理解出来るのだ。
「ああ、勿論。しかしここでしよう」
宝条は自分の見付けた隠し部屋に誰も寄せ付けたくないようだった。
「お宝でも見付けたのかな?」
コソコソと真下が稚隼に訊く。
「それはないだろうな」
「でも川相さんもお宝があるかもしれないって言ってたし」
(お宝が財宝とは限らないんじゃないか?)
稚隼の頭の中にそんな考えが浮かんだ。
「納得いかないわ! ずっと探してたの、連れてってよ」
向日葵は宝条に詰め寄ったが、相手にされなかった。
宝条は誰も連れて行くつもりはないのだ。
「でも君が知りたいことは教えてあげよう」
向日葵は不満げな顔をしたが、それきり黙ってしまった。
これ以上は意味がないと感じたのだろう。
「これは根拠を持たない、俺の空想話だ。どう捉えようが、君たち次第」
宝条はそう前置きした。
そしてゆっくり口を開ける。
「沖姫城はこの城が使われていた江戸時代には、姫を置くの置姫城、と呼ばれていた。これはさっき教えたはずだ」
真下は大きく頷く。
こういう素直な所が真下の良い所だ。
「江戸時代、鬼は確かに存在した。しかしそれは鬼ではなく人間だった。鬼は村娘を嫁にするためにさらって来た」
「もしかしたら村人たちは娘をさらった犯人に気付いてたかもしれないな。しかし探しても見付からない、そして武力で捩じ伏せられる。次第に鬼の仕業だと諦めるようになる」
「連れて来られた娘たちはこの蔵に監禁された。表向きはただの蔵だが、ここには隠し部屋があった。部屋というよりは牢だが……」
「牢屋……なの?」
これからの展開が予想されたのか、向日葵の顔色が青褪める。
真下の表情も普段より暗い。
「ああ。鬼は娘をさらっては牢に監禁した。そこで暮らさせたんだ。人数なんて関係なかったようだな」
(つまり隠し部屋には……)
稚隼は宝条がかたくなに隠したがっていたものを理解した。
「地下だから逃げられない」
稚隼の一言が予想以上に悲しく響いた。
娘たちの泣き声が聞こえる。
(ああ、でも助けてあげられないんだ)
(見付けてあげられないんだ)