第11話:落とし穴
四人それぞれで探していたために最初は向日葵の悲鳴が聞こえても駆け付けることが出来なかった。少なくとも稚隼と真下は、だ。
宝条は迷わずある一方向に向かって走っていた。
「大丈夫かッ!」
宝条が辛うじて落下を食い止どめている向日葵に手を差し延べた。
しかし恐怖や混乱から、向日葵は手を掴むことが出来ない。そして宝条は自ら少女の手を取った。
「大丈夫だ」
そう、優しい表情で安心させるように話し掛ける。
後に続いた稚隼たちが宝条の手助けをし、向日葵を地上に戻すことが出来た。
「あ、ありがとう……」
向日葵は僅かな涙を浮かべながら、素直に礼を述べた。
その頭を宝条はポンと撫でてやる。
「それにしても、こんなとこに落とし穴があったなんてなぁ」
真下は感嘆の声を上げる。
そして底の見えない広めの穴を覗く。
「落ちんなよ」
「気を……つける、おっと!」
「言った先から!」
稚隼はパシッと足元の真下の頭をはたいた。
その衝撃で元々バランスを崩していた真下の身体が大きく揺れる。
そして、落ちた。
「……あ」
稚隼は真下の悲鳴を耳にしながら、彼の落ちた穴を凝視していた。
宝条も向日葵も愕然としている。
「まっ、真下! ましたー!」
稚隼は若干キョロキョロしながら穴の底に向かって叫ぶ。
周りを探しても、当たり前だが、真下の姿は見えない。
「え、あの、宝条サン、これ……ヤバいっすよね?」
稚隼は混乱した頭とやけに冷静な自分の声のコントラストに驚いた。勿論、自分にしか分からない感覚だ。
「……ヤバい、なッ!」
宝条も珍しく驚いたのか、少し反応が鈍い。
(びっくりしてる宝条政義、レアだ……ってそんなこと言ってるんじゃなくて、ええと、真下が、落下した)
「……助けに行かなくていいの?」
向日葵が至極当たり前のことを尋ねた。何故か遠慮がちだ。
「い、行かなきゃいけないっすよね! うん、行く!」
稚隼は自分自身を納得させるように答えた。
向日葵の眼は、大丈夫かと不安げだ。
「ロープ! ロープを探さねえと」
しかし里見に正直に現在の状況を伝えることにためらいのある稚隼は、迂闊に蔵の外に出ることは出来なかった。
(と言って、蔵の中にはロープなんて無さそうだ)
稚隼が邪魔なプライドを捨てようとした時だった。
「ロープなら持ってるけど……」
向日葵の救いの一言だ。
蔵の隅に置いてあった黄色のリュックを漁り始めた。
「何かの時のために使えると思ったの。役に立って良かったわ」
そう言って、向日葵は稚隼にロープを渡した。
稚隼はそれを受け取ると、落とし穴の中に垂らす。
そして真下の名を呼んだ。
数回呼び掛けると真下からの応答があった。
「伊武ちゃーん! 落とされたけど、思ったより無事だよー! うわあビックリしたっ」
チクチクと攻撃の言葉が含まれている。
稚隼は苦々しく表情を歪める。
「真下君! そっちはどんな状態なんだッ?」
宝条は普段通りの声の大きさで尋ねる。元々声が大きい方なのだ。それは真下も同様である。
「懐中電灯とかあれば分かるかも!」
稚隼が向日葵の方を見ると、向日葵はリュックの中を覗き込んでいた。そして懐中電灯を取り出す。
「準備いいな」
「……別に」
向日葵は目を合わせずに答えた。照れているのだろう。
「真下ァ! 投げるぞ!」
稚隼が叫ぶと下から、りょーかい、と間抜けな真下の返事が聞こえた。
懐中電灯を投げ入れてから数秒後、ギャッ、という小さな悲鳴がした。懐中電灯を上手くキャッチ出来なかったのだろう。
「どうだ?」
「お、おおお!! 何か道が続いてる!」
真下の興奮した声が響く。
ぼんやりと穴の底から懐中電灯の光が当てられる。思った以上に落とし穴は深かった。
「伊武ちゃんたちも降りて来た方がいいよ絶対! 何かあるもん!」
楽しそうに誘われたものの、なかなか自ら落とし穴の中に落ちようという気にはなれなかった。
ほんの少しの沈黙の後、宝条がロープを蔵の出っ張りにくくり付けた。
そして稚隼と向日葵を見て、ニヤリと笑う。
「人生何事も経験だぞッ!」
背中がゾクリとした。
「真下君! 頼んだぞッ!」
宝条が下にいる真下に向かって叫んだ後、軽々と向日葵を持ち上げた。所謂お姫様抱っこだ。
「え? な、何するつもり!?」
向日葵は僅かに頬を赤らめながら抵抗する。
が、勿論宝条には通用しない。
次の瞬間、向日葵の身体は宙に浮いていた。
「き、きゃああああッ!!」
「――ッ、宝条サンんん!!」
宝条は愉快そうに笑っている。
「ひ、向日葵っ!!」
稚隼が落とし穴を覗くと、呑気に懐中電灯の灯が合図を送っていた。
「な、な、何するのよぉ!!」
下から向日葵の涙声が聞こえる。
(泣きたい気持ちはよく分かる!)
稚隼は同情せずにはいられなかった。そして宝条を思いっ切り睨む。
「もし真下が受け止めれなかったらどうするつもりだったんスか!! 無茶苦茶にも程がある!」
「真下君なら受け止められたぞッ! なんて言ったってバスケ部だからなッ」
宝条は自信満々に根拠のない話をする。先程、真下が懐中電灯をキャッチ出来なかったことなど忘れているようだ。
その後に、伊武なら無理かもしれないがなッ、と余計な一言を付け加えた。
そして再びニヤリと笑う。
「伊武、お前はどうする?」
(自分で降りさせて頂きますっ!!)
落とし穴の中は四人入っても余裕があるほど広かった。
ロープ伝いに下に降りて行く時に分かったことなのだが、穴には備え付けの梯子のようなものがあった。それまで暗くて気付かなかったのだ。
(もっとよく見ておけば良かった……)
結果オーライだったものの、稚隼は公開せずにはいられなかった。
今日で自分の心臓は幾らか縮んだ、と稚隼は思う。
(ついでに懐中電灯持っていやがるし!)
落とし穴の下に降り立った途端に自らの懐中電灯を点けた宝条の姿に稚隼は唖然とした。
それはとても自然な行為だったが、それが余計に悔しさを引き起こした。
稚隼の表情がおかしかったのか、
「宝探しにこれは不可欠だッ! 基本中の基本じゃないかッ」
と、宝条は胸を張る。
稚隼は少し、いやかなり、嫌になった。
落とし穴の中の道は一本道だった。宝条を先頭にして少し歩くが、周りの風景は変わらなかった。
しかし所々に蝋燭が設置されている凹みがあった。
「この蝋燭、まだ新しいみたいだ」
真下は何気なく言ったが、その言葉に稚隼は驚く。
そして近くの蝋燭を凝視した。
(確かに……腐ってない。比較的最近、っぽい?)
特に蝋燭に詳しい訳ではなかったので明確なことは分からなかったが、大体のことは予想がついた。
(まだここは使われてるんだ)
自分自身が行き着いた答えに稚隼は冷や汗をかいた。
「蝋燭に火を点すぞッ! 明るくなっていいッ!」
まるで自分たちの居場所を教えるみたいで稚隼は戸惑ったが、先程から何度か向日葵が躓く姿を目撃していたので、今回は大人しく賛成した。
「向日葵、ライターってあるか?」
黄色のリュックの持ち主である向日葵に確認するが、マッチまでは持ち合わせていなかったようだ。
しかし落とし穴に連れて来たリュックは随分重い。
「マッチならここにあるぞッ!」
宝条はポケットからマッチを取り出す。
聞いたことのない喫茶店の名前がプリントされているマッチだ。
(……準備のいいことで)
(宝条政義はこういう展開になることを知っていたのか?)
稚隼は溜め息を吐きたくなった。
宝条に関して、分からないことばかりである。
「君は……何か知っているんだろう?」
静かに、宝条が声を響かせる。
「?」
稚隼と真下は訳が分からず首を傾げたが、向日葵だけは違った。
立ち止まったのだ。
「……関係ないって言ったじゃない」
強情にも、前と同じ言葉を繰り返す。
宝条は向日葵に近付き、ポンと肩を叩いた。説き伏せるような形である。
「純粋な好奇心だッ!」
予想外な発言に、向日葵は呆れた表情を作った。
「俺もっ!」
真下が便乗する。はいはい、と懐中電灯を持つ手を振った。
向日葵はチラリと稚隼の方を見たが、稚隼には彼女を諦めるよう促すしか出来なかった。
「ここには秘密が多そうだッ! まずあの川相という村長が怪しいッ」
(確かに……)
それは稚隼も思っていた。
そもそも、稚隼も里見も今回の遠足に、予算などの問題もあり、ガイドを付けるつもりはなかったのだ。
そんな時、向こうからボランティアでガイドをすると名乗り出て来た。それもかなり強引にだ。
特に断る理由もなかった稚隼たちはその好意に甘えた、という訳だ。
先程の一件もあり、稚隼も疑わざるを得なかった。
「……川相は私の父親よ」
強い瞳で向日葵は言う。
「え!?」
稚隼と真下は驚嘆の声を上げたが、宝条は冷静である。見当をつけていたのだろう。
「正確には元父親ね。私の両親、離婚したの」
秘密を告白しながら宙を眺めていた。そして向日葵は真っ直ぐに三人を見る。
「だから私は門真向日葵。川相じゃない」
稚隼には彼女が自らの名字を主張した理由が分からなかった。
しかし向日葵にとっては何よりも大切なことのようだった。
「……もういいわ、全部教えてあげる。ここまで来れたお礼よ」
そう言って向日葵はゆっくりと口を開いた。
落とし穴の中はとても静かだった。
(俺たちの他に誰もいないからだ)
(……多分)