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七年前 前編

《七年前》


 空調の効いた病室で、私はひたすら窓の外を眺めて一人で楽しんでいた。

 病院の庭にはどこかの子供が二人。男の子と女の子の兄妹だろうか。楽しそうにボールで遊んでいる。互いに投げ合い、時折妹の方が明後日の方向にボールを投げてしまう。でも兄は笑いながらボールを取りに行き、再び優しく下からボールを妹に向かって投げている。


 その時、その子達の親らしき人物が車椅子に乗ってやってきた。二人は嬉しそうに車椅子へと駆け寄ると、キャッキャと笑いながら何か話している。


 あの人は大丈夫だろうか。

 ふいにそう思ってしまった。あの人はあの子達を残して先に逝くなんて事は……無いと思いたい。

 

 私のように……家族を残して去る事は無いように……私は密かに見ず知らずの家族の幸せを願っていた。




 ※




 ナノマシンが世界中に普及しだしたのは一世紀以上前。ナノマシンの母と言われる少女の話は有名だ。幼い頃から助からないと分かっていて投薬治療を続けた少女。わずか十七歳という若さでこの世をさった少女の血液サンプルの中に、常識を覆すウィルスが見つかった事がナノマシン開発を大きく前進させたと言われている。

 少女は十年以上、常人ならば発狂する程の投薬治療に耐えてきた。その間の時間は無駄では無かった。その投薬治療のデーターを元に、少女の中に潜んでいた未知のウィルスの全貌が明らかにされたのだから。

 しかしこう言うと聞こえはいいが、要するに人体実験だ。少女の主治医は決して実験を行っていたわけでは無いだろうが、結果的にそう捉えられてもおかしくは無い。世間はその主治医を糾弾する一方、国と企業は彼を支援し続けナノマシンを完成させた。その間、彼は自分の体を実験台にしていた為、完成と同時にこの世を去ってしまった。彼の体は度重なる薬物の投与でボロボロの状態だったのだ。


 ナノマシンの完成と共に、世間は手の平を返し彼を称賛した。不治の病と言われる物が、ナノマシン治療によって完治出来る可能性が出てきたからだ。

 少女と主治医のおかげで、多くの人が救われた。だから私は……決して彼らを責める気など微塵も無い。

 そのナノマシンが原因で死の淵に立たされているとしても、彼らを避難する事など到底出来る筈も無い。


 粒子血栓塞栓症、それが私の体を蝕んでいる病。

 体内のナノマシンの残骸が毛細血管などを塞いでしまう病気。

 この病の治療にナノマシンは使えない。何故なら残骸とはいえ、何が切っ掛けで再起動するか分からないからだ。蓄積されたナノマシンが一斉に再起動すれば、それは体内で小さな爆弾が起爆するのと同じ事になる。蓄積されている場所にも寄るが、並の人間なら即死だそうだ。心臓近くなら間違いなく一瞬で終わる。そして私の粒子血栓塞栓症は脳と心臓、その二か所。もはや絶望的という奴だ。


 現在を生きる人々は、ほぼほぼナノマシンを体内に入れている。この病は誰でも発症する可能性がある。しかし発症率は極めて低い。だからなのか、この病の治療法は未だ確立されていない。一番助かる見込みがあるとすれば外科手術らしいが、今の時代で外科手術を行える医師は全体の三割程度だという。ほとんどナノマシン手術が主流な為だ。


 そして私はその外科手術すら行う事が出来ない。何せ脳と心臓の二か所なのだ。どちらか一方、外科手術で取り除こうとすれば、そのはずみでもう一方が再起動するかもしれないとの懸念があるからだ。

 だからといってお医者様も私も諦めたわけでは無い。私は到底諦める事など出来ない。家族が居る。愛する夫と息子、そして一年前に出産した娘が。


「…………」


 何気なく、自分の手を握りしめてみる。驚く程に力が入らない。まるで力の入れ方を忘れてしまったかのように。

 決して私は諦めてなどいない。いないが……心の何処かでもう私は駄目だと思っていた。

 だから時折、幸せそうな家族を見ると祈ってしまう。あの家族はずっと幸せでいて欲しい、そんな風に。


 我ながらお人好しもいい所だ。少しは妬むなりすればいいのに。でも何故かそんな気にはなれない。それは性格だからか、単に私に他人を妬むだけの勇気が無いだけか。

 

 物思いに耽りながら窓の外を眺めていると、病室の扉がノックされた。同時に入室してきたのは私の夫。

 少しぼんやりとしていて、天然気味な私の夫はこれでもナノマシンを主力とする大企業に勤めている。だから余計に私が絶望的だと分かってしまうのだろう。私と顔を合わせる度、一瞬……夫は悲しそうな顔になる。


「……調子はどう? 陽菜さん」


「今日は……とても気分がいいかな……。貴方が来てくれたから……」


 仕事が忙しくて、週一でしかお見舞いに来れない夫へと、私は精一杯の我儘を言うように呟いた。夫は少し困った顔をしつつ、私の手を握ってくれる。


「ごめん……本当はもっと来れたらいいんだけど……」


「大丈夫だから。私もごめん……ちょっと嫌味な言い方しちゃったかな……」


 いいつつ夫の手を握り返そうと力を込めようとしてみるが、上手く行かない。

 その途端、夫はボロボロ涙を流し始めた。


「……何泣いてんの。私が死ぬとか思ってるの?」


「思ってない……っ」


「じゃあ泣かないで……ほら、報告会はじめるよ」


 私は手を伸ばして、夫の涙を指で拭ってやる。

 何故私が慰めているのだ、と少し面白くて笑ってしまう。この人はいつもこうだ。私が居ないと寂しくて泣いてしまうような……子供のような人。


「まず……宗吾はどうしてる? 元気にしてる?」


「うん……まあ……。最近はちょっと反抗期というか……難しい年頃なのかな。陽菜さんのお見舞いに行こうって言っても……中々来てくれなくて」


「別にいいわよ。元気でいてくれてるなら。部活は? バスケ部はどうなのかな」


「まだ中学一年だからね……先輩に絞られてるみたいでグッタリして帰ってくるよ。まあ、ご飯も良く食べて爆睡してるから健康体である事は保障する」


 私はよろしい、と言いつつ次に杏の報告を受ける。

 杏は一年前に私が出産した娘だ。いつもはお見舞いにも連れてくるが……今日はどうしたのだろうか。


「杏は? 今日は居ないの?」


「あぁ、藤間さんが杏のために玩具を沢山買ってきてくれてね。今は宗吾と一緒に面倒見てもらってる」


「あいつ……他人の赤ん坊の世話する前に、自分の嫁探せって言っといて。もういい歳なんだから」


「……まあ、陽菜さんの子供だからじゃないかな。陽菜さんの事、尊敬する先輩だって言ってたし……」


 尊敬する先輩……。

 藤間は同じ大学の後輩だ。いつも私の後を付いてくる弟的存在。だから……告白された時も私は彼をフってしまった。恋愛対象には……見れなかったから。

 それでも藤間は私を慕ってくれた。私自身は針のむしろだが……。


「……そういえば、もうすぐ夏祭りの季節じゃない? 近所の神社の縁日……行きたいな……あと遊園地も……」


「……先生に言って外出許可貰う? きっと宗吾も杏も……喜ぶと思うけど……あと藤間さんも」


「ん……いいわ。迷惑かけたくないもの」


「迷惑なんてそんな……」


「いいから……あぁ、それならお土産買ってきて。たこ焼きとか焼きそばとか……あとわたあめとリンゴ飴と鈴カステラと……水風船」


「おおせのままに……」


 夫は苦笑いしつつ、私が注文した品を忘れないようにメモを。

 その時、心臓の近くで何かが弾けたような気がした。同時に意識が遠のいていく。


「……陽菜さん? 陽菜さん!」


 あぁ……ついに来た……このまま終わっちゃう……?

 最後に一目だけ……子供達の顔が……見たかったのに……





 ※





 再び目が覚めたのは三日後だった。

 どうやらまだ私は生きているらしい。でも病室は変わっていた。ガラス張りの向こうに、子供達の顔が見える。


 宗吾……? ちょっと見ない間に頼もしそうな顔になって……。

 どちらかと言うと私に似てきたかもしれない。夫に似ると少し気の弱い男になりそうだからと心配してたけど、これなら安心できる。いや、私酷いな。そんな夫を選んだのは私なのに。


『母さん……?』


 宗吾は私が目を覚ましたのに気付いたのか、急いで先生を呼びに行ってくれた。拡声器越しに聞いた宗吾の声は……どこか夫に似ていた。声変わりしてきたかな……。あぁ、そうだ、最初に夫に惹かれたのも、あの低い声がカッコイイと思ってしまったからで……


 それから主治医による検診後、一通りの説明を受けた。どうやら心臓近くのナノマシンの一部が再起動したらしい。そのせいで内出血したらしいが、今は薬でなんとか抑える事が出来ているそうだ。でも……脳の方に詰まっているナノマシンの影響で、私はほとんど体が動かせない状態になってしまった。手に力が入らなかったのはそのせいか……。これでは鉛筆すら持てないでは無いか……。





 ※





 その後、再び私は一般病棟に移された。主治医の計らいだろう。それはつまり……もう私は長くないという事だ。主治医は相も変わらず無表情だったが、すこしばかり眉間にシワが寄っていた。きっと、あの人も私と同じ気持ちなんだろう。


 悔しい、悔しくて堪らない。

 いざその時が近づいてきていると分かると、私は悔しくて堪らない。


 私は家族を残して去らなければならない。結婚した時は……一緒に同じ時を過ごして、一緒に歳を取って、子供達も結婚して更に子供も生まれて……とか想像してたのに。


 なんで私が……


 あぁ、やっと私、他人を妬む事が出来た。

 一瞬だけ妬んで……少し楽になってしまった。


 呆気ない……これが私の人生か。

 でもまだいいじゃないか。ナノマシンの母と呼ばれる彼女は、投薬治療に耐えて耐えて……十七歳で死んでしまったんだから……。彼女に比べれば私の苦しみなど……たかが知れてる。


「何……言ってんだ私……」


 なんだかおかしくなってきた。

 いつから私はそんなに偉くなったんだ。彼女と自分を比べるなんて、そもそも……


「失礼します」


 その時、ノックも無しに入室してくる誰か。

 そっとそちらへ目を向けると……そこには懐かしい姿が。


「思ったより……元気そうですね」


「……あはは……そう言ってくれるのは貴方だけよ……ヴァスコード……」





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夏祭りと君企画
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