さあ、行くよ!
相も変わらずセミの大合唱で叩き起こされた。
まるでセミが「起きろ、早く起きろ、さもなくば鼓膜を破るぞ」と言っているようだ。
セミの脅しに屈するようで不満だが、今日はもう起きなければならない。
何せ本日は……
「兄ちゃん……! いつまで寝てるの! 早くおきなさい!」
鼓膜を破りにかかったのはセミでは無く、妹の方だった。
俺の部屋へ突然突入してきたかと思えば、ベッドに上がり大声で鼓膜破りを炸裂させる。
「……ぅ、杏……今何時……?」
俺は腹の上に跨る妹へと時刻の報告を求める。
むむ、杏さん……なんかもうリュックサック背負って……
「もう八時だよ! 早くしないとバス行っちゃうよ!」
八時……?
あぁ、ハチ公の八時か。ちなみに名犬ハチ公は秋田犬である。
俺は数年前までハチ公はハチ公という犬種だと……
「ってー! 八時?! 不味くないか! 妹よ!」
「だから起こしに来たんだよ! もうとっくに準備してると思ってたのに!」
上体を起こし、妹を抱えたままベッドから降りる俺。
そのままコアラの如く抱き着いてくる妹と共にリビングへと。
するとそこには準備万端の親父の姿が。
「おはよう、宗吾。早く支度なさい。あと五分以内に出ないと、杏は二度と君と口を利いてくれないだろう」
「お、おはよう……って、何を恐ろしい事を落ち着いて言っとるんだ! そんな事になったら俺は生きていけない!」
「ならば急ぐのだ。駅に向かうバスに乗り遅れたら全てが終わる」
あくまで落ち着いて言い放つ父親へと杏を託しつつ、高速で着替えながら歯磨き。そのまま顔を洗い寝ぐせを直し、予め用意しておいた最低限の荷物を装備。ここまでジャスト三分。
「待たせたな! 行くぞ杏に親父!」
「出発だー!」
「こらこら、走ると転ぶぞ、二人共」
勢いよく玄関から飛び出す俺達兄妹。親父は玄関の施錠をしつつ、最後の持ち物チェックを。
普通それ、施錠する前にしないか? 何か忘れ物があったら……
「ぁ、ゆで卵にかける塩忘れた」
「んなもんマジでどうでもいいわ! 何処でも買えるだろ! 俺が言えた義理じゃないが急ぐぞ! 親父!」
バスに乗り遅れれば杏に一生絶交されてしまう! そんな事になったら……お兄ちゃんはもう終わりよ!
「お父さんはな、ゆで卵にかける塩が無いと……若干態度が冷たくなるぞ」
「大丈夫だ、杏が冷たくなったら俺も親父も南極大陸探検隊に強制送還だ! 急げ!」
渋々親父は塩を諦め、バス停へと向かうべく小走り。
バス停は目と鼻の先だ。まだ幸いにもバスは来ていない。
「お、今から行くの? いってらっしゃいー」
一瞬一秒でも急ぐ俺達の前に、隣のオッサ……お兄さんが!
勿論左衛門も一緒だ。
「いってきます! チケットあざっす!」
「あざっす!」
俺と杏は超適当にお礼を言いつつ、オッサ……お兄さんの前を駆け抜ける!
しかし親父は丁寧に頭を下げつつ、改めてお礼を……親父急げ言うとるやろ!
「あはは、いえいえ、気にしないで下さい。本当に余っただけなんで。楽しんできてくださいー」
「はい、行ってまいります。お土産買ってきますので」
そのまま俺達は隣のオッサ……お兄さんに見送られつつ、バス停へと向かう。
奇跡的に間に合った俺達は、とりあえず安堵の溜息を吐きながらバスへと乗車した。
さあ、人生初の家族旅行だ。存分に……楽しもう。
「……例の家族がそちらに向かった。作戦を開始せよ」
『了解』
※
バスでニ十分程走り、終点の駅へと。
この街で唯一にして最大の駅だ。ちなみに目的の遊園地は隣の県にある。
そこに行く為の専用の電車があり、しかもその電車は完全予約制。乗り遅れたら次の予約など取れるかどうかも分からない。何せ今はお盆で、これから乗る電車の予約を取れた事自体が奇跡に近いのだから。
「うわー、人が一杯だよ、兄ちゃん!」
「うむ、圧巻だな、我が妹よ」
しかしここまで来れたらもう安心だ。電車が出発するまであと十五分程度余裕がある。塩を買うなら今だぞ、親父。
「……宗吾よ、今お父さんは宣言した通り少し冷たい態度のお父さんだ。さあ、君はどうする?」
「杏、親父は冷たいらしい。口を利かない方がいいぞ」
「分かったー」
快く承諾する杏に愕然とする親父。まるで審判の門で地獄行きを言い渡されたかのようだ。
そんな顔するくらいなら態度改めよ。俺達にとって杏が正義よ。
「うぅ、杏ちゃん、お父さん改心するから……また楽しくナゾナゾでもしようじゃないか」
「……」
しかし杏は親父をガン無視。
あぁ、親父可哀想。折角会社に無茶言って盆休み貰ったのに。
仕方ない、ここは助け船を出してやろう。
「杏、遊園地で好きなグッツを選ぶがいい。今日は何でも買ってくれるぞ、親父が」
「むふぅ、お父さん大好き」
我が妹ながら、なんて世間の渡り方を熟知している子なんだ。
しかし親父も満更でもない様で、仲良く杏と手を繋いで駅のホームへと。
少し冷たい態度の親父は何処に行ったんだろうか。塩なくても大丈夫か?
※
電車がホームへと到着し、俺達は人混みの中で揉まれながら乗車。
そのまま自分達の座席へと番号を確認しながら進む。
「えーっと……J-E8……お、あった、ここ……」
と、目的の座席を見つけた俺達は固まった。
なんとそこにはシロクマが鎮座していたから。
「……兄ちゃん、シロクマさんが私達の席を占領してる」
「あぁ、分かっているが落ち着け杏。落ち着いたら……番号を今一度確認だ」
再び切符に表示された番号を確認。しかし何度確認しても、今まさにシロクマが座っている席が俺達の席だ。なんてこった、どうしよう。
いや、どうしようも無い。このシロクマは席を間違えているんだ。ちゃんと教えて差し上げねば。
「あ、あの……座席間違えてませんか?」
俺は勇気を持ってシロクマへと話しかける。
シロクマはサングラスにハーフパンツ、そして『PON! TANUKI!』とプリントされたTシャツを着ている。
「むむ、もしかして君達が……金鳥さんご家族?」
シロクマはサングラスを外しつつ、席を立ちお辞儀してきた!
なんて礼儀正しいシロクマなんだ! 俺達も釣られるようにお辞儀を返す。
そして本当に今更だが、俺達の姓は金鳥。
設定が適当すぎる作者に是非苦情をお願いしたい。
「いやー、どもども。私シロクマと申します」
見たまんまだな
シロクマはそのまま名刺を親父へと渡しつつ、俺も後ろからその名刺を覗き込んだ。
むむ、アス重工……サービス部門……?
アス重工とは今から行く遊園地を経営している会社だ。
このシロクマはそこの社員という事か。
「藤間さんから連絡受けてましてね。自分の代わりに隣人の一家さんに行ってもらうって。あれ、私の事聞いてません?」
俺達三人は顔を見合わせつつ、誰も聞いてない事を確認。
あのオッサ……オッサンめ! 何も聞いてないぞ!
「あらー、主要な株主には私共みたいな人間が案内人に付くんですよ。藤間さんお茶目な所あるから……わざと黙ってたのかな?」
主要な株主……?
あのオッサン、そんな凄い投資してるのか? 見た感じ、フラフラと遊んで回ってるダメ大人なのに。
「まあ、なにはともあれ……こうして出会えて良かったです。ぁ、席どうぞ」
そのままシロクマに勧められるがままに着席する俺達。
しかしシロクマは何処に座るんだ? 座席は確かに四人分あるが、シロクマは余裕で二人分のベンチシートを埋める程にデカイ。
「シロクマさん、座ってー」
すると妹は妙案があるのか、シロクマを俺と親父の向かい側に座らせる。
そしてそのまま、シロクマのフカフカ膝へと鎮座する杏。おい、それいいのか。
「アハハ、可愛い娘さんですねー。おいくつですか?」
「今年で八歳です。ところでシロクマさん、その状態でこのまま?」
「そうしたいのは山々ですが、私の席はちゃんと取ってあるので……ごめんよ、シロクマはそっちに移動するから」
大変申し訳なさそうに、シロクマは妹を抱っこしつつ膝から降ろし、自分が予約していた席へと向かうべく立ち上がる。
「それでは詳しい話は現地に着いてからという事で。では良い旅を~」
のっしのっしと歩きながら自分の座席へと向かうシロクマ。
なんなんだ、一体。案内人が居るなんて聞いてないぞ。しかもシロクマて……。
「親父……あのシロクマ……FDWだよな?」
「まあ、普通のシロクマが人語を話すというのは聞かないからな……たぶんそうだろう」
「……えふ……でぃーだぶりゅ?」
不思議そうに俺と親父の会話に首を傾げる杏。
むむ、まだ学校では習ってなかったか。
「兄ちゃん、えふでぃーだぶりゅって何?」
「FDWだ。人権を持ったAI……いや、これは差別用語だったな……。えーっと……要するにロボットだ。でも俺達と何ら変わらない人達だからな」
AI……人工知能と呼ばれる存在に人権が与えられて一世紀が経とうとしている。
しかし未だ彼らの存在には違和感を隠し切れない。だってシロクマの義体に入ってる奴とかいるんだから……。
「あのシロクマさんは俺達に挨拶する為にここに座ってたのか。っていうか、あのオッサンは何でその事を黙ってたんだ」
ドカっと背もたれに体を預けながら文句を垂れる俺。そんな俺を、親父はコラコラと宥めてくる。
「オッサンだなんて失礼だぞ。藤間さんのおかげで格安で家族旅行に行けるんだから。シロクマさんは……まあ、サプライズか何かじゃないか? 藤間さんって結構……イタズラっ子だから……」
三十代前半を捕まえてイタズラっ子って……。
そういえば親父は藤間さんと結構付き合い長いんだったな。
何せあのオッサンは亡くなった母親と昔一緒に仕事してた仲だし……
「親父よ、藤間さんとお袋って……どんな関係だったんだ?」
「どんなって……母さんが先輩で、藤間さんが後輩だったのだよ。ちなみにその間に入って母さんを奪ったのが……何を隠そう、この父だ」
何ぃ?!
え、それって……三角関係だったって事か?!
「まあ、そうなるのかなぁ……母さんに一目惚れして、勢いでプロポーズして……」
おおう、親父……やりおる……
「藤間さんの事は……未だに良く分からないのだよ。あの時、母さんに恋愛感情を持っていたのかどうか……」
それは……恋愛感情なんて持ってる筈ないだろ。
もしあのオッサンがお袋に惚れてたら……隣に住んでる筈が無い。
惚れてた女の家族に遊園地の優待券など渡すわけが無い。
あんなに……笑顔で遊びに来れる筈が無い。
親父は藤間さんの事は良く分からないと言いつつも、何処か悲しい顔をしていた。
まるで戦場に散った仲間を想うように……。
同じ想いを抱いた者同士として……。