報
けたたましく鳴り響く電子的な警告音は、何度聞いても心地良いとは思えない。
まして、音の出所が自分の頭の中であればなおのことだ。
この音が頭の中で響くたびに。
ニューロンネットワークを利用し、専用のチップで脳をデバイス化する施術を。非常に便利になるだけで何一つ問題はないと、強く進めてきた担当医の頭に。お礼とともに、特大の目覚まし時計を詰め込んでやりたいと士郎は思う。
今の仕事を始めた時に、異空間適合手術のついでに入れ込まれたのだが。
今からでも頭蓋をこじ開けて、チップを引きずり出せないだろうかなどと考えずにいられない。
最高に不愉快な気分で、しょうもないことを考えながら。
士郎は目を覚ました。
出張から帰ってきて、つい先ほど寝たばかりの人間に対してずいぶんな仕打ちだ。
しかも着信は義弟からだが、この音は良くないやつだ。
うちの良くできた義弟は、俺がこの音を嫌っていることを知っている。
普段の着信は気を使って、穏やかな川のせせらぎだとか、鳥の声だとかそんな音で送ってくる。
ありがたいことだが、つい気付かずに放っておいたり。
今回のように寝ているときに着信したせいで、ヒーリングミュージックよろしく、深い眠りに入ってしまったりで、まともに返信できないでいたら。
緊急の案件や、重要な知らせは、この不愉快な音で送ってくるようになった。
以来、バッチリ対応できている。
とりあえず、いつまでも聞いていたい音ではないので、視界に表示されている呼び出し表示を目線で操作して着信を受けた。
『おはよう、士郎。よく眠れたかい?』
「おはよう・・、いつからそんな嫌味を言うようになったんだ。」
『嫌味?』
「別世界帰りで、ついさっき寝たばかりだぞ。良く寝れたわけがあるか・・・」
『並行世界から帰ってきた後、十時間以上何してたのさ?』
「十時間?」
『今は朝の8時だよ。』
義弟が映る窓を横にどかして、時計を呼び出してみる。
確かに、朝の8時だ。
『よく眠れたかい?』
「ああバッチリだ、体はな。頭に栄養をやりたい、一服させてくれ。」
『じゃあ、吸いながらでいいから聞いてくれ。』
士郎は枕元の引き出しを開け、少し迷ってからメンソールを手に取り、火をつけた。
フィルターのブースターを噛み砕くと、ツンと後頭部に痺れるような刺激が走る。普段は混ぜ物のないタバコを好んで吸っているが、朝のこの瞬間だけは、ミントの刺激が恋しくなる。
『並行世界ツアー中の旅行者がコンダクターを殺害して逃亡した。』
「あぁ・・・ミントの爽快感が、台無しだ。」
心なしか、肺の中の煙も重さを増した気がする。
『僕もできれば朝からこんなトピックを提供したくはなかったよ。』
脳みそを煙で洗うつもりで、士郎は大きく息を吸い込んだ。
炭酸のような刺激を期待したが、後頭部からは重く分厚い寺の鐘のような鈍痛が登ってくる。
「あいつら、護身用に銃をもってなかったか?」
『盗られたそうだよ、パイロットはその銃で無力化されてる。』
「お粗末すぎる、冗談にしか聞こえん・・。」
『僕もそう言ったけどね、残念ながら本当みたいだよ。』
「他の従業員や、客はどうした?」
『個人旅行らしい、付き添いはコンダクターだけ。パイロットは送り届けたら帰ってくる予定だった。』
「おいおい。」
並行世界旅行は金がかかる。
同じ時間だけ移動するにしても、ただの飛行機と時空間航行船では桁が二つは変わる。
そのため、似た目的を持った人を募り、旅費を分散して負担を減らすか。パッケージツアーとして企画された旅行に参加し、オプションを除けば、決められた金額で済むようにするのが普通だ。
というより、そうでなければ大概の人は手が出せない。
パッケージツアーに参加する人間は、並行世界旅行をちょっと高価な海外旅行として楽しんでいる場合がほとんどだ。
反面、参加者を募るタイプの旅行は、自由度が高い。
当然限度はあるが、決められたルート以外絶対に通ることのないパッケージツアーと違い、参加者の希望によって移動先や宿泊先が選べるので。向こうでなにかやりたいことや、見たいものがある人間はこの方法をとることが多い。
個人旅行は、このタイプの究極形だ。
金はかかるが、完全に自分の希望に沿って旅行計画を立てることができる。
「コンダクターは、その旅行者が選んだのか?」
『送られてきた資料を見る限り、そうみたいだね。パイロットも指名してる。』
「そこも計画の内か、ってことは首輪も・・。」
『外されていたみたい。士郎・・やっぱりコンダクターとパイロットは。』
「懐柔されてたんだろうな。パイロットは死んで無いんだろ?」
『まだ事情聴取は出来てないみたい。』
「まあ話が聞けるようになればはっきりするが、首輪の鍵を持ち出してる時点でほぼ間違いないだろ。」
並行世界の旅行者には、セーフティーチョーカーという、着用者の身体や心理の状況をモニターし、必要とあらば各種投薬治療を遠隔でおこなうことのできる装置の着用が義務付けられている。
名前の通り、未知の世界で着用者の命を守る大切な器具だが。
同時に、着用者の位置情報を常に送信し、万が一にでも並行世界で大きな問題を起こさないよう監視する役割も担っている。
全天カメラとマイクも仕込まれているため、法的な措置が必要な場合の証拠としも機能し、必要とあらば薬の一部で着用者を無力化することもできるため。その用途とお役所仕事で雑なデザインから、関係者の間では専ら首輪と呼ばれている。
この装置は出発前にコンダクターの手で取り付けられ、ツアーを終了し元の世界に戻ってくるまで外されることはない。外すための鍵は公社の金庫で保管する規則だ。
つまり通常、コンダクターが鍵を船内に持ち込むことはない。
「絵に描いたような不祥事だな、こういう事態にしないために親方日の丸でやってたんじゃないのかねえ。」
『その点については、改善するよう管理部に要請を出しておいたよ。まあ、流石に何かしら対策はするだろうと思うよ。』
「どうだか」
言いつつ、士郎は二本目のタバコに火をつける。
今度は頭を刺激する爽やかな風味は無く、代わりにジワリと染みるニコチンの快楽に身を任せる。
正直なところ、公社の不祥事は士郎にとって大した問題ではなかった。
むしろ問題なのは、首輪が外れたことだ。
「客が逃亡してからどれくらいたった?」
『2時間は過ぎてるね。』
「まだ間に合うな。」
そう言うと士郎は寝間着代わりに着ていたシャツを雑に脱ぎ捨て、風呂場に向かう。
通話していた義弟に身支度を済ませてすぐに向かうと伝え通話を切ると、残りの衣類を脱ぎつつ送られてきた資料に目を通す。脱いだ衣類を洗濯機に放り込み、普段から熱めに設定しているシャワーを浴びると、気持ちが仕事へ切り替わっていくのを感じた。
体に熱が入れば役目は十分だ、士郎は手早くシャワーを切り上げ体を拭く。
スラックスとワイシャツに着替え、つける必要を感じさせないくらい緩く巻いたネクタイを垂らしていても、公社が用意したそこだけ妙に整ったジャケットを羽織れば、格好だけは公社の人間に見える。
一応彼も公務員だ、正直趣味じゃないが、制服が支給されている以上着ないわけにもいかない。
ただし、胸のあたりに付いていた公社のエンブレムが入ったクソダサいワッペンは、支給されたその日に引き千切った。義弟にこっぴどく叱られたが、引き千切った後のいびつな個所をその日のうちに繕ってくれるあたり、やはりあいつは良くできた義弟だ。
ドライヤーを使っていると、ピーンという音とともにメールの着信を知らせるウインドウが視界の端に出てきた。視線でメールを開き、髪を整えながら目を通す。
「まったく、出木杉君だな涼は。」
通話の後、士郎の船が緊急発進出来るよう、発艦手続きをとってくれていたらしい。
割り込まれた3番ゲートの旅行者には申し訳ないことだが、急ぐ必要があるためここは勘弁してもらおう。
身支度を整えた士郎は、ガレージに向かい愛用のバークルに乗り込む。時空間航行可能な乗り物としては最も小型で、陸・空・低深度なら海まで行ける多様さが売りの機体だ。バークルという名前は、汎用性が高いという意味でVersatileと乗り物のvehicleを合わせた造語らしい。
卵を潰したような形状の機体は、車輪を出していれば奇抜な車に見えるし、並行世界の技術深度によっては飛び回ることもできる。現地に溶け込みつつ活動を行う必要のある士郎にとっては心強い相棒といったところだ。
専用のキーを取り出し、エンジンに火をつける。バークルは燃料電池と予備動力に疑似生体炉を乗せているものが一般的だが、士郎はより現地の技術環境に溶け込みやすいという理由をつけて、ガソリンエンジンを予備動力に選んでいる。
しかしそれが建前であることは、メイン動力であるはずの燃料電池をゲート通過後の時空間航路でしか使用していないことから明らかだ。燃料電池の連続稼働時間が平均3日を超える今、わざわざこの世界の一般道でガソリンを使用する意味など、趣味以外ありえない。
心地良いエンジン音と車体の振動を感じつつ、士郎はバークルを滑らかに発進させた。
ほぼ同時にかかってきた義弟からの2度目の着信は、川のせせらぎだった。
出来れば、一度目の着信をこの音でやり直してもらいたいものだ。
『士郎、メールは見てくれたみたいだね。』
「ああ、出木杉君。おかげでスムーズに出かけられそうだ。」
『誰だいそいつは?』
「アーカイブスで見た漫画の偉人さ。」
『あとでタイトルをメールしといてほしいけど、とりあえず今は急ごう。』
「1368号だったな、こいつなら2時間で行ける。」
『発着場まで30分かかるから、向こうにつくのは首輪が外されてからざっと五時間後になるね。タイムリミットまでよくもったとしてもプラス5時間ってところだ。』
人の技術は並行世界を観測し、そこへ旅行に行けるほど発展した。
しかし、人の体はその発展に追いつけるほどに進化できていない。
「わかってるさ、さっさと捕まえて豚箱に放り込んでやる。」
並行世界は、こちらの世界の可能性だ。そこに渡った旅行者は、徐々に環境に慣れ、元の世界と並行世界の境を失い、自分がいるべき本当の世界がわからなくなる。
その対策として、首輪から装着者の体内へ、事前に採取した当人の血液をこの世界から常に一定量転送して投与している。自分が本来いるべき世界との繋がりを持つことで、居場所を見失わないように。
首輪を外すということは、この世界との繋がりを断ってしまうことに他ならない。
しかも、並行世界で普通に生活していけるのであればまだいいが、世界は異物である別時空間の人間を許容しない。
結果繋がりを失い、自分の居場所を見失った人間は、世界から拒絶され。
やがて、すべての世界から訪問者とみなされる。
そうなってしまえば、もはや後戻りはできない。
永遠にすべての世界に長くはとどまれない存在となり、幽鬼のように時空間をさまよい続ける。
首輪を外してから、元の世界との繋がりを完全に失うまでに個人差はあるが、だいたい十時間前後といったところだ。
「豊口隆だったか、目的はわからんがビジター化だけは絶対に阻止させてもらう。」
『士郎・・・。』
士郎は操縦するバークルのギアを上げる、早朝の静かな高速道路に、耳慣れないエンジン音が響いた。