083「降霊の日の朝」
初恋は、叶う方が良いものか、叶わない方が良いものか。それが問題だ。
*
テオとドミニクが、ビュッフェで朝食を摂っている頃のこと。珈琲館では、アランが朝食を用意する傍らで、クロエが昨夜の出来事をエマに話している。クロエの手には、小さな香水瓶が握られている。
「でね。この小瓶が、フワァ~って光って、中からキラキラした妖精さんが出てきたの」
「へぇ。ずいぶん小さな妖精さんなのね」
「身体はちっちゃいけど、大人っぽくてね。お姉さんって感じだった。で、背中に羽根が生えてて、飛べるのよ」
「そうなんだ。私も、妖精さんに会えるかな?」
「きっと会えるわ。今度会ったら、エマにも教えてあげる。――あっ、美味しそう!」
アランがオーブンからベーコンとほうれん草のキッシュを取り出し、調理台に置いて切り分けはじめる。すると、クロエは小瓶をカウンターに置いて両手をつき、イスの上で膝立ちになって香ばしい薫りの元を覗き込もうとする。
身を乗り出しているのに気付いたアランは、六等分にした包丁を調理台の端に置き、次いでクロエの肩に手を置いて席に着かせながら注意する。
「そんなに注目してなくても、キッシュは逃げないよ。ちゃんと座りなさい」
「はぁい」
クロエがカウンターチェアに座り直すと、アランは切り分けたキッシュを二枚の白い皿に一つずつのせ、フォークとともにエマとクロエの前に置く。
「美味しそうですね。先にいただいても良いんですか?」
「構わない。僕は、あとでマリーが来たときにいただくから」
「それじゃあ、遠慮なく」
「いただきま~す」
エマとクロエがキッシュを食べ始めたのを見て、アランは飲み物の準備を始めようとした。が、ティーポットと茶葉を用意したところで、あることを思い出す。
「あっ、そうそう。今日は降霊の日だから、コーラスはお休みだからね」
「うん? えっと、コーレイの日って、なんだっけ? エマは知ってる?」
「私も知らないわ。――何の日なんですか?」
「エマくんが知らないとなると、オレンジシティーだけの風習なのかな。もののけやお化けに仮装した子供たちが、オレンジのカボチャをくりぬいたランタンを持って、お菓子を貰いに家々を訪ねる日だよ。――昨年、ネコの格好をしてボンボンやビスキュイを貰っただろう、クロエ。覚えてないかい?」
「あぁ、そうだったわ。『ローソク一本、入れてくれ~。入れなきゃ頭に噛みつくぞ~』って言うのよ」
「まぁ。ずいぶんユーモラスなお化けなのね。――ローソクをねだるのに、入れるのはお菓子なんですね」
「ランタンを持ったお化けに扮してるけど、中身は子供だからね」
和気あいあいと会話を楽しんでいる三人であったが、住居スペースの方からゴーン、ゴーン、という柱時計の鐘の音がする。
「あっ、しまった。そろそろ行かないと、遅刻になるよ」
「あっ、いけない。ごちそうさま。行ってきまーす」
「待って、クロエちゃん! ――ごちそうさまです」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
急いでキッシュを口に入れて店の外へと走り出すクロエを、エマは幼年学校の上着とカバンを持って追い駆ける。その後ろ姿を見て、アランは静かにフッと笑みをこぼすと、淹れ損ねた紅茶の用意を片付け、替わりにマキネッタを取り出した。