081「ひと通り揃った不自由さ」
少年少女期の体験はチョコレートに似て、スイートな人もいれば、ビターな人もいる。
*
窓の外、遠くに黒煙をはきながらターミナルに入線する汽車が見える、ホテルの最上階を独占するスイートルーム。
燦燦と朝日が降り注ぐ天蓋付きのベッドでは、白髪をオールバックに撫でつけた初老の男が側に立ち、ふかふかのマットレスの上で半身を起こした少年にスケジュールを告げている。
少年は、寝ぼけ眼をぶかぶかのガウンの端でこすりつつ、片眉をつり上げ、心底めんどくさそうに聞いている。
「苦学生だった旦那さまとしては、ですな。アー、坊ちゃんには、頭の柔軟なうちに、ぜひとも本物の芸術、一流の文化に触れておき、しかるのち、後継者として教養ある大人物に」
「ふあ~」
「聞いているのですか、ラファエル坊ちゃん?」
「史跡巡りに行くんだろう? 聞いてるって。アレッ、手袋は?」
羊のような角と触り心地の良さそうなカールヘアを揺らしつつ、ブランケットや枕の下を探すラファエル少年。しまいには、ベッドの下へと潜り込もうとする。
男は、あきれ顔で少年のガウンの後ろ襟を掴み、毛足の長い絨毯とスリッパを覗き見ている少年を引き起こすと、懐から真新しい手袋を取り出し、サイドテーブルに揃えて置きつつ、ひとこと注意する。
「コチラをお使いください。まったく。お休みになる前には、必ずテーブルに置いておくようにと、何度も申し上げているではありませんか」
「手袋を外すのもイヤになるくらい、あちこちに連れ回してるのは、どっちだよ」
「言い訳は結構ですぞ。朝食の時間になりましたら、また呼びに参りますので、それまでにお召し替えを済ませておくように。今朝のお召し物は」
またしても長広舌がふるわれると予感したラファエルは、姿見の横に立っている木製のマネキン人形と、それが着ている洋服一式を、袖先をぶらぶらさせて指差して言う。
「あの通りに着れば良いんだろう? 分かったから、早く部屋を出ろよ」
「お分かりなら、よろしいのです。では、のちほど」
胸に片手を当てて厳かに一礼すると、男は足音も立てずに静々と部屋をあとにした。
「さて。仕方がないから、着替えるか」
不満そうにつつ、少年はベッドから降りてスリッパを履くと、マネキン人形に近付きながらスルスルとガウンを脱ぎはじめた。少年の身体には、まだ他に秘密が隠されているのだが、それについては、のちのちにお話しよう。