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【番外編】「ロストバゲージ」

 自分では常識だと思っていることでも、時代や場所が変われば、非常識とされることがある。


  *


「あらまぁ、キレイなお嬢さんだこと。やるじゃないか、パスカル」

「勘違いしないでくれ。手違いで荷物だけ先に運ばれちまったから、次の汽車が来る夕方まで部屋で待たせてやるだけだ。――まぁ、あがれよ」

「お邪魔いたします」


 パスカルと同じ赤毛の女が、玄関前に立つパスカルとイザベルを見て喜び、ドアを広く開けて家の奥へと案内する。


「どうぞどうぞ。とっても狭い所だけど、掃除だけはしてあるから。――何かお菓子でも買ってこようか?」

「いいから、ほっといてくれ」

「お構いなく」

「あら、そうはいかないわよ。あとで飲み物を持って行くわ」

「わかったから、向こうに行ってくれ。――部屋は二階だから、先に上がっててくれ。階段は、この先を左」

「左ね。わかったわ」


 イザベルが廊下を奥に向かうのを目で追いつつ、パスカルは女の背中を押し、右手にある台所へと隔離する。


  *


 ベッド、ビューロー、イスの三つ以外に、これといった家具の無い小ざっぱりとした部屋で、イザベルとパスカルの二人は、キルトのカバーのかかったベッドの端に並んで座りながら、何気ない会話を交わしている。二人の手には、オレンジジュースの入ったグラスが握られている。


「下にいらしたのは、お母さま?」

「まさか。俺とは遠縁の親戚だよ。あれでも、もう還暦を過ぎてるんだ」

「まぁ、お元気ね」

「元気過ぎて困っちまうよ。こっちには仕事で来てるのに、早く彼女を作れってうるさくてさ」

「あら? まだ若いのに、観光や留学ではないのね」

「あいにく、俺の家は裕福じゃないからな。それに俺の下には、まだ四人も弟たちがいるんだ。まぁ、頭は悪くない方だったけど、学校には馴染めなかったから、好都合だよ」

「ふぅん、五人兄弟なのね。さぞかし、賑やかではなくて?」

「ガキどもがギャーギャー喚いてばかりで、騒々しいだけだよ。そっちは、一人っ子なのか?」

 

 事も無げにサラッと言ったパスカルの言葉に対し、イザベルは返事に詰まり、少し憂えがちに俯きながら言う。


「そうね。今は、ひとりよ」

「あっ。聞いちゃマズかったか? 言いたくなきゃ、言わなくたって……」

「良いの。聞いておいて言わないなんて不公平だし、ずっと誰かに話したいと思ってたもの」


 そこまで言うと、イザベルは一拍置いてから、静かに語り出す。


「あのね。私には、テオに似た兄が居たの。テオと同じように青い髪をして、テオと同じようにスマートで、テオと同じように優しかった。テオに惚れたのは、無意識に兄と重ねて見てるのかもしれないわ。でも、いつまでも執着してられないわよね」

「そう、だったのか」

「ゴメンナサイね、こんな暗い話をして。さっさと忘れてしまわなきゃいけないのに」

「忘れる必要は無いだろう」

「えっ?」


 思わぬ言葉に、イザベルは驚いてパスカルの方を向く。パスカルは、自分の胸を拳でトントンとノックしながら言う。


「あんたの兄貴に何があったかは知らないし、そこまで聞きたくもないけど、大事な思い出なら、胸の中に鍵をかけてしまっておけよ。無理に忘れようとしたって忘れられないし、そんなことしたら、兄貴が悲しむじゃないか」

「そうね。でも、それじゃあ、前に進めないんじゃなくて?」

「そんなことないだろう。過ぎたことは過ぎたこととして覚えておいて、また新たに楽しい思い出を作れば良いんだ。簡単なことじゃないか」

「そう、ね。そうだわ。その通りよ」


 イザベルは、言い聞かせるように繰り返し頷くと、ふたたびパスカルの方を見た。パスカルもまた、イザベルが元気を取り戻したのを見て安堵し、快活に笑ってみせた。

 二人の間に、なんとなく良いムードが出来上がりかけたところである。が、いささか場所が悪い。


「サブレーが焼けたわよ!」


 この女、パスカルの恋路を応援したいのか、それとも邪魔したいのか、よく分からない存在である。


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