079「ある夜の幻想」
妖精なんか居ないと言ったら、本当に消えてしまうのかな。
*
「おやすみ、クロエちゃん。いい夢見てね」
「おやすみ。エマもね」
ここは、窓辺にレースのカーテンが引かれ、ファンシーな猫のぬいぐるみが飾られている、少女趣味でコケティッシュな一室。言うまでもなく、クロエの部屋である。
エマが部屋の明かりを消して部屋を出たあと、クロエは月明りだけがほのかに差し込む中で、右に左にと寝返りを打っては、睡魔がやってくるのを待っていた。が、いつまで経っても眠くならないので、小声でブツブツ呟きはじめた。
「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……」
退屈なことをしてるうちに寝てしまうだろうという、昔からの定番だが、百匹を超えると、何匹数えられるか、何匹数えたかと思い、挑戦と記憶で脳がはたらき出し、かえって目が冴えてしまう代物でもある。
そんなこんなで、クロエが十七匹まで羊を数えたときのことである。
「羊が、……あれ?」
ベッドサイドにあるテーブルに、いつの間にやら、季節外れの蛍のように光る小さな香水瓶が置かれていることに、クロエは気付いた。ちなみに、瓶の下には絵本が置いてある。
「変ね。エマにご本を読んでもらったときは、あんなの無かったのに」
率直な疑問を口にしつつ、クロエはブランケットをはねのけながら身体を起こし、ベッドからカーペットの上に着地すると、スリッパを履くのも忘れ、かすかな淡い光を灯したり消えたりしている小瓶の方へと向かう。
「何が入ってるのかしら?」
そう言いながら、クロエは何の躊躇もせずに、小瓶の口にあるガラスの栓を引き抜いてしまう。
すると、小瓶の中から七色の光が溢れ出し、中から大小四枚の羽根が生えた小人が姿を現す。
「ふぁ~、よく眠ったわ。あら? 今度も女の子なのね。へぇ~。可愛い子だこと」
「あっ、わっ、えっ」
キラキラと彗星のような残光を残しつつ、クロエの周りをクルッとひと巡りすると、小人は絵本の角に腰掛け、慌てふためくクロエを見ながらクスクスと笑いながら言う。
「まぁ、そこに座って落ち着きなさい。今から、説明してあげるから」
「あぁ、はい」
頭の中に次々と疑問符を浮かべつつも、クロエは言われた通り、ベッドサイドにチョコンと腰を下ろし、話を聞く体勢になる。
「良い子ね。それじゃあ、まず、私の正体を教えておくわね。私は、初恋の妖精なの」
「ハツコイ?」
「そう。もうすぐ恋が始まるぞって子がいたら、その子の恋が叶うように応援するのが、私の役目なの。わかるかしら?」
「う~ん、よく分かんないわ」
小首を傾げてコメカミに人差し指を添えつつ、クロエが何から質問して良いか悩んでいると、小人はクロエの顔のそばへと飛んで移動し、そのまま小さな肩に座りながら、耳元で囁く。
「今日は、もう遅いからおやすみなさい。明日、またお話してあげるわ」
そう言うやいなや、小人は七色の光とともに、まるで煙か陽炎のように姿を消してしまう。
クロエは、しばらく茫然としていたが、やがて気を取り直し、握ったままだった小瓶を猫のぬいぐるみの前足に持たせるように置き、小さくあくびをしながらベッドにもぐりこんだ。