090「許されぬ関係」
オムレツを作るためには卵を割らなければならないように、何かしらの思い切ったアクションが必要になるケースが、否が応でも、人生には何度かやってくる。
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月の明るい夜のこと。窓辺に立つラファエルは、手首にあるボタンを外して手袋を脱ぎ、揃えてテーブルの上に置いた。
そして、月明りの下で生身の右手と義肢である左手を見比べつつ、おもむろにグーパーと閉じたり開いたりする。左手は、右手と遜色ない動きをしている。
「他人に見せれば、必ず気味悪がられるか、憐れまれるかの二択だと思っていたのに。あのクロエという子ときたら、どうやって動かしてるのか、だの、眠れないときは自分を数えるのか、だの、次から次へと質問を投げかけてくるんだからなぁ」
誰にともなく胸のうちを呟いていると、静かにドアが開き、三本のローソクを灯した燭台を持った執事が現れ、ラファエルに注意する。
「困りますな、坊ちゃん。夜更かしされては、明日の公務に差し障りますぞ」
「うるさいな。いま、寝ようと思ってたところだ」
忌々しげに言い返しつつ、ラファエルはスリッパを脱いでベッドに潜り込む。そのあいだに、執事は手袋の横に燭台を置く。
「良いですか、ラファエル坊ちゃん。坊ちゃんは、いずれは一国を担う大事な王子なのですからね。今日のような勝手な行動は、くれぐれも慎むように」
「分かってるさ。カフェでも、分かったって言ったろう?」
「遊びたい盛りなのは、理解できないこともないところですが、坊ちゃんは、その辺にいる庶民の子供と違うのですぞ。そのことを、よくわきまえて振舞われるべきです」
ラファエルがブランケットの中に頭を隠そうとすると、執事は、わずかに見えている角の辺りを目安に、ブランケットをずり下げて顔を露出させる。
「聞いているんですか、坊ちゃん」
「早く寝ろと言ったのは、どっちだよ」
「わかりました。では、この続きは明朝に致しましょう。おやすみなさいませ」
「おやすみ」
そう言って、執事はブランケットから手を離し、燭台を持って部屋を出ようとする。が、ドアを開けたところでハタと言い忘れたことに気付き、付け足す。
「釘をさすまでも無いでしょうが、あの町娘に深入りしてはなりませんぞ」
「はいはい。さようごもっともですよ、大先生」
ラファエルはブランケットの端から右手を出し、あっちへ行けとばかりに手を振る。そのシルエットを見て、執事はため息を吐きつつ、ドアを閉めて立ち去った。
「馬にでも蹴られてしまえ、説教爺さんめ」
足音が聞こえなくなったタイミングで、ラファエルは寝返りを打ち、窓に向かって悪態を吐いた。




