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どちらが先に撃ち抜くか

作者: 雫谷涼

 フィニア・アーグレンは浮足立っていた。

 当たり前だ。今日にしてようやく、彼女の夢が叶うのだから。


 真新しい紺の制服に身を包み、背伸びをしてみる。

 凛とした表情でいる鏡の自分を見つめながら、フィニアは決意を新たにしていた。


(……ようやく警備隊に入れたんだ。あの灰色の狼とも会えるんだ……!)


 嬉しくてにやにやしてしまうのを止められない。

 早く同じ仲間に会いたくて仕方なかった。いや、今彼女が一番会いたいのは一人だけ。「灰色の狼」と呼ばれる、警備隊で有名な射撃の達人だ。


 一体どんな人物なのだろうか。

 何よりどんな顔で、どんな声で接してくれるのだろうか。


 仕事としてこれから共に働くと言うのに、フィニアはそればかり頭に浮かぶ。

 そしてそこからきっと素敵な日々も待っているのでは、というお気楽なことまで考えてしまった。


 否、もちろんそんなのは夢のまた夢。

 そうであることは、この時はまだ知らなかった。







 一か月後。


 フィニアはげっそりとした顔になっていた。

 仕事内容が原因ではない。いやもちろん仕事が忙しいのもあるが、それはまだいい。一か月で慣れていない部分もあるし、そこは先輩がカバーしてくれる。それにフィニアの主な仕事は実践というよりは事務という名の雑用だ。だからこそ体力面で言えばましな方だろう。


 すると机に突っ伏していたフィニアを見たアン・ニコラスとイリス・ウィンは苦笑した。

 二人とも良き先輩達である。


「フィニア、大丈夫?」

「生きてるか―」


 長い赤毛を持つアンは心配そうに顔を覗き込んでくる。

 空より暗い藍色の短髪のイリスは、冗談交じりでも真面目くさった顔でそう聞いてきた。


 栗毛の髪を乱しながら、フィニアはうっすら涙を浮かべながら唸る。


「……私の仕事ライフはこんなものじゃなかったのに……」


 すると同時に溜息が聞こえてきた。

 二人ともさすが先輩だからか、遠慮がない。


「今更そんなこと言ったってどうしようもないだろ」

「まぁ誰だって驚くわよね。憧れの『灰色の狼』が本当に一匹狼だったなんて」

「それだけじゃないですよーっ!」


 思わずアンの胸に飛び込み、フィニアはびーびー泣き出した。

 そう、最初に会った時が最悪だったのだ。




 「灰色の狼」という二つ名を持つ青年、ルドルフ・イーグル。


 なぜその名なのかといえば、彼の髪が見事な灰色で、しかもどこに所属することもなく自分の手で相手を一発で撃ち抜いてしまうからであった。フィニア自身とても興味があり、どれだけかっこいいのだろうと自分の中で美化していた。そして実際会ってみれば、確かに彼は美青年に相応しい容姿を持っていた。


 長身で海より青いブルースカイの瞳。

 表情はなく真顔だったが、そんな所も逆に冷静で大人の風格が漂っていた。


 フィニアは最初、丁寧に挨拶をした。

 そして普通に自己紹介をすると思っていた。が、そうじゃなかった。


 手を差し出したところ、相手は手より先にあるものを向けてきたのだ。


「…………え」


 金属音が聞こえたと思えば、目の前に表れたのは拳銃だった。

 しかもルドルフが愛用している灰色の一点物。確か数々の偉業を成している武器ではなかったか。


 彼はそれをフィニアに真っ直ぐ向け、こう言った。


「俺には気安く話しかけるな。無駄に表情も見せなくていい。ただ仕事だけしろ。できなければ一瞬で撃ち抜くだけだ」


 この言葉でフィニアの顔が真っ青になったと言えば、誰もが頷くだろう。

 それだけ相手の言動は冷酷非情だった。




「うっ、うっ、出会ったものの数分で私の理想が呆気なく崩れるなんて……」

「無駄に期待しただけダメージでかかっただけだろ。女って生き物はそれだけ勘違いも多いしな」

「こらイリスっ」


 アンが窘めようとしたが、イリスは知らんぷりをしていた。

 だが確かにその言葉は一理あるかもしれない。どうしても二つ名ばかりが歩いてしまい、本来のルドルフとは似ても似つかないイメージができあがってしまったのだ。容姿はそれなりに良いと思うが。


 だがアンは励ますようにフィニアに言った。


「でもフィニアがルドルフに惚れなかっただけ良かったわ」

「え……なんでですか?」


 ちらっと顔を上げながら聞けば、相手はにこっと意地悪そうな顔で言った。


「ルドルフは女の子に対しても遠慮なく撃ち抜くのよ。一体何人の人が犠牲になったことか……」

「えっ」

「あー確かに。自分の命が惜しいならほんとあいつは止めといたほうがいい」

「ええええっ!?」


 それはどういった意味なのか。

 聞きたいような聞きたくないような。


 フィニアは交互に顔を見たが、二人とも怪しい笑みを浮かべるだけで答えてくれなかった。







「はぁ、やっと終わった……」


 書類をまとめ、ようやく一呼吸置く。


 まだ慣れない雑務なので、フィニアは夜遅くまで仕事をしていることが多い。周りからは無理をしなくていいと言われていたが、それでも自分の仕事に責任は持ちたかった。そして早く一人前になりたいと思い、少し無理はしてしまうこともあった。


 外を見れば早くも太陽は寝てしまっている。

 どっぷりと暗闇に包まれ、慌ててフィニアもその場を後にしようとした。


 と、その時に背中から声がかかった。


「まだ残ってたのか」

「っ! ルドルフ隊長!?」


 慌てて敬礼をし、表情を引き締める。


 実はあの一件以来、フィニアはルドルフに対してこのように真面目な表情しか見せないようにしている。本人から表情を出すなと言われたため、命令として守っているのだ。最も、ルドルフは怖いというイメージが着いてしまったため、意識しなくても顔が引きつっていたりもするが。


 そしてそんな日々が毎日続けば表情筋は固くなり、本来のよく笑うのがトレードマークのフィニアの良さを消していたりもする。普段慣れないことをすれば身体は素直にストレスを溜め、最近やつれることも多くなった、というわけだ。


「いい。仕事は終わってる時間だろ」

「は、はい。ルドルフ隊長は……」

「さっきまで追ってた。仕留めたけどな」


 よく見れば頬や服に血痕などが見られた。

 警備隊とはいえ、この国は平和に近い。しかし、ひっそりと悪事が働いていたりもする。ルドルフは実践で動いているメンバーの一人で、激しい銃撃戦も多かったりするのだ。


「お疲れ様です。早くお休みください」

「ああ。ところで」

「はい」

「この後空いてるだろ。メシ付き合え」

「…………は?」


 思わず出た失礼な言葉に対し、叱られなかっただけありがたく思った。




(なんでこんなことに)


 一緒に入った店はよく皆で行く食堂だ。

 仕事のことも配慮してくれ、深夜まで営業していたりもする。


 そして今フィニアは、あのルドルフと共に席を並べている。


「はいお待たせ! スタミナつけるんだよー!」


 店の女主人が気前よく料理を出してくれた。

 見れば魚介類たっぷりのパスタに鶏肉のソテー、玉ねぎで作られたスープい出来立てのパンまでついている。どう考えてもかなりのボリュームだが、ルドルフは遠慮なく齧り付いていた。実践で動く分、お腹もすくのだろう。フィニアもソテーを口にする。入れたとたんに肉汁の旨みが出てきた。


「夜でも食べられるように、あっさりした味付けになってるんですね! 美味しい!」


 すると主人も嬉しそうに頷いてくれた。


 フィニアは思わず笑みがこぼれ、そのままほかの料理にも手を付ける。思ったよりもお腹が空いていたのか、手が動く。主人の料理が美味しく、食欲をそそられたからであった。あっという間に食べ終わり、フィニアは満足気に手を合わせる。


「ご馳走様でした!」


 すると隣から小さく吹き出すような音が聞こえてきた。

 はっと見れば、ルドルフは微妙に笑っている。フィニアは今まですっかり彼の存在を忘れ、素のままに食べ尽くしていた。こんな姿は見せたことがないため、ものすごく恥ずかしい。


「いや、あの、これはですね……」

「……っふ。食い意地張ってたんだな」

「なっ、そんなことはっ! 大体警備隊なんて体力勝負ですから……!」

「言い訳か?」

「ち、違いますって!」


 そう言い返すが、相手はただ小さく笑ってあしらうだけだ。

 いいように解釈されたが、図星でもあるためそれ以上は言えない。フィニアは少しだけむすっとした。そんなフィニアのことをどう思ったのか、ルドルフは頬を顎の上に乗せたまま、こう言ってきた。


「お前は笑った方がいいな。普段から笑え」

「え……。でも、仕事中は」

「仕事に対して真摯に向き合ってるのは皆知ってる。それに、」


 ちらっとこちらを見た後、ルドルフは顔を前にする。

 果実酒を飲みながら付け足す。


「毎回、眉間の皺を寄せた顔で仕事されたらこっちの気が滅入る」


 思わず顔を凝視してしまう。


 最初に表情を見せるの名と言ったのはどっちだったか。

 それに普段からそんな顔をしているルドルフに言われたくない……などと言えたらどんなに楽だろうか。少しだけ納得いかない言われ方だったが、それでもちゃんと見てくれていることだけは感謝した。そして今柔らかな表情を見て、本当はこんな風に人間じみた優しさもあるのだと、改めて知れた。


 先輩二人から恐ろしい噂を聞いたが、それもどうせ本当ではないのだろう。じゃなければ、こんな風に優しく接してくれるわけがない。


 フィニアは開き直り、相手に笑顔を向けた。


「分かりました。これからは私らしく笑います」

「ああ、そうしろ」


 そう言いながら見せたルドルフの表情は、今まで見た中で一番優しく見えた。






「フィニア」


 次の日。名を呼ばれ振り返れば、ルドルフが立っていた。


「おはようございます!」


 昨日の約束通り、フィニアは笑顔で挨拶した。

 それを見た周りがいつもと違うことに少し驚いていたが、フィニアは気にしない。昨日の礼を言いながら、自分を呼んだ理由を問いかける。


「何かありました?」

「いや。前々からお前に言いたかったことがあってな」

「なんでしょう」


 するとルドルフはある物を取り出した。

 一番最初に会った時と同じ動きで、こちらに向ける愛用の武器。


 フィニアは一瞬息が詰まりそうになったが、その後の相手の言葉にさらに驚いた。


「もし命令で俺を撃ち抜けと言えば、お前は俺に従うか?」

「……何を、おっしゃってるんですか?」

「仮に、だ。お前も今は雑務をこなしているが、いつかは実践を伴う。その際、最悪の場合は味方を犠牲にする必要も出てくる。だから」

「ならばその命令は聞けません」


 あまりにもはっきりと答えた言葉に、ルドルフは少しだけ訝しげな顔になる。

 だがフィニアは迷わず答えた。


「私はそんな状況にはならないと信じてます。それに、ルドルフ隊長は今の警備隊に必要不可欠な方です。隊長を撃ち抜かなければならない状況になったら、自分の心臓を撃ち抜いた方がましです」


 最後は苦笑しながらそう言っていた。

 すると相手はしばらく黙っていたが、ふっと口元を緩める。


「なるほどな」


 そう言いながらルドルフは銃口を自分の頭に向けた。


 フィニアが目を見開きながら「やめてっ!」と叫んだと同時に、銃弾の音がその部屋で響いた。辺りに白い煙が立ち込めた後、思わず立ったままでいるルドルフに駆け寄る。すぐさま頭を確認したが、そこには鮮やかな血の色が見当たらなかった。一瞬混乱しながら相手の顔を見れば、ルドルフは笑っている。そして手に持っている銃弾を見せてくれた。


「知り合いが作った物だ。なかなか精巧だろ?」


 見ればそれは銃のおもちゃだった。

 銃口にはたくさんのカラフルな紙テープや国旗が見える。見た目や音は本物そっくりで、まさかおもちゃだとは思わなかった。周りの仲間は安堵するかのように軽く笑っていたが、フィニアはそうもいかなかった。無意識のうちに、ルドルフの胸板を叩いていた。


「な、にしてるんですかもうっ!!」

「え。わ、悪かった」

「ほんとに撃ったかと思ったじゃないですか……! いきなりわけの分からないこと言いだして……」

「フィニア」


 名を呼ばれはっと見れば、自分の手元が濡れていた。


 安心したのか涙が溢れていて、むしろどうして泣いてしまったのか自分でも分からなくなった。慌てて拭うが、すぐには止まらない。ルドルフはしばらく黙ったままだったが、口角を上げて笑った。


「やっぱりか」

「え、な、何がですか」


 冷静にそう言われ、フィニアも冷静を取り戻して聞き返した。


「フィニア、お前実務班になったら俺と勝負をしろ」

「しょ、勝負?」

「そうだ。どちらが先に互いを撃ち抜くか、勝負だ」


 それを聞いてフィニアは顔が真っ青になった。

 なんだそのデスゲームのような提案は。


 しかしそんなフィニアの表情を気にしない様子でルドルフは続ける。


「今回は俺の負けだ。今度は容赦なく狙わせてもらおうぞ」

「え……ちょ、ちょっと待ってください!! どうしてそんな話になるんですか!? 実力から言えばルドルフ隊長の方が有利じゃないですか! そんな恐ろしい勝負を私が受けるわけっ」

「じゃあ受けろ。これは命令だ」

「お、横暴ですよ!」

「なんとでも言え。俺は引かない」


 あっさりそう言い放った後、ルドルフはさっさとその場から離れてしまった。


 一同が唖然としている中、フィニアはちらっと周りを見る。

 それに対し、周りは何食わぬ顔をして自分たちの仕事を続ける。


「……じょ、冗談じゃない……! これじゃ命がいくつあっても足りないじゃない……!」


 ようやくルドルフに対して普通に接することができると思いきや、新たな問題が出てきて頭を抱えてしまう。しかも今以上にハードだ。今はまだ雑用だからいいが、いつその実務をやらされるか分かったものじゃない。フィニアはうめき声を上げながら自分の机に突っ伏してしまった。


 それを見ながら手を動かす先輩であるアンとイリスは、小声で似たような意見を交わす。


「狙われたな」

「ええ」

「しかも初戦はフィニアの圧勝」

「でもほんとに撃ち抜かれるのは、どっちになるのかしらねぇ」


 そんなことを話すのだった。

 そしてそんな二人の会話の意味をフィニア自身が知るのは、もっと先のお話。

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