ぷりん
「ごめん………ごめんね………」
謝っている言葉とは裏腹に、彼女の表情はギラついた殺意を隠そうともしていなかった。
手に持つのは出刃包丁。一般家庭に広く普及している、誰でも使えるいつものアレだ。
それを胸の前で両手で握り締めながら、じりじりとと俺との距離を測っている。
やばい。なんだか知らんがこれはヤバイ。
彼女とは知らない仲ではないし、それは俺の料理包丁だし、ここは勝手知ったる自分の家だ。
そろっているアイテムなぞいつもの日常となんら変わりはないというのに、この危機感はなんだ。今も脳内で鳴り響いているこの警報となにか関わりがあるのか。
「………×××がいけないんだからね……」
俺に呼びかけるというより、自身に言い聞かせるような小さな声で彼女はつぶやく。そして、付せられていた瞳が俺へと注がれた。
瞳孔開きまくりの完全な臨戦態勢です。本当にありがとうございました。
「………ッ……………っ…!!」
俺は思わず落ち着けだとか、一度話し合おうだとか、そんなことを口走ったような気がする。
無駄なことだ。彼女は落ち着き払っている。
こういう手合いは完全に冷静な状態でコトに臨む。あれだこれだと手を尽くし、それでもダメで、もう一度頑張ってみるのだが、やっぱり無駄で、考えて、考えて考えて考えた末の回答結果。対象の消去。
よって、事ここにいたっての一時しのぎなど全くの無駄。
うわぁ、よく知らないが俺殺される。
自衛手段など講じる暇はなかった。
どん、と体当たりされたような感覚。腹から湧き出る俺自身。
目の前が暗くなって、はいゲームオーバー。
これ以上ないほどに地球の重力に引かれながら、俺は崩れ落ちた。
自分の急降下するHPゲージの音を聞きながら、見事目的を達成したはずなのに泣きじゃくる彼女の嗚咽を聞きながら、俺は最後にか細い吐息を漏らした。
俺はきっと、選択肢を間違えたのだった。
◇◇◇◇◇◇
なくしたもの 取り戻します
090-××××-××××
「………え?」
なんでもない国。なんでもない町。なんでもない駅のなんでもない掲示板。
そこで、なんでもない俺は奇妙な張り紙を目にしたのだった。
「なんだこれ?」
くしゃくしゃの紙に汚く殴り書きされたような文字。雨風に吹かれボロボロになっているそれは、何故だか俺の目に強く止まったのだった。
誰かのいたずら書きだろうか。それとも怪しげな宗教だとかセールスだとか、そういう類のものだろうか。
なんにしろ、ロクな物ではないだろう。こういうの、よくあるよな。
しかし、俺はその張り紙から目が離せずにいた。駅前ということもあり、周りでは朝の通勤ラッシュで人がごった返している。その中でただ一人足を俺は足を止めていた。
「なくしたもの…ねぇ…」
書き方が大雑把すぎて、よく意味が読み取れない。どこかに置き忘れた荷物などを届けてくれるのだろうか。あるいは散らかった部屋でも掃除して、懐かしの品でも掘り当ててくれるのだろうか。
「あ……まさか……アッチ系か?」
仕事に疲れたあなたに、もう一度あの青春を!とかなんとかいう回春サービスとか。
「アホらし。さっさっと学校に行こう」
余計なことに道草をくってしまった。俺はすぐに思考を取り消すと、目的地へ歩を進めた。
◇◇◇◇◇◇
「はい、そこまで。後ろの席の人は答案用紙を集めて前へ持ってきてください」
担任の一声により、教室の緊張が一瞬緩む。そしてすぐに生徒達はがやがやと騒がしくなり始めた。
やっと終わった本日最後の授業。模試だったいうこともあり、皆の開放感は一際だ。
俺としてもだいぶ精神的に楽になる。まぁ学校が終わったからとか、模試の結果がどうのこのとか、そういうものとは程遠い理由からなのだが。
「なぁなぁ。孝輔は今回の試験どうだったよ?」
今この時の話題はこれに尽きる。普段よく話しもしない級友に話しかけられ、俺は少し解いた警戒を元に引き締めなおした。馴れ馴れしいやつだ。しかし対応しないわけにもいかない。
「さぁ、別にいつも通りだと思うぞ。問題も大して代わり映えしなかったしな」
「うっわ~、さすが成績上位者。余裕の面持ちですよこれ!」
「よせって。人より多く勉強してるんだから、すこしいい点数とってもバチ当たらないだろ?」
「しかも、それを鼻にかけない謙虚さ!!お前こそキングオブ長月だ!!」
長月とは、この学園の名前である。彼は大仰な身振り手振りで受け答えした。なかなか愉快な男であるようだ。が、彼のテンションとは裏腹に、俺の気持ちは沈んでいく。面倒だ。
「ちょっと安田!!やめなさいよねアンタ」
「あん?なんだ。今俺は清水と互いの武勇を誉め称えあおうとしてるとこなんだよ。じゃますんな」
「なーにが武勇よ。あんたの点数なんて清水君の足元にも及ばないわよ、バカ」
「なにおぅ!!」
面倒なのがもう一人増えた。
「ごめんね清水君。あのバカの相手させちゃって……」
「いや、いいよ。それよりも柳瀬さんはテストどうだったの?」
俺に話しかけるな。
「私?私はそこそこだったと思うよ。……あっ、そうだ。わからない問題があったの。時間があればだけど、教えてくれないかな?」
そんな時間はない。『おまえたち』にかける時間など微塵も。
「全然オッケーだよ。どの問題かな?」
「さっすが清水くん!どっかのアニメオタクとは大違いだわ~」
「ぐはっ……俺と清水で扱いが違いすぎる………」
「当たり前よ。偏差値が違いすぎるもの」
「ふ………ふふふ、それくらいじゃあ、俺のハートにひびなんぞ……」
「学力と顔面、両方ね」
「ぐはあああああ」
やめろ。やめてくれ。これ以上俺にかまわないでくれ。
「……と、それはともかく。うおおおお。お前だけずりいいいいいい。清水!!後生だ!!!俺にも教えてくれえええええ」
「断るわけないだろ?俺に任せてくれ」
俺を、この世界から開放してくれ。
◇◇◇◇◇◇
やっと終わった。最初は二人だけに教えるはずが、いつの間にか人数が増えて、ちょっとした講習会のような体になってしまった。しかもそれだけ時間も拘束され、あたりはすっかり暗くなってしまっている。
もう一分一秒とて、ここには居たくなかった。俺には我慢ならない。反吐が出る。
足早に教室を後にして玄関へと向かう。もう少しだ、もう少しでこの世界とは……
「あー!清水先輩。ちょうどいいところに!ちょっとお時間いただけませんか~」
「ん?……ああ、君は生徒会の」
生徒会に所属している後輩だった。しかもなんだか泣きそうな顔をしている。こんな時に一体なの用なのか。俺にはもう時間がないというのに。
「はい~。じ、実は来週に行われる球技大会の案件を任されたんですけど、全然おわらなくて~」
手伝えというのか。こんな遅くに、生徒会に入っているでもない部外者を捕まえて。
「あ………あの……、ダメ……ですよね……?」
目にちょっと涙を湛えて、上目遣いでこちらを見てくる。これが彼女の技ならたいしたものだが、残念ながら天然なのが、より一層威力を発揮している。が、俺に関してそういう類のものは全く利かない。
ふざけるな。
手にナイフでも持っていたら、間違いなく刺していたであろう衝動を覚えた。震える利き手をなんとか抑えつつ、しかし俺は。
「構わないよ。ついでに終わったら駅まで送るよ。もう夜も遅いしさ」
「えっ……でも私、先輩の帰る方向と逆なんですけど…」
なぜ俺の帰り道を知っているのかと質問するのも面倒だった。
「いいって。さ、早くすませちゃおうよ」
「は………はい…!!!」
もはや頭痛にさえ発展しているストレスを抑え、笑顔で答えたのだった。
◇◇◇◇◇◇
「はっ………はっ………」
後輩の少女を安全に送り届けてから、俺は全力疾走で家路を急いだ。
「チッ………いらないことで………っ!!」
時計の進みがやたらと早く感じる。急がねば。足がもげようが、心臓が爆発しようが、俺は俺の世界に帰らねばならない。
「あら、清水君。今日はおそいおかえりだったね」
「平田さんもご苦労様です」
すれ違い頭、ご近所さんに挨拶される。どうして俺の邪魔をするのか。不純物どもめ。俺はただ、まともな世界で、まともに生きたいだけなのに。
蝶番が外れそうな勢いで自宅の扉を開き、玄関に転がり込むことで慣性を殺す。
間に合ったのか。俺は俺の本当の世界に戻ってこれたのだろうか。
あの不快で穢れた世界から脱出することに成功したのだろうか。
自室にあるPCの電源をオンにする。
該当するアプリケーションを選択して、光の速さでクリック。
助けて。誰でもいい。俺をこの世界から救い上げてくれ。誰か……
祈るように瞑して、一瞬後に飛び込んできた映像は……
『天然魔法少女ぷりん はっじまるよ~~~!!』
「うおおおおおおおおおおおおおお。ぷりんちゃああああああああああん」
俺は思わず絶叫した。
俺は今日も見事にあのおどろおどろしい世界から生還したのだった。
「弱気なあの子~~♪魔法にかけて~♪だすわひっさつカラメルぷりずむ~♪ ハイ!ハイ!ハイハイハイ!」
起動時に流れてくるOP映像が見ながら、俺は画面の中の彼女と一緒に踊る。
まさしく、至福の時間だった。
そう、あんなことが起こるまでは。