第一章 3
「お、おう、おはよう和也」
「今日も元気ね、和也君」
挨拶を返すクラスメイト達。しかし、その顔はどことなくぎこちない笑顔。
「お、おはよう、カズ君……」
香澄もそうだった。さっきまでの明るさを曇らせながらの挨拶に、いつもバカみたいに明るい和也も、少し落ち込んだ様子を見せる。
そのやりとりを見て、暗人はニタニタしながらハムカツサンドをかっ喰らい、コーラで流し込む。
――やっべ、モーニングコーラ超うめぇ。メシウマってレベルじゃねぇだろJK。
満ち満ちた顔となりながら、ゴクゴクと黒い液体を飲み込む暗人。
その傍に、“彼女”が立った。
彼女は黒く美しい髪を揺らして彼を見やると、静かな怒りを紅い瞳に湛えながら、少年が持つペットボトルに手を伸ばす。
で、思い切り握りこんだ。
それにより、突如急激な液体の流入が発生。通常喉から胃へと運ばれるべきものが、大量にハ肺へ突入。
体はそれに正直な反応を示した。流し込まれた黒い糖液が一気に逆流し、そして――
「ゴバベェッ!?」
少年の頭部の穴という穴から、コーラが噴出。顔がもうえらいことになった。
「ゲホッ! ゲホッ! な、何しやがるんだ、君は!」
「ふん、無視をした貴様が悪いのだ。この駄犬めが」
至福に浸っているところから地獄に叩き落とされたことで、暗人はようやく彼女に意識を向けた。ついでに殺意も向けた。
逢魔京香。ファーストコンタクトから一年近くの付き合いとなる、口が悪すぎる魔術師。クラスに咲くもう一人の大輪の花。しかし、彼女は誰からも相手にされない存在である。
――悪臭を放つラフレシアなんてどれだけ大きかろうが見向きもされないよね、うん。
心中で皮肉を吐きながら、少年は黒髪の美少女を睨む。
「真っ黒な液体を目から流して睨んでも迫力などないぞ。むしろ滑稽で笑えてくる。あぁそうか、貴様は私に圧をかけたいのではなく笑わせたいのだな。されど駄犬よ、そんな程度で私の笑声を聞けると思ったら大間違いだぞ」
「……今日も相変わらず態度がでかいね。それで、僕になんの用なの? 話だけは聞いてあげるよ」
「貴様の無礼ぶりには驚かされるな。私にそのような口を聞くのは貴様ぐらいだろうよ。まぁそれは後々の教育で直すとして、本題に入ろう。今回の一件、貴様はどう思う?」
「……鬼龍院さんのことを思うと、胸が張り裂けそうだよ」
本音としては、和也の馬鹿野郎が窮地に陥って超うれピー、といった感じだが、誰に聞かれるかわかったものではないので差し障りのないものに変えて答える。
そのことを、京香はあっさりと見抜いていた。
「なるほど、貴様らしい小物的な判断だ。そういうしょうもない小悪党のようなところは中々好ましく思うぞ」
「何を言ってるのか理解できない。とにかく、今回の一件は鬼龍院さんにとって本当に不幸な事件だった。きっと彼女は恋人の本性に悲しんでるだろうね。あいつが完全に逮捕されようもんなら死にたくなるぐらい落ち込むと思う」
「で、そこに貴様が颯爽と登場して彼奴を慰め、距離を縮めてあわよくば寝取る。と、こんなところか? 貴様の今後の計画は」
「ち、ちちちちちち違わい! そ、そそそそそんな人間のクズみたいなこと、こ、これっぽっちも思ってないんだからねっ! 勘違いしないでよねっ!」
「動揺しすぎだ、この人間のクズめ。後ツンデレ口調になるな気持ちが悪い。私を嘔吐させるつもりが。そしてその吐瀉物を食らうつもりか、この腐れド変態めが。……話を元に戻そう。今回の一件、“魔術師”である可能性が極めて高い」
京香の言葉に、暗人は体をピクリと震わせた。
「そ、それはないんじゃないかな?」
「ほう? 私の推測にケチをつけると? ならば聞くがな、このクラスの連中、否、学校中の人間がなぜ鷹峯和也が容疑者であると信じているような素振りを見せている? 貴様のような人望もへったくれもないカスのような人間ならばともかく、彼奴のような主人公補正持ちとしか思えんような男がこんなにもあっさりと容疑者扱いされるものか?」
暗人は反論できず、黙りこくった。黒髪の美少女は容赦なく畳み掛ける。
「そもそも、なぜ鷹峯和也が犯人であると知られているのだ? 名前は公表されていないうえ、犯行現場は普段人などいない天原市だ。たまたま学園の生徒に目撃者がいた、などということもないだろう。即ち――これは魔術師絡みと見て間違いない。一致する特徴はまだまだ相当数あるぞ? いちいち並べてはやらんがな」
「ぐぬぬぬぬ……」
完全に論破され、少年は悔しそうに歯ぎしりした。
彼女と出会ってから一年近く。暗人は魔術師という非日常的存在を知り、様々な事件に巻き込まれた。というか、京香が巻き込んできた。
今回も今まで通りのことが起きるのだろう。自分が危険な目に遭って、彼女がそれを笑う。そういった腹立たしい展開が、またもや繰り返されるのだ。
さりとて、それが心底嫌だと思ったことはない。なぜなら、こういった非日常に身を投じることが、二次元の住人である証のように感じるからだ。危機を乗り越えて事件を解決に導く。それはまさしく、彼が目指した主人公のような行為である。ゆえに、暗人はなんだかんだで京香との一年を楽しんでいた。
が、今回ばっかりはダメ。断固として、解決したいと思わない。
――ちぐそう……! このままじゃ、和也が無罪になっちゃうじゃないか。そうなると鬼龍院さんと結ばれるためのプランがパーに……! ここはなんとしてでも、このラフレシア女を止めなくては!
冷や汗を流しながら、拳を握る。しかし、一向に唇が動いてくれない。今までの付き合いにより、もはや彼女の調査を止めることはできないということを悟っているからだ。
それゆえに、ようやく開いた口から発せられたのは、惨めったらしい罵倒だった。
「君は徹底的に僕の嫌がることをするよね。この疫病神」
涙目となる彼を見て、京香は胸を張り、楽しげに返答する。
「ふふん、貴様が苦しむ様を見ることは、私にとって最上の娯楽だ。今回もせいぜい楽しませてもらおう」
「くそったれがああああああああ……!」
削れんばかりに歯ぎしりする暗人。それを見て愉悦に満ちた顔をする京香。
「とにかく、本日から調査を開始するぞ。魔術師による凶行を取り締まるのは、我が逢魔家の役割。ともなれば、現当主たる私が動かぬわけには行かんからな。無論、貴様にも同行してもらうぞ」
「はいはい、わかってるよ。…………こっちにも考えがあるぞこん畜生」
誰にも聞かれぬよう吐き出された声。それを聞いたか聞いていないかは判然としないが、京香はニヤッと笑うと、
「さて、さしあたって優先すべきは、あの二人の心情だな。真相を話し、安心させてやろうではないか」
和也、香澄を指差し、言った。
「とことん僕の邪魔ばかりしやがって……! やっぱり君は僕にとって疫病神だよ!」
その罵倒に、黒髪の美少女は笑いを噛み殺しながら応じた。
「くくっ。疫病神、か。先程も貴様はその言葉を使ったな。まったく非常に滑稽だ。笑わせてくれる」
そして、京香は真顔となりながら次の言葉を放つ。
「それは貴様の方だよ。この疫病神が」
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