第一章 2
「グフ、グフフフフ……」
窓際の席に座り、新聞を眺める少年、淀川暗人。左手にはハムカツサンド、右手にはコーラ。
彼の朝食は、基本的に学校で行われる。普段は明るい顔をして学園生活を楽しむ連中を見ながら、メシマズと呟きつつ摂るこの食事。しかし、今日の朝食はいつもとは違って非常に美味かった。
その理由は、彼が読んでいる新聞記事の内容にある。
暗人の濁りに濁った汚らしい瞳の先、そこには次のようなことが書かれていた。
殺人容疑で高校生を逮捕。しかし証拠不十分により、起訴はならず一時保釈。
この内容が、暗人の心を最高潮に導いているのだ。
何せ、この逮捕された容疑者というのが、彼にとっての憎き怨敵、鷹峯和也なのだから。
――ゲヘヘヘヘヘ、ハムカツサンドがこんなに美味しく感じるのは初めてだ。実名公開はされてないけど、これが和也だってことは皆が認知してる。誰が最初に言いだしたのか、その子はなぜ和也が捕まったことを知ったのか、それはどうでもいい。重要なのはあのクソッタレ野郎が犯罪者寸前まで追い込まれてるってことだ。もしもあいつが捕まったなら、“鬼龍院”さんとの関係は確実に破綻。そうすれば僕にもチャンスが……!
「おい暗人。貴様ちょうど良いことに例の新聞記事を読んでいるな。ならば話は早い。今回の一件どうにもおかしいとは思わんか?」
後ろの席から聞こえてきた雑音を無視して、少年はチラと右を見やる。
七人で構成された男女グループ。その中心で笑う、一人の少女。その顔を見て、暗人は頬を緩めた。
――あぁ、鬼龍院さんは今日も可愛いなぁ。襲いたくなるぐらい可愛いなぁ。
「例えばだ。薄汚れているうえにやせ細った野良犬がいるとしよう。そいつを哀れと思い、餌をくれてやろうとわざわざ声をかけてやったというのに、その駄犬はこちらを鼻で笑ってどこかへ行った。今の私にとって貴様はその駄犬そのものだ」
ややむすっとしたような声をやっぱり聞き流しつつ、暗人は思い人のことで頭を一杯にした。
鬼龍院香澄。少年が絶賛片思い中の少女で、学園のアイドル。クラスに咲き誇る大輪の花。
肩まで伸びた髪は、天然の栗色。可愛らしい顔立ちと、一五〇センチの背に似合わぬ巨乳。可愛らしさに反したダイナマイトボディが生み出すアンバランスさは、多くの男子の心をグッと掴んで離さない。
さらに性格も快活で裏表がなく、異性のみならず同性にも好かれるタイプ。人望抜群である。誰かさんと違って。
極めつけは彼女の家だ。鬼龍院家は国内でも有数の財閥で、巨大な企業グループを取り仕切っている、いわば勝ち組一族。彼女はそこの一人娘である。
見た目よし、性格よし、家柄よし。もはや二次元の存在そのもの。
「これ以上無視するのなら強硬手段に出るしかあるまい。それが嫌ならすぐに応答しろ。いいか、これは最後通告だからな」
などともう一人の現実離れ女が抜かしているが、暗人は当然の如くスルー。視線も意識も香澄一直線である。
――初めて見た時から、僕は彼女に恋をした。だってまるで物語のヒロインみたいだもの。主人公になりたいと“思ってた”僕としては、なんとしても結ばれたい相手だった。なのに、それを横からかっ攫ったクソ野郎がいるんだよねぇ……!
恋敵の顔を思い浮かべ、全身がわなわなと怒りで震える。
と、前の座席でゲームをして遊んでいた連中が声を上げた。
「うわっ!?」
「ピ、PGPが爆発した!?」
ちょっとした騒ぎが起きているが、少年は気にせず思考を続ける。
――確かに、僕が彼女と結ばれることは難しかったと思う。恥ずかしくて未だに声をかけれていないし、声をかけたとしても、僕のコミュニケーション能力じゃ彼女を口説くのは不可能に近い。……本当なんで僕ってこんなにも人気がないんだろう。ちゃんと話術の本とか買って研究したのに。中学時代、それを基に組み立てた理論を使ってクラス内で振舞ったら、ウザイって言われて全員から無視されるようになったし。高校生になった今では不良扱いされて誰からも相手にされないし……。あぁもう、全部あいつのせいだ! 和也の野郎が全部悪いんだ!あいつが僕から色んなものを吸い取ってるに違いない!
話を脱線させ、理不尽な批判を撒き散らす少年。さっきまで笑い合っていた女子連中が顔を真っ青にしてトイレと叫びながら出て行ったが、無論気にしない。
――とにかく! 僕は鬼龍院さんと結ばれる可能性が低かった! それは認めよう。でも、確率はゼロじゃなかったはずだ! もしかしたら、奇跡的に告白を受け入れてもらえたかもしれない。それなのに、あいつのせいで何もかも台無しだ! あの腐れ主人公野郎のせいで、僕が毎日毎日どんだけ苦しんでることか………………ああああああもおおおおおお! 本当に腹が立つぜえええええええ! あの猿みてぇな馬鹿面からして、どうせ毎日毎日ちゅっちゅくちゅっちゅくヤってんだろおおおおおおなああああああ! 鬼龍院さんだけでなく取り巻きの頭が軽いアバズレ共ともよおおおおおおおおお! きいいいいいいいいいいいい! 死ねばいいのにいいいいいいいいいいい!
ついさっきまで喜悦に浸っていた顔が、今や怒りで真っ赤になっている。廊下を歩く生徒が滑って転び後頭部を強打したが、全然気にならない。
そして。彼にとって何よりも憎たらしい“あいつ”が登校してきた。
「よ! 皆おはよう!」
明るい声を響かせて入ってきた、無個性な少年。
一七〇センチの身長、冴えない顔立ち、中肉中背。はっきり言ってなんの特徴もないあの外見は、鷹峯和也のそれで間違いない。