第五章 1
市によって景観が極端に変わる。それがこの県における最大の特徴であろう。
東に行けば大都会が広がり、西に行けばゴーストタウンがあり、南に行けば海があり、北に行けば山がある。
窓から眺める如月市の様子は、まさしくド田舎のそれであった。
関東圏内であることが信じられないぐらいの、のほほんとした雰囲気。夜中であっても、それは変わらない。
そんな田畑に囲まれた道中を、一台の高級車が移動していた。
場にそぐわなさすぎるそれを運転するのは、銀髪褐色肌のメイド。助手席に座るのは、彼女とは正反対の黒髪美白肌のメイド。
暗人にとり、彼女等は初めて見る顔であった。が、反応は今まで通りのもの。敵意むき出しの視線をぶつけられた。
さりとて、そのようなことは気にすることなく車両に乗り、今に至る。
大我の死亡についてや、屋敷内でのゴタゴタなどについての処理は後回しにした。どうせ魔術によるものであるため、それほど大きな騒ぎにはならない。となれば、最優先すべきは香澄の救出である。
――待ってて鬼龍院さん。絶対に助けるから。死んでも助けてみせるから。
後部座席、京香の隣に座り、窓の外を見つめながらそう思う。
その思念に邪な感情はない。救ったことでフラグが立つかもしれないとか、和也から香澄を奪えるかもしれないとか、そのような思惑は皆無。
ただただ、彼女を助けたい。その一念しかなかった。
――緊張はない。恐怖もない。僕がすべきことは決まってる。捨てるべき時に命を捨てる覚悟は、一〇年前のあの日から決めてるんだ。今夜死ぬことになっても、僕は一向に構わない。けれど、犬死はごめんだな。無駄な死は避けたい。……で、今はその無駄死フラグが立ちつつある、ような気がする。ちょっと気負いすぎてる感じがするんだよな。
死を恐れぬ暗人であるが、別に自殺志願者というわけではない。できることであれば、生きて帰りたいと思う。
そのためには、心の安定が必要だ。入れ込み気味な精神状態を平常時に戻すため、少年は今回の事件に関しての考察を開始する。
――まず、事件の黒幕は逢魔霧香。京香の姉だ。あいつが大我と接触し、その心情を利用して手駒にした。霧香の目的は大召喚。自分は陰で僕達を監視し、生贄を捧げる作業は大我にやらせていた。インスタントは肉体の一部を提供した魔術師の代理扱いになるから、大我が殺しても霧香が殺しても問題ない。……本当、よく考えたもんだ。
事件の真相を振り返ると、今度は敵の召喚物について考察する。
――ヴリトラ……こいつは僕も知ってる。何せ中二要素満載の怪物だしね。詳細は確か、インド神話に出てくる邪竜で、同神話上における英雄インドラの宿敵、っていう扱い方をされてるんだっけ。……発生した事件を思い返してみると、なるほど、確かに召喚物はブリトラになるな。一応、僕の召喚物候補の中にはインドラも入ってはいたんだけど……その敵を呼び出そうとしてるとは、ちょっとだけ予想外だな。まぁ、これで第二の殺人の謎が解けたけど。
霧香が召喚しようとしている化物に関する思考を、少年はさらに進めていく。
――第一の殺人。被害者は虎龍院大和。死亡時の環境は、調べてみたら大雨が続いていた時期だと判明したから、おそらく雨。殺害方法は黒焦げな死体というところから、焼殺か感電死と推測。これはおそらく、ヴリトラが倒された際、大地に大雨が降ったという逸話をもとにした殺人かな。で、第二の犯行。これは意味がわからなかったけど、今なら理解できる。二人目の犠牲者は、肉体の水分を全部奪われて殺された。これはヴリトラの旱魃を起こす悪龍っていう特徴をもとにした殺人だったんだ。次に、和也が事件に巻き込まれるきっかけになった第三の殺人。これは本当にわかりやすい。でも、同時にひっかけでもあるね。雨が降るなかで、落雷による殺害。これだと雷の属性を持ってる奴だって誤解しちゃう。でも実際は、ヴリトラと強い関係性を持つインドラ、彼が持つ武器ヴァジュラの特徴をもとにした殺人だった。……こういう、関係する神や人物とかの逸話を使ってもいいってところは、なんだかズルい気がするな。
小さく息を吐き、思考を続ける。
――さて、第四の殺人だけど、これで召喚物がほとんど確定したといってもいい。……僕は最後までインドラ辺りだと勘違いしてたけど。まぁそれは置いといて……。被害者は鳳龍院沙耶。混合杵を口内にねじ込まれ、それが後頭部を貫通したことによって死亡。これはヴリトラ討伐エピソードの一つを再現したものだね。で、現状最後の殺人。その被害者が、事件の実行犯である虎龍院大我。本人は獅龍院鉄斎を酔わせて殺害しようとしてたんだろうけど、それは京香の乱入によって失敗。その代わりに、自分が殺されたってわけだ。殺され方は全身を泡で包まれ、溶かされて死亡。これもヴリトラ討伐エピソードの一つ、夕暮れ時に海の泡で倒したという話がもとになってるのかな。
と、ここで、事件に関する思考が停止した。
正確に言えば、停止させられた、と言った方が正しいか。
「なぁ、暗人よ。……もうそろそろ、目的地に着く頃合だ」
沈んだような声音。彼女の口からこのような音色が出されたことなど、今まで一度もなかった。
多少驚きつつ、視線を窓の外から京香に移す。
「……どうしたの? 君らしくもない。いつも通り、無駄に偉そうな感じで構えてなよ」
「ふん、私とて、そうしたいところではある。だが、相手が姉様となれば、話が変わってくるのだ。……あの人は私にとって、超えられない壁のような人だったからな」
弱々しく吐き出された言葉に、暗人は呆然となる。
この逢魔京香が。この唯我独尊を地で行く少女が。事を行う前に絶望を感じている。
されど、異常事態はまだまだ続いた。




