第四章 4
「あんたは誰? 鬼龍院さんはどこ?」
「簡潔な質問ですわねぇ。ここまでシンプルですと芸術的に感じてしまいますわ」
「早く答えて欲しいな。なぜだかわかんないけど、あんたとは長い時間話していたくない」
「同感ですわね。わたくしもなぜだかわかりませんが、貴方のことが好きになれませんの」
扇を召喚し、顔を半分隠す女。その状態で、彼女は返答した。
「はてさて、では回答と行きましょうか。まずはわたくしの素性から。わたくしの名は逢魔霧香。京香の姉ですの。妹とは仲良くやっていただいているようですけれど、感謝はいたしません。むしろ早く消えてくださいな。貴方にわたくしの可愛い妹と親交を深める資格はありませんわ」
女の目が、不愉快なものを見ているかの如く細められた。
暗人もそれに応じるかのように、暗澹とした瞳を鋭くさせる。
――これが京香の姉か。史上最強の魔術師姉妹の片割れ……どうりで傲岸不遜と尊大を体現してるあの子が敬語なんか使うわけだ。……それにしても、僕はなんで、この人に憎悪のような感情を抱いてるんだろう。京香の姉だから、っていうのは理由にならない。大我を殺したから、というのも違う。
答えは、出そうになかった。
ならばさっさと思考を放棄すべきである。絶対に知らねばならぬ重大事項を、さっさと聞かねばならないのだから。
「あんたの素性はわかったよ。京香の姉ってだけでうんざりするぐらい色々と理解できた。だからあんたに関してはもうどうでもいい。繰り返すけど、鬼龍院さんはどこ? まさか、死んでないよね?」
「そのまさかだったなら?」
「あんたを許さない」
「……京香のみならず、わたくしにまで堂々と啖呵を切る胆力。そこだけは褒めて差し上げましょう。さて、彼女の安否ですが、まぁ無事ではありませんわねぇ。何せ彼女も生贄ですので。召喚物たる“ヴリトラ”の特色にのっとって、鬼龍院香澄には餓死していただきます。事実、もう一週間近く飲まず食わずですので、命の灯火が尽きるのもそう遠くないでしょう」
その回答に、暗人の顔から感情が抜け落ちていく。最後に残ったのは、氷のように冷たい殺意。
「鬼龍院さんは、どこだ」
「そんな怖い顔をしないでくださいまし。醜悪な顔がことさら酷くなりますわよ?」
「早く答えろ」
冷然とした問いかけに、霧香は目で笑いながら返答した。
「ここ叢雲市の隣、如月市にある山。その中に、彼女はいます。取り戻したくばいらっしゃいな。早めにね」
言い終えると、霧香は後ろへ跳び、部屋の壁近くへと着地。次いで二人を見たまま、左手で小突くように壁面を叩いた。
それと同時に轟音が鳴り響き、大穴が穿たれる。部屋が外部と繋がり、夜闇が見えるようになった。
このまま出ていく、というのが自然な行動だが、霧香はそうせず、不可思議な体験をしたかのような顔をしながら己の左手を見やる。
「……なんですの、今の感じは? 出力を考えれば、この程度の破壊では済まなかったはずですのに……」
少々の戸惑いを表に出す黒髪の美女。そんな彼女に、沈黙していた京香が声をかけた。
「私もいくつか質問してよろしいですか? 姉様」
「……タイミング、というものを考えましょう。完全に逸しておりますわよ、京香。ですがまぁ、いいでしょう。なんでもおっしゃいな」
「まずは、なぜ貴女が生きておられるのか。それを答えていただきたい。……貴女は、死んだはずだ。あの時、私が、殺した。それなのに……」
美貌を曇らせる京香。それとは対照的に、霧香は余裕のある笑みとなる。
「簡単なことですわ。わたくし、死ぬ間際に“魔法”が使えるようになりましたの」
「魔法、ですと?」
魔術における理の一つ、魔法。原理不明、再現不能。そういった、まさに魔法としか言い様のないち方を指す用語である。
現在魔法を扱える者は世界中に九人しかいない。霧香の言が真であれば、彼女はこの世界における一〇人目の魔法使いということになる。
信じられない、といった様子の京香に、黒髪の美女は己の固有能力を説明した。
「わたくしの魔法は“転移”です。召喚の真逆と考えてくだされば結構。わたくしの肉体を別の世界へと転移させる。それが我が魔法の力。……正直に言いますと、この能力は相当使い勝手が悪いのです。何せどのような世界に飛ぶかは完全にランダムですので、一度使えば元の世界に戻れる保証がどこにもありません。実際、この世界に戻るのに一〇年かかりましたからね。できることならば、もう二度と使いたくない能力です。……都合がいい、と思うでしょう? わたくしもそう思いましたわぁ。確実に死ぬであろう場面において、このような奇跡が起こることなどありえない、と。けれどね京香、これを神の意思と考えたなら、不思議と納得がいくのですよ。神はわたくしに人類を救えとおっしゃっているのです。なればこそ、わたくしはここにいる」
「……貴女が神に愛された存在であることは否定しません。とりあえず、第一の問いはこれにて終了としてもよろしい。最後に二つ目の問いに答えていただきたい」
「なんですの?」
「なぜ、貴女はわざわざ私達を生贄へと誘導するのです? 鬼龍院香澄が救出されるかもしれないリスクを背負う必要など、貴女にはないはずだ」
「それもまた簡単なことです。貴女にわたくしを止めることは不可能と判断しました。よってもはや慎重になる必要性はありませんの。この一〇年で貴女は大きくなりました。しかし、成長したのは背丈のみで、その能力の向上具合はそれほどでもない。断言いたします。現段階の貴女ではわたくしに勝つことは不可能です」
「……そうかもしれませんな。さりとて姉様。貴女は重大な見落としをしている。前もって言っておきましょう。それを見抜けなかったことが、貴女の敗因だ」
「見落とし? そんなものはありませんわ。でもまぁ、一応情報の礼としてわたくしももう一つ情報を差し上げましょう。大召喚のための魔法陣は、山中にありますの。即ち、如月市が大召喚における最初の救済地点となるわけですね。貴女にはわたくしの大仕事を見届けていただきます。その後に救って差し上げましょう」
「させませんよ、そんなことは。私は同じ失敗を繰り返すことはしません」
「うふふ。せいぜい頑張りなさいな。では、ごきげんよう」
別れの言葉を告げると、霧香は大穴から外へと飛び出し、一瞬で夜闇の中へと消えていった。
二人残された室内にて、少年は混沌の塊が如く瞳に決意の炎を宿す。
握り締められた拳。それにて敵を打ち砕き、思い人を救う。
淀川暗人は今、命を捨てる覚悟を決めた。




