第三章 9
「さて、今回の誕生祭には、逢魔家当主様にも足を運んでいただきました。それだけでも光栄至極ですが、なんと我が娘の誕生日を祝い、祝辞を述べていただけるそうです。我が一族にとり、これ以上の名誉はありません。では、逢魔京香様、壇上にどうぞ」
前置きが終わると、着物姿の黒髪美少女が、気だるそうな歩調で壇上へと登った。
顔はいつも以上のしかめっ面。こんなにも面倒くさげに他者の誕生を祝おうとする者など、世界広しといえど京香ぐらいだろう。
その口から発せられた言葉も、態度通りの内容だった。
「あー、逢魔家当主、逢魔京香だ。今日はわざわざこの私自ら足を運んでやった。大事なことだからもう一度繰り返すぞ。今日は、この、私が、わ・ざ・わ・ざ、足を運んでやった。ありがたく思え。さて、面倒くさいが本題の祝辞に入るぞ。私は鬼龍院香澄とは同級生だ。さりとて、別段親しいわけではない。ついこの前まで喋ったことすらなかった。その程度の間柄だ。ゆえに誕生を祝ってやる筋合いなど本来ありはしないが、まぁ彼奴が私と縁を深めたいと言うのなら、それを聞き届けてやるのもやぶさかではない。よって、私は将来付き合いができるやもしれん相手の誕生を祝ってやろうと思う。……たんじょうびおめでとーかすみ」
傲岸不遜。尊大極まる論調の果てに、全く、これっぽっちも、心が一切こもっていない棒読みの言祝ぎ。
非常に彼女らしい祝辞であった。それを称えてブーイングの一つでもかましたくなったが、周りの連中があんな酷い言葉の羅列に惜しみない拍手と賛辞を送るものだから、できなくなってしまった。
きっと少年がどれだけ正しいことを言ったとしても、大人達の汚い嘘によってかき消されてしまうだろう。社会の醜さを、改めて実感する暗人であった。
「……京香のばーか。あほー。悪の秘密結社の首領にでもなって、正義のヒーローにやられちゃえー」
八つ当たり気分で、暗人は黒髪の美少女を罵倒する。
それは、誰にも聞き取れないようなか細い声だった。しかし――壇上から降りる京香が、一瞬止まってこちらに視線を向けた。
真紅の瞳と濁りきった瞳が、わずかな時間見つめ合う。
彼女の目はこう言っていた。
“いい度胸だな、このヘドロ野郎めが”
目を見開く暗人。その直後、ニヤリと笑う京香。
“聞こえないとでも思ったか? 馬鹿め、貴様の声ならどんなところにいても、どれだけ小さかろうとも聞こえるわ”
そう言われたような気がした。
「自分への悪口は一〇キロ先でも拾える。あの子の生態記録にメモしておこう。……あ、これも聞かれてるかも。ま、いいか」
苦笑しながら、少年は料理を口に運ぶ。
届かないと思っていた声に反応を返されたことを、なぜだか嬉しく感じながら、
◆◇◆
鬼龍院家当主の挨拶。ゲストによる祝福の言葉。それらが終わったことによって、誕生祭もいよいよ佳境といった空気になってきた。
現段階において、殺人は行われていない。それが起きるという前兆もない。
――予想が外れたのかな? まぁ、それも無理ないよね。よくよく考えてみると、京香がここにいるんだもの、犯人がもしも単独犯のパターンだったなら、あの子を警戒して殺人を見送る可能性は高い。……ってことはアレか。京香は事件を解決するためにここへ来たんじゃなくて、僕の思惑をブチ壊しにするためにここへ来たのか。……ああああああああ、ウザってええええええええええええ! いつもいつも邪魔ばっかりしやがってよおおおおおおおおお! あのクソ女あああああああああああああ!
京香への怒りを内面で爆発させる少年。その近くで、皿に乗せられた大きな伊勢海老が突如爆発し、周囲の客達が被害を被ったが、今の彼にはどうでもいいことだった。
「おい、どうした淀川。変な顔して。その料理、口に合わなかったか?」
「……違うよ。ちょっと考え事」
「事件に関してのこと、だよな?」
「そうだね。でも、別段大事なことじゃないよ」
適当な返事をして、食事を口に入れる。高級品も慣れれば飽きるものだ。最初は美味だった料理達も、今や普通程度まで評価が落ちていた。
と、不意に、暗人の瞳が思い人の姿を捉える。
父、劉煌の隣に立ち、来客達に笑顔を振りまく。その様子を見ていたのは、暗人だけではなかった。
「香澄も大変だよなぁ。こんなとんでもねぇ家の跡取り娘となると、どんだけきついことが待ち受けてんのか、予想もできねぇよ」
「うん、そうだね」
「……ま、どんなことがあろうと支えてやるけどな。一応、恋人同士だし」
返事をする気にはなれなかった。強烈な嫉妬感が、少年の心を暗黒色に染め上げる。
少し遠くでシャンパングラスが木っ端微塵に砕け散ったが、やはりどうでもいい。
今彼が意識を向けているのは、和也――ではない。思い人、香澄である。
――なんだろう、妙な違和感がある……。何か、何かがおかしいような、そんな感じ……。
言い知れぬ不安を覚える暗人。経験上、この感覚に陥った際は、ほぼ確実に“危機”が迫っていると見ていい。
だが、それがいかなる内容のものなのか、現時点においてはさっぱりわからなかった。




