第三章 1
大召喚。神話の神々、怪物達を呼び出す、究極の魔術。実行可能な者は歴史上でも二〇に満たないという。そのため、どのようにしてそれを行うのか、という理論がしっかりと確立されているにも関わらず、原理不明、類似する力がない固有能力、“魔法”と同質の扱いをされている。
さてその大召喚であるが、通常の発動プロセスとは全く違う方法で術を実行することになる、
具体的に言うと、“陣”と“生贄”を必要とするのだ。
まず、どこかに魔法陣を作成する。これは別に、ヤギの血だの処女の生き血だのを使う必要はない。普通のインクでもいいから、正確に定められた形状の陣を描く。これにより、生贄にした人間の魂を魔法陣が吸引するようになる。
その後、生贄を捧げるわけだが、単純に殺せば良いというわけではない。異世界、召喚物との繋がりを強めるため、召喚するモノにまつわる伝説や神話上のエピソードを模倣した方法で殺害する必要がある。
例えば、北欧神話の主神オーディンを召喚したい場合、彼のエピソードの一つ、“ルーン文字の秘密を得るためにユグドラシルの木で首を吊り、グングニルに突き刺されたまま九日九夜を過ごした”というものをもとにして、“対象人物の首を木の枝にかけたロープで吊らせ、槍を突き刺して殺害”という方法で生贄にしなければならない。
また、召喚物のランクに応じて、生贄の数は変わる。前述したオーディンなら、最低でも五人は必要だろう。
生贄という行為は、通常魔術の発動プロセスで言うところの魔力消費に当たる。大召喚を決行するための膨大な生命エネルギーは、人間の魂をそのまま使わねばならないレベルなのだ。
で、そんな大召喚が黒幕の狙いである、と感じた暗人は、和也、香澄を連れて県立図書館へとやってきていた。
「うーん……」
机にどかっと築かれた、本の山、山、山。
持参したノートにはぐちゃぐちゃとした文字が散乱しており、調査の難航具合が見て取れた。
「なぁ淀川、ちょっと休憩しねぇか? 朝から調べ物で疲れたろ? もう午後一時だぜ。俺そこら辺のコンビニで昼飯買ってくるからさ、それ食って一休みしようぜ」
「確かここ、飲食オッケーだったよね? あたしもお腹空いたし、カズ君に何か買ってきてもらおうよ」
二人からの提案に、暗人は大きく息を吐き、答えた。
「……そうしようか。正直疲れた。これ以上やっても手詰まり感半端ないし」
「ん。そんじゃ、行ってくるわ。食いたいもんとかあるか?」
「あたしはなんでもいいよー」
「僕は牛カルビ丼とか肉系統のものがあったらそれ買ってきて。なかったら適当でいい」
「おう。すぐ戻るから待ってな」
そう言い残すと、和也は小走りで去っていった。
「ふぅ……」
椅子にもたれかかり、疲労感を息に乗せて吐き出す。
対面に座る香澄と、今は二人きり。だというのに、少年の心中には喜びがほとんどない。それだけ、疲れているということだ。
「お疲れ様、淀川君。なんだかごめんね、あんまり手伝うことできなくて」
「気にしないで。本の持ち運びだけでも十分助かってるから」
積み上げられた本達は、全て神話関連の書籍である。北欧、ギリシャ、日本、インドなどなど、バリエーションは多彩。となれば、膨大な神々、怪物の中から犯人が召喚しようとしているものを探し当てる必要があるわけで。そして、それは一〇〇パーセント暗人が担当していた。
なぜなら、和也も香澄も役に立たないからだ。魔法の影響により、二人は真相に辿り着けなくなっている。そんな者達に調査を手伝わせたなら、正解を見逃してしまう、ということもありえるのだ。
だから、二人は暗人が指定した本を持ってきたり、棚に戻したりといった作業のみしかしていない。大半の時間は、少年が必死こいて調べものをしているところを見物するだけであった。
「疲れた……本当に疲れた……速読術がある程度使えるとはいっても、この分量はさすがにきつい……」
背もたれに全体重を預け、天井を見上げながら呟く。
「本当、凄い速度で読んでたね。淀川君って、やっぱり頭いいんだ」
「全部努力の賜物だよ。所詮僕は秀才タイプ。天才には勝てない。例えばそう……あの万能奇天烈女とか」
「それって、逢魔さんのこと?」
「そうだよ。あいつはおかしいんだ。正真正銘、なんの努力もしてない。それなのにテストは当たり前のように満点。スポーツをやらせれば、球技なら一人で敵チームを圧倒、陸上競技なら世界記録を軽々塗り替える。しかも魔術なしで。もう意味がわかんない。……ま、いつか絶対に負かせてやるけど。あの顔が悔しそうに歪むところとか何がなんでも見たいし」
「……ねぇ、淀川君ってさ、逢魔さんと付き合ってるの?」
「……えっ?」
「いや、だって、淀川君、逢魔さんと凄く仲がいいじゃない。皆怖がって近づかない逢魔さん相手にも物怖じしないし、逢魔さんも淀川くんだけだよ? 会話するの」
「鬼龍院さん。君は大きな勘違いをしてる。僕はあいつのことなんかこれっぽっちも好きじゃない。多分あっちの方も僕のことを異性として考えてはいないよ。せいぜい玩具扱いがいいところだと思う。そもそもね、僕には好きな人が……」
言いかけて、暗人は顔を赤くした。
思い人とこんなにも長い時間会話している。それをようやく自覚したからだ。
「えっ? 淀川君、好きな人いるの? それって――」
「は、話は変わるんだけどさ! 調べものの成果を聞いてくれないかなぁ!?」
君のことが好きだ。その一言は、一生口にできないような気がする。
己の羞恥心を呪いながら、暗人は焦燥した様子で話題を切り替えた。




