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第二章 9

 叢雲市。この地域には、極めて目立つ特徴がある。

 それは、市の三分の一が個人の所有地であるという点だ。

 そのような広大な土地に建てられた、一件の豪邸。そここそが、国家中枢にまで影響を与えられるとまで言われる権力の保持者、鬼龍院家の住処である。

 前述した通り、鬼龍院が所持する土地面積は広大だ。そこに建てられているというだけあって、屋敷のサイズもまたかなりのもの。外観は当然、内部の隅々に至るまで豪奢で、まさに金持ちの家という風情。

 そんな屋敷内の一室にて、香澄はベッドに横たわり、吐息を漏らした。

 時刻は午後八時三〇分。暗人の家から帰宅後、彼女はすぐに夕食を摂り、今に至る。

 ピンクを基調にしたいかにも女子らしい空間内。そこに充満するのは、香澄が放出する重い空気であった。

「あたしの親戚や家族が、犯人かもしれない、か……」

 鬼龍院には複数の分家がある。虎龍院、臥龍院、煌龍院、鳳龍院、獅龍院の五つである。

 分家、とはいっても、鬼龍院というのはかなり特殊な家柄で、実のところどこが“本来の宗家”なのか判然としていない。

 というのも、鬼龍院はいわゆる下克上を実践している一族で、家が所持するグループが一族全体でトップになった場合、自動的にその家が宗家となり、鬼龍院を名乗ることになる。

 例えば、現在一族の中でトップの業績である鬼龍院を、鳳龍院が超えたとしよう。その時点で鳳龍院はその名を捨て、鬼龍院を名乗り、宗家となる。代わりに前鬼龍院は元来の家名である幻龍院を名乗り、分家に戻る。

 鬼龍院とは、そういった特殊すぎる一族なのだ。

「もしも淀川君が言ってたことが本当なら……あたしは、この家にいる人や、昔からお世話になってる人全員を疑わなきゃいけない……それは、やだな」

 正直、家族も親戚も疑いたくはない。両親も血縁者も、香澄にとってはいい人ばかりで、嫌いな者など一人だっていないのだから。

「でも、あたしは魔術の影響で頭がおかしくなってる。こうやって疑いたくないって思ってるのも、世界改変、だっけ。それによるものかもしれない…………なんだか、怖いな。自分が自分じゃないみたい」

 言葉では表すことのできぬ不安感と恐怖。そんなものを抱いてもなお、真実など知らなければよかった、とは全く思わない。なぜなら。

「魔術師の存在を教えてもらったから、あたしはカズ君のことを一〇〇パーセント信じられる。大好きな人を信じられない方が、今よりもずっと辛い」

 頭の中に、最愛の少年の姿が現れる。この事件を解決し、彼にかけられた容疑を晴らす。そのためなら、彼女はどのような苦難も耐える覚悟があった。

 と、室内にノックの音が響く。そのすぐ後、“彼女”から親しげな声が送られてきた。

「香澄ー? 今大丈夫ー? 入ってもいいわよねー?」

「あ。はーい! どうぞー」

 同意の言葉が終わるやいなや、ドアが勢いよく開かれた。

 そうして入ってきたのは、香澄の親戚の一人、鳳龍院沙耶ほうりゅういんさや

 年齢は二九。三十路前ではあるが、その容姿は一〇代と見紛うばかりに若々しい。細身のスタイルがいい肉体と、若者が好みそうなカジュアルな服装が、それに拍車をかけていた。

 沙耶は天真爛漫な顔をしながら、言葉を投げてくる。

「あら香澄、どうしたのー? 表情が暗いわよ? 貴女にはそんな顔似合わないわ! 笑顔が貴女を一番可愛く見せるんだから!」

 言うと、彼女は己の口端を両手の人差で吊り上げ、笑ってみせた。

 そんな仕草と、沙耶の明るさに連られて、香澄の顔が明るくなる。

「そうそう、その顔! あぁ可愛いわぁ、私の香澄は本当に可愛いわ!」

 両耳のピアスを揺らしながら近づき、香澄に抱きつく沙耶。終いには頬ずりまでする始末。

 この快活な彼女が、“女帝”と呼ばれ恐れられているなど、栗髪の少女には信じがたいことだった。

 沙耶はひとしきり香澄の肉体の柔らかさを楽しんだ後、彼女から離れ、口を開く。

「ねぇ香澄、お風呂まだでしょ? 一緒に入らない? 背中流してあげる!」

「うん、あたしも沙耶姉の背中流してあげるね」

「本当!? あぁ、やばい。感激しすぎて鼻血出そうだわ……」

「だ、大丈夫?」

 やや引き気味に心配の言葉を口にする。沙耶は昔からこうだ。香澄のことが好きで好きで堪らないらしく、彼女が絡むと暴走しやすい。

 そんな親戚と二人並びながら、香澄は浴場を目指した。

 その道中、通路で一人の男性とすれ違う。

「おや、二人共どうしたんだい?」

 柔和な笑みを浮かべながらそう尋ねてきたのは、親戚の一人たる虎龍院大我こりゅういんたいがだった。

 年齢は三一。こちらは苦労人だからか、沙耶とは違って若々しくはない。むしろ老け込んでいると言える。最近弟を亡くし――暗人曰く第一の殺人――当主の座に就いたことにより、仕事量が増えたのだろう。以前会った時よりも白髪の濃さが強くなっていた。

 それでも美形が多い一族の出だからか、顔立ちはダンディズムを感じさせる端正なものだ。

「これから私達お風呂なの! 言っとくけど、覗いたら許さないわよ? そりゃ香澄の裸体はなんとしてでも拝みたいものでしょうけど、それは許されないことだわ。だってこの子の全裸を見ていいのは私だけなんだから!」

「いや、ぼくはそんなことするつもりはないよ。それにしても、君はもうそろそろ香澄ちゃん離れしてもいいんじゃないかな?」

「嫌よ! 香澄は死んでもあたしのものなの! できることならあたしの養子として引き取りたいわ。でもそれは叶わぬ夢。だから“誕生祭”が終わるまでに香澄成分、カスミニンを極限以上まで摂取しなくちゃ!」

「そ、そうかい。じゃあ、その、頑張ってね」

 ドン引きした様子でそう言うと、大我は足早にその場から離れていった。

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