第二章 6
「あの、淀川君? いや、あたしも淀川って読んだほうがいいの、かな?」
「えっ? あぁ、いや、鬼龍院さんはどんな風に呼んでくれても構わないよ。それこそあの理不尽大魔王みたいな罵倒語でも構わない。いやもうむしろそうして欲しいぐらい」
「あ、あぁそう。じゃあ淀川君って呼ぶね。パソコンの電源入れていい?」
「どうぞどうぞ」
了承を得ると、栗髪の少女はその細くしなやかな指で電源スイッチを押した。
「香澄。怪しいフォルダがあっても開くんじゃねぇぞ? それは男だけが覗いていい世界なんだからな」
「なんだかよくわかんないけど、カズ君が言うならそうするよ」
「……一応言っておくけど、僕に収集癖なんかない。その日暮らしだから」
「マジかよ。俺は集めるタイプだけどな」
「コレクションにはリスクが多いんだよ。いつ誰に見られるやらわかったもんじゃない。特にあの腐れ外道一号とかは危なすぎる。僕の部屋に侵入してお宝がないかわざわざ探し回るような奴だから、あのラフレシアは。アレに見つかったら僕は社会的に抹殺されかねない。……っていうか君は別に収集する必要ないだろ。やろうと思えば現物をいつでも見れるんだから」
「えっ? そ、そんなことねぇよ。ははは……」
照れたように笑う和也を、暗人は殺意がこもった目で睨めつけた。
少年は知っている。この主人公野郎が頻繁にラッキースケベに遭っていることを。そして、そのイベントが発生した相手とは漏れなくフラグを建築していることを。
――あぁ、やべぇ……ブチ殺してぇわ……ガチでブチ殺してぇわ、こいつ……。僕なんかパンチラどころか女の子の手に触れたことすらないのに……!
ただし京香は除く。
男子二人が男特有の談義をしているうちに、パソコンはデスクトップを立ち上げた。
「じゃあ、ネットをやろうか。君達に見て欲しいものがあるんだ」
言って、暗人はマウスを操作した。
椅子に座る香澄の右側で、マウスをカチカチとクリックする少年。和也は香澄の左側で、彼女と同様モニターを見つめている。
暗人はブラウザを立ち上げ、ブックマーク登録しておいたサイトを表示。それを眺めながら、口を開く。
「このニュース記事は、和也が事件に巻き込まれるきっかけになった犯行に関するものなんだけどね、ちょっと、この被害者の名前に注目して欲しい」
「被害者の名前って……煌龍院伊綱、だな」
「最初は特に気にしてなかったんだけど……その名前を聞いて何か思うことはない?」
「あー……すまねぇ、特にないな」
暗人は目を眇めた。
どれだけ和也が馬鹿であっても、この反応はありえない。やはり、世界改変の影響から一般人は逃れることができないということか。普通なら気づくことに、彼は気づけない。
「苗字がね、鬼龍院さんに凄く似てるんだよ。確か、鬼龍院さんの家って相当数の分家があるんだよね? もしかして、親戚の一人だったりしない?」
「えっと……うん、確かそうだった、と思う。そういえば、大人の人達は昨日まで喪に服してたっけ……」
香澄の言葉を聞いて、暗人はふぅむ、と息を唸らせた。
彼女の口からもたらされた情報は、彼がもっとも知りたいものであった。これで、推論が現実味を帯びてくる。
しかし、まだ確信には至らない。ゆえに、少年はもう一つ問いを投げた。
「ねぇ鬼龍院さん。ちょっと聞きづらいことだけど……ここ最近、いや、この数ヶ月ぐらいで、鬼龍院さんの親戚の誰かが亡くなったりとかしてない?」
「うーん……あぁ、そういえば二人亡くなってるよ。確か、虎龍院と臥龍院の当主さん達が短期間で事故死してる」
「……その二人、どうやって死んだか、わかる?」
「虎龍院さんの方は覚えてるよ。部屋の中で黒焦げになってたって聞いた」
あまりにもおかしな発言だが、暗人はあえて言及しなかった。
ともあれ、これで確定である。
“犯人は、鬼龍院の関係者”
それも、一定の地位を持つ者であろう。例の事件現場に落ちていたハンカチ。それについて調べてみたところ、たかだか布切れのくせをして、一般人の月給分の値段であった。それを未練なく捨てられるような財力を持っている者となれば、使用人程度の人間ではあるまい。
考え込む少年に、香澄が疑念に満ちた声を送る。
「あの、淀川君? さっきの質問に、どんな意味があったの?」
いかなる返答をするか、暗人は少しだけ迷った。正直に答えたなら、犯人に関する情報を二人に漏らすこととなる。さりとてこの一件、鬼龍院の一人娘たる香澄の協力が必要になる局面があるかもしれない。となれば、ここは大人しく喋るべきか。
――大丈夫。具体的な容疑者を挙げるわけじゃないんだから、二人が真犯人に辿り着くなんてことはありえない。
そう判断して、彼は問いに答えた。
「今回の事件には、鬼龍院さんの親戚連中が関わってると思う。犯人は、鬼龍院の分家、その中でも当主か血族の誰かの可能性が高い。さっきの質問は、その推理が正しいかどうかを確かめるためのものだったんだ」
「あ、あたしの親戚に、犯人が?」
「どういうことだよ?」
少年は二人に根拠を説明した。が、和也も香澄も納得して頷いたものの、釈然としない様子である。これは話を半分程度も理解できていないかもしれない。
――二人は魔術のせいで思考能力がおかしくなってる。それを理解してはいるけれど……でも、やっぱりなんだか気味の悪い状態だな。普通なら当たり前のように理解できることが、全くできないんだから。
ふぅ、と一息吐く。それから、暗人は不意に掛け時計を見やった。




