第二章 4
――彼奴が己の“才覚”を自在に操れるなら話は別だがな。しかし今は望むべくもない。ゆえに、ハンデでも与えねば勝負にならん。まぁ、三日くれてやれば十分か。
暗人に関しては、これにて考えることをやめにした。またも玲奈に勘づかれたら面倒である。
しかし、事件についての考察は、不思議とやめられなかった。
――ふむ。考えるつもりがない、と思ってはいるのだが……おかしいな。今回の一件は、どうにもきな臭い。
頭の中で、様々な情報が巡る。さりとて、結論は出なかった。いや、出た結論を否定したがために、答えを見失ったと言ったほうが正しいか。
――ありえん。あの日、“彼女”は死んだ。私は、手を下した張本人ではないか。
心中で自嘲すると、京香は耳から伝わる快楽に身を委ねた。それにより、睡魔が眠りへと誘う。それを受け入れぬ理由はない。
薄れゆく意識。レム睡眠状態になった頭に、声が反響する。
“京香、お前は生きろ。生きて使命をまっとうするのだ”
絶対に勝てぬとわかりきった戦いに挑む父。自分達を逃がすために命を失った彼の声。
“貴女は逢魔家において歴代最高の魔術師よ。けれどね、京香。だからこそ、貴女の肩には誰よりも重い責任がのしかかっているの。それを忘れないで。……今日から、貴女が逢魔の当主よ。私の愛しい娘”
その責任を果たすため、犠牲となった先代当主。最愛の母。彼女が最期に遺した言葉。
そして――
“わたくしはね、京香。世界を救いたいの。弱者が虐げられない、そんな世の中を作りたい。わたくしは弱い人間だから、正義の味方やヒーローになんかなれっこありませんわ。けれど、弱い者の味方にはなれる。わたくしは弱者を救済し、守り続けます。そのために生きて、そのために死にます”
父よりも、母よりも。他の誰よりも尊敬し、誰よりも愛していた姉。その――
“あぁ、京香。お久しぶりですわねぇ。お元気にしてたかしらぁ? 帰ってきた理由? それはねぇ……大事な大事な、そう、とっても大事な用事があるからよぉ”
変わり果てた姿。
“なぜですか、姉様! なぜこのようなことを!”
幼き自分の悲痛な叫び。されど、その心情が彼女に届くことはなく――
決着の瞬間が訪れる。
灼熱の炎の中に消えゆく姉の姿。艶やかな漆黒の髪が、血濡れの瞳が、純白の肌が、紅蓮に染まり尽くして散滅した。
もはや姉はいない。命を失ったという意味で。心を、失ったという意味で。
それを理解し、覚悟を決めていても。幼き京香の頬を流れる涙は、止まらなかった。
「姉……様……」
無意識のうちに、言葉が漏れ出した。
それに応答してくれる彼女は、もうこの世にいないというのに。
夢の中で。そして現実で。京香は、一筋の雫を流した。
◆◇◆
放課後を告げるチャイムが鳴る。本日の授業はこれにて完全に終了。
学び舎との別れを惜しむ者はそういない。それは鳳雛学園でも同じこと。誰も彼もが席を立ち、帰宅しようと室内を出て行く。
その群衆に紛れて、暗人も学園をあとにすべく教室から出た。
背後に、好き好んで首を突っ込んできた二人を連れて。
黙々と歩き、校門を出て、帰路を進む。暗人の自宅は学校から徒歩一〇分。その間、会話はありそうにない。
――あー、空気が重いなぁ……アホの和也はどうでもいいとして、鬼龍院さんまで僕のこと怖がってるみたいだし……。っていうか、結局巻き込んじゃったな。
和也に関しては良い。巻き込まれたことで敵魔術師に目をつけられ、殺害されるなどという展開になったなら最高だ。この世からいなくなれば、例え殺人犯であっても愛している、などという最悪なパターンになることもない。
――だけど、鬼龍院さんにはかすり傷一つ負って欲しくないな。でも、どう説得しても聞いてはくれそうにないし……。仕方ない。僕が鬼龍院さんを守ろう。何があろうと、命懸けで。
腹を決めた暗人は、思考内容を切り替えた。
――今のところ、二人と行動を共にすることに関しての問題はないな。この二人は単なる一般人だから、世界改変によって事件の真相から遠ざかるようになってる。だから、どう足掻いても犯人を自力で割り出すなんてことは不可能だ。適当に協力するふりをして、大事なことは何も教えない。勿論、犯人がわかっても絶対に口に出さない。そうすれば、僕の計画に支障はないはずだ。……まぁ、問題があるとしたら一点。二人を巻き込んだことで京香が怒るかもしれないってことだけど……今回は、遅かれ早かれ、二人共巻き込まれた可能性があるんだよな。
前日調べた事柄。それにより生まれた一つの推論。もしも真実であれば、少なくとも香澄は無関係ではない。