第一章 7
「……暗くなるのは仕方ないよ。場所が場所なんだから」
「ふむ、名は体を表すというが、その言葉通り今の貴様は暗人そのものだな」
「一応言っとくけどね、僕の名前は“暗闇を打ち払う者”という意味で付けられたのであって、“暗い人”って意味じゃ――」
「さて、早速犯行現場へ行くとするか」
「聞けよ人の話」
少年の言葉など華麗にスルーして、京香は彼の制服の袖を引っ掴んで歩き出す。
――なんで僕に限って触ろうとするんだろう、この子は。他の人には意地でも触ろうとしないくせに。そんなに僕を逃がしたくないのか。あぁ面倒くせぇ……。
胸中で愚痴を吐き出しながら進む暗人。そして五分も経たぬうちに、濁った瞳が目的地を捉えた。
市の入口からそれほど遠くない位置にある三叉路。この周辺で、件の殺人事件が起きたわけだが……。
「例によって、警察の手が入った痕跡はなし、か」
少年の呟き通り、普通ならばあるべきものが、この現場には一つもなかった。
立ち入り禁止を示すテープも、調査を行う警察の者も、死体の状態記録も、何もかもが皆無。
それもそのはず。警察は、ここを調べたりしていないのだから。せいぜい、死体の処理を行った程度であろう。
これもまた、世界改変によるもの。警察関係者は、和也が犯人であると確信を抱いており、それだけを根拠に動いている。それを裏付ける証拠など、何もないというのに。
まともとは言えぬ状況。これこそが、魔術師が絡んだ事件の最たる特徴である。
「結構なことだ。わざわざ家の力を使って警察を追い出す必要がないからな。さて、では捜査を始めよう。現場の定義はこの三叉路のど真ん中、ちょうど道が分かれるここから、半径五〇メートル圏内とする。私は左側の道を調べる。貴様は反対方向に行け。何かあれば知らせろ。では、行動開始だ」
指示を出すと、彼女は背を向けて歩き出した。
陽光を浴びて輝く黒髪を見つめながら、暗人は嘆息する。
「はぁ、僕が大人しく従って当たり前みたいな態度だなぁ。本当、なんであそこまで自己中心的でいられるんだろう。……ま、今回は別にそれでもいいんだけどね」
言ってニヤリと口を歪めると、暗人は命じられた通り、右側の通路を調べ始めた。
左側よりも、こちらは建設途中の建物や空き地が多い。過去にあったものが全て失われている有様には多少なりとてショックを受けるが、グッと堪えて調査に集中する。
少年が京香の命令をこれだけ真剣に遂行するのは、非常に珍しいことだ。それには当然ながら理由がある。
――今回は京香の思い通りにさせないぞ。僕はこの事件をきっかけに、鬼龍院さんとフラグを立てるんだ。そのためにも、和也には犠牲になってもらう。
現状、あの黒髪の美少女に協力するつもりは絶無。ならばなぜここまでモチベーションを高めているかというと、全ては己のためである。
彼はこの一件、徹底的に京香の邪魔をするつもりだ。絶対に解決などさせてやらない。そんなことになっては、和也と香澄の仲を引き裂くどころか、二人の絆をより一層深めることになってしまう。
理想的なのは、もう一度魔術師が殺人事件を起こすという展開だ。さすれば、和也は再度の世界改変により証拠すらでっち上げられて逮捕されるであろう。それが暗人のもっとも望むべきところだが、それは阻止せねばならない。
個人的感情がどれだけそれを望んでも、彼の信条が許さないからだ。
殺人を犯した魔術師は、多くの場合一回の犯行では終わらない。普段、日本在住魔術師の統括組織の長たる逢魔家により、魔術師は術の使用を厳しく制限されている。それが鬱憤を蓄積させるからか、彼等は一度人外の理を使い、その強大さを味わってしまうと簡単に外道へと堕ちてしまう。そうなれば、魔術師の末路は快楽殺人鬼になり果てるか、己の利益のために殺人を繰り返すか、そのどちらかだ。
淀川暗人は“弱者の味方”である。“虐げられる弱者を救済する”ことこそが生きる目的であり、使命。それゆえに、むざむざと魔術師に殺人を許すわけにはいかないのだ。
――犯人の凶行を防ぐ。今回、このことに関してだけは協力するよ。でも、捕まえて“始末”する手伝いはしてやらない。そんなことしたら和也の立場が元通りになっちゃうもの。だから僕は独自に捜査を進めて魔術師を捕まえる。でもそれを京香に引き渡したりはしない。むしろ犯人を説得して殺人をやめてもらって、どこか遠くに逃げてもらう。そうすれば和也はいつまで経っても殺人犯扱いのまま。となると、これからの人生相当苦労するだろうね。鬼龍院さんとの仲が危うくなるようなことも、何度だって起きるはずだ。そこで僕が颯爽と登場。鬼龍院さんの心の支えになり、ゆくゆくはあのとんがりコーン野郎から鬼龍院さんを寝取る。……グフフフフ、我ながら完璧な作戦だなぁ。
モチベーションを燃やしながら、周囲を注意深く観察し続ける。
彼の中にある良心の呵責が、本当にそれでいいのか、と問い尋ねてくるが、その自問に回答をくれてやるつもりはない。完全にスルーである。
少年とて、理解はしているつもりだ。自分がやっている行為が最低であることなど。
だが、それでもやめるつもりはこれっぽっちもない。
リア充、主人公的人間(男)は人にあらず。それは彼の信条の一つ。時の経過、挫折、諦観の末に生まれた、歪な情念。
淀川暗人は、主人公のような人間を目指して努力を積み重ねてきた。最初は純粋な正義の味方を志していた彼だったが、その道はまさに茨の道。彼のような“人間”では進むことができなかった。
暗人は、報われたいと思ってしまったのだ。それゆえに、“誰かを救うことはできても己を救うことはできぬ”正義の味方ではなく、“誰かを救い、己も救う”主人公に憧れを抱くようになった。
けれども、現実は甘くない。この世界は、彼を正義の味方にすることはあっても、主人公にすることはなかった。それを悟った彼は、主人公の道を進むことを諦めたのである。
自分は主人公になどなれない。その運命を、暗人は“受け入れ”た。しかし、“納得”はしていない。ゆえに、このザマである。自分が歩めぬ道を往く者共を、幸福そうに笑うバカップル共を、少年は心底から妬み、憎むようになった。