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どんなに好きでも目に入れたら痛い

はじめまして、こんにちは。

こちらでは初めての投稿となります。

拙いですが、よろしくお願いします!

  『どんなに好きでも、目に入れたら痛い』


 ふと、幼い頃にあいつがやった失態を思い出したのは、授業中に何気なく捲っていたことわざ辞典がきっかけだった。

 確かあれは、俺とあいつが幼稚園に入りたてくらいの時だったと思う。

 その日、あいつはお迎えのバスにいなくて、先生には病院に行ったから今日はお休みなのだと聞いた。でも、あいつは幼稚園に来た。

 邪魔そうに右目に眼帯をしながら。

 幼稚園児にとって眼帯なんて見たことがなかったから、すぐに注目の的になっていたあいつを俺は遠巻きに見つめていた。給食の時間、隣の席に座ったあいつに話しかけた。

『それ、どうしたんだ?』

『あのね、おばあちゃんのおうちでおめめにあかいクレヨンをいれたらすごくいたかったの。』

 意味が分からなかった。

 後に詳しく聞いたところによると、あいつのおばあちゃんが『あんたみたいに可愛い子はね、ばあちゃん達にとっては目の中に入れても痛くないよ。』と言われたらしい。大好きな孫のことを可愛くて仕方がないと言いたかったようだが、あいつの脳内でどんな化学反応が起きたのか、『好きなもの=目に入れても痛くない』という公式が成り立ったらしく、大好きな赤いクレヨンを目に入れて相当痛い思いをしたらしい。

 目自体に大した傷は付かなかったらしいが、それでも目を擦ったり、角膜を保護したりする為に安静と目薬、眼帯使用が命じられたらしい。

 本当に大事にはならず、三日もすれば眼帯は取れていたが。

「・・・ってことがあったよな。」

「そんなこともあったねぇ!」

 あいつは俺のノートを写しながらけらけらと笑った。こいつ、授業中のほとんどを寝てやがるのか、何故ノートが真っ白なんだ。毎回毎回いい加減にしろ。

 しかし、そんな意味のない台詞は言わない。言っても反省しないし、たとえ反省しても直せないのだから。

 今回もお願いしますと神妙に頭を下げてきたのはいいが、貸したノートに小学生並みの落書きをしながら写しているせいか、ちっとも進んでいない。

「よく覚えてたね。私も言われるまで忘れてたのに。」

「お前の間抜けは他と一線を画してたからな、嫌でも記憶に残る。」

「そういえばネタの宝庫だねって言われたこともあった。でも私、大して面白いこととかしてないけどなぁ。」

 ネタの宝庫という言葉はあながち間違っていない。過ぎてしまえば武勇伝ものの出来事ばかりだが、それを毎回近くで見る羽目になっている俺としては心臓に悪いことこの上ない。そう言う意味では、後半の言葉も的を射てはいる。違う意味合いを用いるのであれば、存在自体が面白珍獣なので説得力がない。

「この前床に摩り下ろされた奴が吐く台詞じゃないな。」

 こいつはあろうことか女子の癖にスカートで階段を二段飛ばしで降りていたそうだ。他の生徒を避けようとしてバランスを崩し、勢いを殺さないまま着地したらしい。そして半ば倒れかけていたにも関わらず走り、ゴムのような質感の廊下に上履きを取られ、スライディング土下座をしたのだそうだ。もちろん、頭も思い切り教室の壁にぶつけ、教室内では壁にかかっていた時計が落下。壊れたらしい。

 当然こいつも無事ではなく、膝や手首を火傷状態で盛大に擦り剥き、そこら中に絆創膏やガーゼを貼られていた。スライディング土下座も、鼻の頭に絆創膏を貼ってる奴も漫画の中だけのことだと思っていたが、実在するのだと十何年生きてきて初めて知った。

「もう治ったよ。ほら、見てみて。」

 そう言ってスカートを膝上までめくり上げるのを見ながら俺は思った。

 こんな恥じらいもなく行動してしまうのは俺が男として見られていないからか、こいつに女としての自覚がないのか、それとも教育方針が間違っていたのか・・・あるいは全てなのか。俺には判断できなかった。

「いいからさっさと写せ。あと十分。」

「えぇっ、まだ全然だよ!」

 何度も擦り剥いたせいで多少他よりも色の黒い膝は、言葉の通り傷はなかった。クラスメイトに押し付けられて保健室に付き添った時の、見ているこっちの方が痛くなりそうな引きつり、筋状に血が流れる傷はどこにも見られなかった。

 そのことに感情の変動はない。長年の付き合いで、もっとひどい怪我を負った所を見たことだってあった。入院した時だってあって、見舞いに行けば今以上に痛々しい姿を嫌というほど見てきた。だから怪我の有無は関係ない、もう何も感じないほど慣れたから。

 そしてこいつの笑顔も変わらない。まるで何も感じていない、分かっていない。傍から見たら呆れるほど暢気な笑顔。変わらないそれだけに安堵する。心の寄る辺のようにさえ感じていた。

 怪我の有無なんてどうだっていい。痛みも流血も一時的なもの。治るものだ。

「・・・まだか。」

「もう少しです。」

「早くしろ、俺も待ち合わせがある。」

 それなのに、変わらない笑顔に心動かされるのはどうしてだろう。

 俺が急かしたせいでペンの進みはだいぶ早くなったが、このままではまた同じことの繰り返しになるのではないかと教室の壁にある時計に目をやれば、そこにはいて欲しくない人物がいた。正確にはいるとややこしくなる人物が。

「・・・あっ。」

 廊下から教室を覗いたその女生徒が俺の視線に気付くと悲しそうな表情になって背を向ける。そして足早に去っていくのを俺は絶望的な思いで見ていた。ただ、見られたことによる焦燥ではない。説明することへの面倒臭さでもない。

 また目の前の何も知らないこいつに不思議がられること、変に気を遣われることへの煩わしさだ。

「・・・もういいか。」

「うー、うん。大丈夫。」

 ありがとうと言いながらこちらにノートを差し出してくる奴の手からひったくるようにノートを受け取り、鞄に詰め込んだ。

「そんなに・・・ん? うわ、ごめん。待ち合わせに遅れちゃう?」

「そうだな。」

「ほんとごめん!」

 こいつが何を言おうが現状は変わらない。どうせ、またややこしいことになるのだから。

「じゃあ、また明日ね~。」

 結局は俺の粗野な態度にも慌てている様子にも何も言わず、そして何も気づいていないような様子で手を振るこいつがひどく憎らしくなった。

 でも、今はそんなことを気にしている場合じゃない。

 俺は世間一般の恋人がするように走り去った女生徒を追いかけた。案の定というか、俺の彼女は昇降口で待っていた。緩慢な動作でこちらを見ると、ひどく苦しそうな表情で笑って見せた。

「噂、本当だったんですね。」

「どんな噂?」

「先輩は、彼女を作るけど好きにはならないって。」

「・・・そんな風に噂されてるとは思わなかった。」

 目の前の彼女はそんな噂を聞いていながら俺と付き合おうと言い出したのだろうか。

「先輩が好きになるのは・・・あの人だけだって。」

「好きじゃないよ。」

「でも、あの人が特別なんですよね。」

 俺は不誠実に接したつもりはない。目の前の彼女をちゃんと好きだし、一番好きだと言える。好きじゃない奴からの告白は断るし、今までの彼女達の中には俺が告白して付き合いだした子だっていた。

 でもそれが、彼女達にとってはどれも不満らしい。一番ではあっても特別ではないと、別れ文句はいつもそれだった。

 少女は昇降口の下駄箱に預けていた背を離し、俯きながら口を開いた。泣き出しそうな声だった。

「私・・・先輩が大好きです。だからずっと一緒にいたい。先輩の傍にいたい。でも、とても苦しいんです。先輩は私を見てくれないから。」

 まるで過去の再現を見ているかのような言葉や少女の仕草に急速に気持ちが冷めていくようだ。

「あの人の代わりには・・・私、」

「・・・分かった。」

 俺は言葉を遮った。聞くに堪えない、その言葉を。

「・・・さようなら。」

 少女はそう言うと、下駄箱から靴を出し、踵を踏んだまま外に飛び出した。今回は比較的、物分かりがよかったのだろう。過去の例では遮った言葉を繰り返されたり、あいつに文句を言いに行ったり、別れを切り出しておきながら未練がましく別れたくないという奴もいた。それを思えば・・・今回はいい。

「・・・ええと。」

「・・・盗み聞くな。」

「私だって帰ろうとしたんだから仕方ないじゃん。」

 悪びれなく言いながらこいつは平気そうな表情をする。

 さっきのミニ修羅場の原因であるこいつは、立場を自覚しているんだろうか。あまりにも飄々として、何も見てない聞いてない状態で下駄箱に近付いていくのを苛立たしげに見詰めた。

「なぁ。」

「んん?」

「俺と付き合わない?」

「どこに?」

 即答しやがった。本気でこいつは買い物か何かに付き合わせるとでも思っているんじゃないかと言うほどの落ち着き払った態度。それが呆れと共に脱力感となって俺を襲う。

「そうじゃなくて、男女のお付き合いをしませんかってこと。」

「え、私とあんたが?」

 驚いたようにスニーカーを持ったままこっちを見るが、数瞬後には呆れたような、でもいつものまるで何も考えていない顔で吹き出した。

「ないない。第一、あんたの好みと私って全然違うじゃん。別れるのがオチだよ。」

「付き合ってみないと分からないだろう。案外長続きするかもしれない。」

「長続きするのが恋愛なの? それおかしくない?」

 男女交際の「だ」の字も知らない恋愛初心者が何を講釈垂れてんだと言いたくなったが、確かに長続きすることが、イコール恋愛が上手くいっているとは言えないから口を閉ざした。

「まぁ、今回は私があんたのノートを借りて誤解させたみたいだし、ちょっと責任感じなくもないけど・・・」

 一瞬、その責任感に付け込んでやろうかとも思ったがやめた。どうせ、罠に嵌めたところでこいつは自然消滅させる。そんなのは一度体験すれば十分だ。

「早く仲直りしなよ。」

「・・・。」

「おーい、お返事は?」

「くたばれ、天然鈍感ボケ。」

「・・・せっかく心配してやったのに、ひどっ!」

 そう言うとスニーカーに荒々しく足を突っ込んで、こちらを振り向きながら目の下を指で引っ張り、舌を突き出した。いわゆる、あっかんべーの表情で。

「振られプレイボーイの甲斐性なし!」

 昇降口中に響いた大声に自分自身が驚いたのか、俺の反撃を恐れたのか、あいつは慌てて身を翻すと一目散に走り出した。


 あいつは覚えちゃいない。むしろ意識すらしていない。

 俺の初代彼女はあいつだった。付き合うきっかけはガキのプライドだったと思う。

 それまであいつと面白おかしく過ごしてあいつの世話を焼いていればよかったのに、女生徒と付き合ったことがなかったのを揶揄されて、勢いで告白したのが始まりで。

 あいつは二つ返事で付き合いを承諾してくれた。俺はそれを完璧に誤解していた。あいつも誤解していた。

 さっきのやりとり同様、あいつは出掛ける約束だと思い、俺は男女交際の承諾だと思った。完璧に初心だった俺は、あいつの考えなしが恋愛方面にも及んでいることに全く気付かなかった。

 当然、あいつは急速に近付く俺に戸惑い、慌てて、最終的にはこんなことを言ってきた。

『最近変だよ。手なんか幼稚園以来繋いでないのに繋ごうとするし、抱きしめようとするし、どうしてこんなことするのさ。そういうことは付き合ってる男女がするんだよ。いくら彼女ができないからって私にすることじゃありません。』

 あまりにあんまりな台詞に俺は本気で絶望した。しばらくは口もきかず、目も合わせなかった。でもそんなことが長く続くはずがなくて、あいつは普段通り怪我をして、それを放っておけなくて俺が世話を焼く。気付けば恋愛云々の話はあいつの記憶から抹消され、俺達は元の友達の鞘に収まった。

 そのうち告白してきた気になる他の女の子と付き合う、別れるを繰り返して今に至る。

 でも、そんな恋愛遍歴のうちで気付くことがあった。

 俺はきちんと彼女を好きになるし、一番好きだと言えるのに、特別好きかと言われればそれは違った。好きだけど、未練がなかった。自分のことを知って欲しいと思うのに、相手のことを知れば知るほど距離が開いていくようだった。その原因が、長いこと分からなかった。

 それは高校に入ってから分かったけど。皮肉なことに、別れ文句が原因で。

 総合すると『彼女を特別愛していない』らしい。学生の恋愛に愛するも特別もあるのかと思うけど、とにかくその一言に尽きるのだとか。

 諦めたくないとか、何よりも優先するとか、ほっとけないとか・・・思えない。ずっと一緒にいたいとも思えない。俺にとっての恋愛とは必ず別れが来るものなのだ。それが長引こうが短かろうが関係ない。全部そうかと思ってた。でも、違った。

 あいつだけは、違う。

 全然何も考えてないし、俺に迷惑ばっかりかける。他の女子のように落ち着いてないし、いつも笑顔を絶やさない。でもその笑顔の下、あいつが何を考えているのか一度でも分かったと手ごたえを感じたことはなかった。

 あいつは、俺が知っている誰よりも飄々とした読めない奴で。とんでもないトラブルメーカーで、こっちの寿命を縮めることに長けている。それでも・・・


「・・・あのぉ・・・」

「・・・またかよ。ていうかその膝、どうしたんだよ。」

「朝、転んじゃって。」

「それで制服が砂まみれなのかよ。ていうか手も傷だらけで・・・洗ってないし!」

 翌日、砂まみれかつ血みどろで登校してきたあいつを見て、俺はポーカーフェイスを早々に脱ぐことになった。教室中の人間が登校してきたあいつを見て目を丸くしているのだから、長年付き合いのある俺がそんな事でどうすると思わなくもないが、それにしたって何故転んだだけでそんな風になるのかと思うような有様だった。

 一応払ったらしいがまだ砂っぽい。血の滴る傷口を避けて手を掴み保健室に連行しようとすると、あいつは慌てながら言い募った。

「あの、今日の数学・・・!」

「なんだよ。」

「宿題見せてください!」

 俺は呆れて立ち止まり、保健室前に来たのに足を止めた。

 砂まみれの血みどろ、お世辞にも真面目とは言えなくて傍迷惑すぎると何度感じただろう。でも、何も考えていないと思う笑顔で、誰よりも心のうちが見えない。

 ふと、昨日いくつかの思い浮かんだことわざが脳裏を掠めた。

 痘痕もえくぼ、蓼食う虫も好き好き、十人十色、目に入れても痛くない。

 なんだか身に覚えがあるような、ないような。だけど昨日こいつに話したのを、こいつが昔勘違いしたことわざの意味を反芻して思った。

 あのことわざは、嘘つきだ。

 目に入れても痛くないなんて嘘。

 目に・・・視界に入っただけでこんなに痛い。切ない。苦しい。

「・・・あとでな。」

「やったぜ!」

 嬉々として俺の手をすり抜けて保健室に入る奴の背中を見て、何故か心が騒いだ。

 俺は、いつからこんなふうに思うようになったのか。何が原因で、あいつを自分の中の順位付けの中で見ることができなくなったのか。

 天真爛漫で前代未聞の武勇伝を持つ、斬新奇抜な少女。

 見ていて飽きないが、見ていてこの上なく心臓に悪い俺の友人。

 いつも何かに付けて世話を焼かされ、もういい加減に面倒になって、でも恋人以上に気にかかる。誰よりも明け透けで無防備なはずなのに、誰よりも本心が掴めない。

 いままでもこいつがそうだったように、これからも俺はこいつの世話を焼きながら過ごしていくんだと思っていた。でも、一緒にいる為の括りにこいつは入ってくれない。その為の手段でしかないと思いながら、どうして焦りや痛みを感じ始めたのか。

 一番では収まりきらない、特別な存在。

 しょうもない奴で、でも過去の自然消滅でもなんでも許せてしまう、許してでも想っている。それを特別だと言うのなら、このどうしようもなくなりつつある自分自身を救うというのなら・・・


──どんなに好きでも、目に入れたら痛い


 痛くならない為には視界から消そうか、それとも逃げられないように抱き締めてしまおうか。



END


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