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不吉な影人は、たった一人を逃がさない

作者: おかゆ
掲載日:2026/06/16

アリシア視点から読んでいただくと分かりやすいと思います。

世界は、どこまでも冷たくて騒がしい暗闇だった。



外から響くのは、得体の知れない足音や、品定めするような無機質な声。

自分が「何者」として生まれてくるのかすら分からないまま、僕は硬い殻の中で、ただじっと息を潜めていた。



このまま、誰にも気づかれずに消えていくのだろうか。



そんな諦めに似た拒絶の中に、その「熱」は迷い込んできた。



トタトタと、他の子供たちとは違う、怯えたような小さな足音。

周囲の喧騒から逃れるようにして、僕が置かれた最下段の、日の当たらない隅へと滑り込んできた気配。



──そっと、僕の殻に小さな手が触れた。



「……あなたも、みんなが怖いの?」



微かな温度と一緒に、震える声が鼓膜へと届く。

その瞬間、硬い殻を透き通って、彼女の魂が抱える「冷たい暗闇」がふわっと僕の中へ流れ込んできた。誰の目も届かない場所で、一人寂しく朽ちていったような、ひどく深く、切ない死の残滓。



(──ああ、僕と同じだ)



不思議と、愛おしさが込み上げた。

僕たちは、この広すぎる世界で、同じ色の孤独を持っている。



彼女の切ない声、僕を必要としてくれる微かな体温。

外の騒がしいノイズをすべて遮断して、僕は彼女の温もりだけを愛おしく吸い上げる。

胸の奥──卵の核心が、生まれて初めて強くドクンと脈打った。



**



彼女は周囲から「アリシア」と呼ばれているようだ。

僕は卵の奥深くで、アリシアの感覚を重ね合わせるようにして外の世界を「視て」いた。



僕を日の当たらない最下段から拾い上げ、部屋の隅へと連れ出してくれたアリシア。

彼女の小さな胸の内に流れ込んでくる外の気配は、僕にとってもひどく不快で、うるさい。



「ねえ、アリシア。あなたの卵、少し黒くなったんじゃない?」


「他のみんなは明るくて綺麗な色になっているのに…。ちょっと気味が悪いわ。」



向けられるのは純粋な悪意というよりは、子供特有の無遠慮な好奇心と、正直な疑問。

けれど、彼女の呼吸を奪うには十分すぎる鋭利な刃だったようだ。



アリシアの心が恐怖にガタガタと震え、防衛本能から周囲に厚い心の壁を築いていくのが分かった。

彼女は周囲と関わるのを諦め、ただ僕だけを抱きしめて、声を殺して泣いている。



**



殻を破るべき時は、真夜中に突然訪れた。



彼女が苦しそうに呼吸を乱しているのが分かった。熱を出して寝込んでいるのだ。



僕を呼ぶような、か細い地鳴りのようなその気配に突き動かされ、僕は内側から世界を叩き割った。



溢れ出た光の向こう、枕元で横たわる少女と目が合う。



気配を察知してすぐに表れた大人たちは、僕の姿を見て、一瞬顔を強張らせた。



「影人か……」


「珍しいわね」



ひそひそと囁かれる忌避の色。自分が、この世界において歓迎されない、影という異質な存在なのだと、言葉を介さずとも本能で理解した。少しだけ、胸の奥が冷たくなる。



けれど、僕を映す彼女の瞳だけは違った。

アリシアは、怯える周囲など一瞥もせず、苦しい呼吸の中で、僕へと手を伸ばしてくれた。



「……あなたはずっと一緒にいてくれるよね……?」



その小さな手を、壊さないように、けれど決して離さないように強く握りしめる。僕の心に、言葉にできないほど深い安堵が広がっていく。



「あなたの名前は、レイよ」



名を呼ばれた瞬間、それまでぼんやりとしていた温もりが、明確な「絆」へと形を変えて僕の体内に融け込んだ。同時に、アリシアの体を蝕んでいた有害な魔素が、僕の肉体を通じて急速に引いていく。



彼女を救えた。彼女の特別になれた。

まだ幼い僕の胸に、静かな灯火が宿った瞬間だった。



**



義務教育クラスに進んでも、アリシアの傷は癒えていなかった。

いつも教室の最後方、壁際に身を隠すようにして座る彼女を、遠巻きに「陰気」と笑う有象無象の視線。



時折彼女はひどく怯え、過呼吸を起こしそうになる。

そんな時、僕は座席の下で自分の影の端をそっと彼女の影へと重ね合わせた。



本能で分かる。

影人の特性である『気配遮断』が、影を通じて彼女を包み込む。



世界から二人きりで隠されているこの瞬間、アリシアの張り詰めた呼吸が、目に見えて楽になっていく。僕の手を握る彼女の指先が温まる。



(他の誰かに理解されなくていい。僕の言葉を、僕の存在を、アリシアだけが分かってくれればいい)



彼女の隣で、彼女のためだけに影を広げる日々。いつしか僕の心は、完全に一つの形を結んでいた。

──僕の世界は、アリシアだけでいい。





「なあアリシア。お前、レイのあれ、ただの可愛い癖だと思ってんのか?」



ある日の放課後、クラスメイトの竜人・レオンが、引き攣った顔でアリシアに耳打ちしているのが聞こえた。

クラスメイトで数少ない、アリシアにも気を配れる優等生。

上位魔族である彼は、僕の気配遮断を見破り、僕の影がアリシアの影を少しずつ浸食していることに気づいていた。



「いいか、影人にとって影の同化は『領域主張』らしいぞ。こいつがお前以外を見る目が笑ってないの、本当に気づいてないのか?」



アリシアは笑って受け流している。

僕はレオンを冷ややかに睨み返した。



(気づかれようが構わない。ここは僕の領域だ。誰にも触れさせない)



だが、そんな幸福な引きこもり生活も、十二歳の冬に終わりを迎える。

それぞれの種族の特性を学ぶため、僕たちは一時的に離れ離れにならなければならない。



旅立つ日の前夜、帰路につくアリシアの後ろを歩きながら、僕は彼女の足元に伸びる影を、一歩一歩、強く踏み締めながら歩いた。



(アリシアの心は僕しか守れないんだ。本当は一時も離れたくない。)



必ず、誰にも負けない力をつけて戻ってくる。

そして次こそは、僕の影で君を完全に包み込んであげるから。



**



僕たち影人は、血脈に刻まれた本能的な呼び声に導かれるようにして、外界から秘された暗き郷へと自然に行き着く。



影人の郷は、静かで、冷徹だった。



契約者を持つ影人が珍しいこともあり、僕は郷で手厚い訓練を受けることができた。

同族たちは皆、感情が乏しく、あまり他人に興味を持たない。けれど、僕は違う。アリシアと過ごした数年間が、僕の心に「独占欲」という、影人としては稀有な感情をもたらした。



それを明確に自覚したのは、郷の高等技術である『影渡り』の訓練を始めたときだった。



影渡りとは、己の影を媒介に離れた場所の影へと移動する空間跳躍術だ。

通常、数メートル先の影に転移するだけでも数年の修練を要する。同族の少年たちが無表情に訓練を繰り返す中、長老は僕たちにこう説いた。



「影渡りの神髄は、転移先となる影への『明確な理解』である。色濃く、揺るぎない標的を影の底に見出さねば、空間の狭間に引き裂かれ、二度と戻れなくなると思いなさい」



──明確な理解。色濃く、揺るぎない標的。

そんなもの、僕には一つしか存在しない。



(アリシア。会いたい。今、何をしているの?)



彼女に焦がれる強烈な飢餓感を足がかりに、僕は己の影の深淵へと足を踏み入れた。

奈落のような闇を滑り落ちる。けれど、僕たちの間にある強い想いが、暗闇の中に眩いほどの道標を打ち立て、僕を真っ直ぐに導いていく。



どれほどの距離を跳び越えただろうか。

不意に視界が開け、僕はとある「影」の底から、外の世界を覗き見ていた。



ツンと鼻を突く、インクと古い紙の匂い。

そこは、遠く離れた人間の訓練校の教室だった。

そして僕が潜んでいるのは──他でもない、アリシアの足元の影だった。



(……あぁ、アリシア)



影の隙間から見上げた彼女は、少し大人びた横顔で、必死に教科書に向かっていた。



その瞬間、彼女の足元を通じて、僕の体内に信じられないほど濃密で純粋な魔素が流れ込んできた。

ただ量が多いのではない。人間の身体には有害なはずの魔素が、僕のために極限までコントロールされ、最も吸収しやすい形へと優しく整えられていたのだ。



(そうか……。君が、僕のために、こんな過酷な技術を学んでくれていたんだね)



郷に来てから、僕の能力が周囲を置き去りにするほどの速度で向上していた理由を、僕はここで初めて知った。契約関係がある魔族だから強いのではない。アリシアが命を削るようにして僕に注いでくれる、圧倒的な想いの結晶が、僕の力となっていたのだ。



郷にいながらにして、いつでも彼女の足元に潜り込めるし、彼女の敵となるすべてから守ってあげられる。

最強の能力を手に入れた歓喜と、彼女の献身への愛おしさで、笑みがこみ上げる。



……しかし、同時に、耐え難い不快感も感じた。



影の底から覗くアリシアの周りには、「エマ」という人間をはじめ、僕の知らない人間たちが少しずつ増えていた。僕のいない場所で、僕以外の有象無象と楽しげに交流している、ように見える。



胸の奥が、どろどろとした暗い感情で埋め尽くされる。

僕のために強くなろうとしてくれているのは嬉しいけれど、僕以外の世界を知っていく彼女を見るのは、どうしようもなくもやもやして、気が狂いそうだった。



(僕だけのアリシアだったのに──)



**



訓練校の卒業式。

僕は彼女の足元の影を大きく波立たせ、その実体を現した。



「──アリシア」



声をかけると、彼女は驚いたように、けれどすぐに歓喜に満ちた表情で僕を見上げた。



(可愛い)



僕の身体は大きくなり、身長も彼女を完全に見下ろせるほどになった。

影人としての強大な力を手に入れた僕を、アリシアは真っ直ぐに見つめてくる。



「強くなったね。僕のために、そこまでしてくれたんだ」


「ええ。あなた失うわけにはいかないもの。私があなたを生かすわ」



当然のように強く抱き合ってくれる彼女の体温に、数年飢えていた心がようやく満たされていく。

人間と契約して生まれた魔族は、必ずしも人間と一緒に居続ける必要はないが、アリシアと僕はお互いに確認するまでもなく、これからも歩む道は一緒だ。



だが、配属された戦場は、僕の独占欲をさらに狂わせる場所だった。

後方支援官として、戦場を忙しなく駆け回るアリシア。彼女はそのひたむきさゆえに、瞬く間に周囲の戦士たちから信頼され、仲間として受け入れられていった。



それが、どうしても許せなかった。



ある日の戦闘後、とある獣人の剣士が、悪ノリ半分の軽い口調でアリシアに笑いかけた。



「アリシアさんが俺のバディだったらなぁ」



周囲から小さな笑い声が上がる。アリシアも苦笑して聞き流そうとしている。



──その瞬間、僕の理性の糸が、音を立てて弾けた。



僕のアリシアに、どの口が気安く触れようとした?

彼女は僕のものだ。僕を生かすためだけに、その命を削っているんだ。

お前たちの入る隙なんて、一寸だってありはしない!



ドク、と心臓が跳ね、僕の中から抑えきれない魔素が濁流となって溢れ出した。

辺り一面が、夜そのものが物質化したかのような濃密な闇に包まれる。有象無象どもが、恐怖に息を呑む気配が伝わる。



影から無数の刃を突き動かし、目の前にいた魔獣を、抵抗の余地すら与えずズタズタに切り裂いた。

八つ裂きにされる魔獣を見つめる僕の瞳には、何の感情も、慈悲もなかった。

これは魔獣への怒りではない。周囲の男どもへの「手を出したら殺す」という、脅迫だ。



戦闘が終わるや否や、僕は一直線にアリシアへと歩み寄った。



「レイ?」



驚きつつも呼びかける彼女の言葉を遮るように、その細い手首を、強い力で掴み取る。

僕を見上げる彼女の瞳が、恐怖とは違う何かで微かに震えた。



表情はいつも通り作れなかったかもしれない。

けれど、僕の灰色の瞳の奥には、濁りきった狂気的な独占欲が、隠しようもなく溢れていたはずだ。



(今すぐ、このまま影の底へ引きずり込んで、閉じ込めてしまおうか──)



そんな衝動を、僕は必死で押し殺していた。



**



現在、前線基地のオフィス。



僕の影は境界線なく広がり、アリシアの足元の影を完全に丸呑みにして、彼女を包み込んでいる。

もはや、これは彼女の影ではない。僕の影であり、僕の領土──すなわち、僕の「住居」だ。



遠くから、人間の()()らしいエマが、あきれたように頭を抱えてアリシアに何かを訴えている。



「あなた、社会的にも精神的にも、あいつの影の中に『収納』されて檻に閉じ込められてるのよ!」



人間の分際で、随分と勘が良い。

その通りだ。僕は『気配遮断』を利用して、アリシアに近づくすべての男たちから彼女を隠し、影の中から常に周囲を威圧している。彼女は僕の檻から、一生出られない。

まあ、業務に支障が出ない程度に、同性の友人一人や二人なら見逃してやるが。



冷ややかにエマを見下ろしていると、腕の中でアリシアがふっと嬉しそうに笑った。



彼女は、気づいている。

僕が彼女に向けている感情が、ただの情などではなく、遥かに深く、重く、そして狂おしいほど甘い執着であるということに。



そして彼女は、その檻の重さを知りながら、自ら僕の濃厚な魔素の温もりに身を委ね、歓びの表情を浮かべているのだ。



(ああ、やっぱり君も同じだ、アリシア)



君が僕を必要としてくれるから、僕は君のすべてを呑み込める。

君が強くなろうと関係ないし、万が一、羽ばたこうとしてももう遅い。



他の誰の目も届かない、僕だけの影の檻。

世界で一番温かくて安全なこの中で、一生、僕だけに溺れていて。



──ここが、僕たちだけの、世界で一番美しい特等席なんだから。




レイ視点も書いてみました。


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