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花のない花嫁  作者: 秋月 もみじ


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第5話 共に育てる温室


ルーカスさんの植物の育て方は、なんというか。理論は完璧なのに、手つきが葬儀屋だった。


苗を鉢に移す手が、とにかく硬い。根を傷つけないよう慎重にしているのはわかるが、慎重すぎて苗がかえってストレスを受けている。土の詰め方も均一すぎる。植物は少し不揃いな環境のほうが根を伸ばしやすいのだと、何度説明しても、彼の手は正確な等間隔を刻み続ける。


「ルーカスさん、もう少し雑でいいんです。植物は完璧な環境より、ちょっとした隙間を好むんですよ」


「隙間……」


ルーカスさんは眉間に皺を寄せて、ノートに「隙間の効用」と書き込んだ。真面目か。


温室再建が始まって数日。朝から夕方まで、二人で作業をする日々が続いていた。


私が土壌に魔力を注いで成分を整え、ルーカスさんが理論に基づいて苗の配置を決める。私が種に語りかけるように魔力を込めれば、ルーカスさんが成長速度と環境変数の関係をノートに記録する。


噛み合い始めていた。


ルーカスさんが「南棚の温度が〇・三度高い」と言えば、私はその棚の薬草に少し強めの魔力を注いで成長を促す。私が「この苗は根が弱い」と感じれば、ルーカスさんが土壌の配合を変えるレシピを即座に組み立てる。理論と直感。数値と感覚。正反対のようでいて、合わさると思いがけない力になる。


作業中、ルーカスさんはほとんど喋らない。ただノートにペンを走らせる音と、私が苗に魔力を注ぐ時のかすかな音だけが温室に満ちている。不思議と居心地が良かった。公爵邸の沈黙は冷たかったけれど、この沈黙は温かい。同じことに集中している人間が隣にいるというだけで、空気の質が変わる。


午後、温室の扉をノックする音がした。


「おねえちゃーん!」


リリだ。辺境領の領民の子で、八歳。ここ数日、温室に遊びに来るようになった。最初は温室の前で遠巻きに見ていたのが、私が小さな花を咲かせて見せたら目を輝かせて、それ以来毎日来る。


「今日もお花見せて!」


「リリ、今は作業中だから……」


「いいよ、少しだけなら」


ルーカスさんが意外にもあっさり許可を出した。


私は棚の隅で小さな花を一輪咲かせてみせた。リリが歓声を上げる。


「すごい! きれい! おねえちゃん魔法使いなんだね!」


屈託のない声が温室に響く。子供の言葉には計算がない。だからこそ、喉の奥にひっかかる。


「おねえちゃんの作ったお薬なら飲む!」


この子は、私が作ったものなら受け入れてくれると言っている。私の力を、ごく自然に肯定している。公爵邸では一度もなかったことが、八歳の少女の口からあっさり出てくる。


「……ありがとう、リリ」


「? なんでありがとうなの?」


「なんでもない。さ、今日はもう帰りなさい。暗くなる前に」


リリを送り出してから、作業に戻った。


夕方近く。ルーカスさんが棚の前で立ち止まった。三日前に植えたばかりの薬草が、もう小さな葉をつけている。


「驚いた。これだけの促成栽培が、土壌を痛めずに実現できるとは。僕の理論モデルの三倍のペースだ」


「魔力の注ぎ方にコツがあるんです。一気に注ぐんじゃなくて、根が吸える量だけ少しずつ。呼吸に合わせるように」


「呼吸に……植物の呼吸に合わせる? それは感覚的な技術か、定量化できるものか」


「感覚、です。母に教わった時も『花の声を聞きなさい』としか言われなくて」


ルーカスさんはペンを止めた。何かを考え込んでから、唐突に言った。


「君の魔力制御の精度は、僕がこれまで観測した植物魔法の事例の中で突出している。Kaltzberg論文の理論上限値を超えている可能性すらある。つまり」


「……はい?」


「君は、すごい」


最後の三文字だけ、やけに小さな声だった。学術用語の洪水の果てに、ぽつりと転がった素朴な言葉。


耳の後ろが熱くなった。


「い、いえ。これは普通の。普通のことで、特に、その」


顔が熱い。首まで赤くなっているのが自分でわかる。褒められることに慣れていない。三年間、「すごい」と言われたことが一度もない。


「あの、すみません、少し外の空気を」


立ち上がって温室のドアに向かった。ほとんど逃げるような足取りだった。


背後でルーカスさんが「何か……間違ったことを言っただろうか」と困惑した声を出しているのが聞こえた。


間違ってない。間違ってないのだ。ただ、受け取り方がわからない。「すごい」と言われた時にどんな顔をすればいいのか、私は知らない。公爵邸では「不要」と「慎め」しか学ばなかった。褒め言葉を受け取る器が、三年間で干上がってしまった。



温室の外に出て、冷たい風を吸い込んだ。


馬鹿みたい。褒められただけで逃げ出す十九歳。でも、どうしようもなかった。


嬉しかったのだ。怖いくらいに。「すごい」という三文字が、乾いた土に落ちた雨粒みたいに、じわじわと染み込んでくる。これを受け入れてしまったら、もう元には戻れない気がした。「不要」だと言われても平気でいられた自分に。傷つかないように硬くなった殻が、たった三文字で罅が入る。


しばらく外にいて、落ち着いてから戻った。ルーカスさんは何事もなかったかのようにノートに向かっていた。ただ、私の作業台の上に湯気の立つカップが置いてあった。薬草茶。いつもの甘い味。


何も言わずに、茶を淹れてくれていた。


カップに口をつけた。温かい液体が喉を通る。少しだけ、肩の力が抜けた。


夕方、片付けをしている時。右手に、かすかな痺れを感じた。


魔力を使いすぎたのかもしれない。三年間のブランクがある体に、ここ数日の作業量は多すぎたのだろうか。


握りこんで、隠した。ルーカスさんに心配をかけたくなかった。この人はすでに十分すぎるほど私のことを気にかけてくれている。薬草茶に喉に良い成分を混ぜてくれていることにも気づいている。そのうえ体調まで心配させるのは申し訳ない。


「イリスさん、今日は切り上げよう。明日も早い」


「はい。ルーカスさんも、あまり遅くまでノートを書きすぎないでくださいね」


「……善処する」


善処では意味がないのだが、それを指摘するほど親しい間柄ではまだない。


部屋に戻って、手のひらを開いた。痺れはまだ残っていた。指の奥に、何か大きなものが蠢いているような感覚。封印の下で三年間溜まり続けた魔力が、出口を求めて身じろぎしている気配。


考えすぎだ。明日にはきっと治まる。


自分にそう言い聞かせて、灯りを消した。

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