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花のない花嫁  作者: 秋月 もみじ


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第4話 枯れていく庭


噂は花より早く広がる。アシュフォード公爵邸の庭園が、枯れ始めたらしい。


それを聞いたのは、温室で薬草の苗に水をやっている時だった。マティアスが朝の茶を運んできて、何気ない口調で言った。


「王都の商人から手紙が参りまして。アシュフォード公爵領の庭園が、ここ数週間で急速に衰えているとのことです。庭師たちが原因を探しているようですが、見当がつかないそうで」


水差しを傾ける手が、一瞬止まった。


あの庭。完璧に手入れされた、あの庭園。私がいた頃は、春には薔薇のアーチが回廊を飾り、夏には百合が池のほとりに咲き誇り、秋にはダリアが客人を出迎えていた。庭師が丹精込めて手入れをしていたが、今思えば、私の魔力も知らず知らず力を貸していたのだろうか。


「……関係ない」


小さく呟いた。自分に言い聞かせるように。マティアスの視線が柔らかくこちらを向いているのがわかったが、私はそれ以上この話題に触れたくなかった。


水差しの手を動かす。苗に水を注ぐ。ここの水は冷たい。


関係ない。私はもうあの家の人間ではない。あの庭がどうなろうと、私の責任ではない。


でも。


封印されていた三年間、私の魔力はわずかに漏れていたのだという。ルーカスさんが先日教えてくれた。完全な封印は存在せず、微量の魔力は常に放出されている、と。


つまり。あの庭は、私の魔力に支えられていた。


考えたくなかった。考えると、三年間の「不要」が嘘になる。私の力には価値があったことになる。それは嬉しいはずなのに、同時にこめかみの奥が脈打った。


価値があったのなら、なぜ封じたのだ。価値があるとわかっていて封じたのか、それとも本当に気づかなかったのか。どちらであっても、腹が立つ。前者なら悪意であり、後者なら怠慢だ。


爪が掌に食い込んでいた。気づいて、手を開いた。半月型の跡が四つ、赤く残っている。


「お嬢様、お顔の色が」


「大丈夫です、マティアス。本当に」



午後、温室でルーカスさんと作業をしていた。


ここ数日、温室の苗は目に見えて元気になっている。私が魔力を少しだけ注いで土壌を整え、ルーカスさんが理論に基づいて配置を変えた結果だ。


「このままいけば、来月には薬草の初収穫ができるかもしれない」


ルーカスさんはノートを片手に、棚の苗を一つずつ確認している。すべての苗に番号をつけて、成長記録をつけている。几帳面な人だ。


棚の前にしゃがんで作業していた時、ふと気づいた。


棚の高さが変わっている。


以前はもう少し高くて、上の段に手を伸ばすのが大変だった。それが今は、背伸びせずに届く高さになっている。


「……ルーカスさん、この棚」


「ああ、少し調整した。上段の苗にも均等に光が当たるように角度を変えたんだが、結果的に高さも変わった」


光の角度。なるほど。ちょうど私の背丈に合う高さなのは、偶然ということらしい。


深く考えるのはやめた。考えすぎるのは、昔からの悪い癖だ。


ルーカスさんが手を止めて、私を見た。


「イリスさん。一つ提案がある」


「はい」


「この温室を、本格的な薬草園として再建しないか。今の規模では小さすぎる。もっと広い区画を使えば、辺境領全体の薬草供給を賄えるかもしれない」


思いがけない言葉だった。私は手伝いで温室作業をしているだけのつもりだった。居候の身で、少しでも役に立てればと。このまま静かに暮らしていければいい。目立たず、迷惑をかけず、誰の邪魔にもならないように。公爵邸での三年間で染みついた習慣だった。


「この領地は寒冷で土が痩せている。普通の栽培では限界がある。だが君の植物魔法があれば話が違う。土壌改良から促成栽培まで、理論上は可能だ」


「理論上は、ですか」


「実践は君のほうが上だ。僕が理論を組み立てる。君が形にする。そういう分業はどうだろう」


理論と実践。対等な協力者としての提案だった。


公爵邸では一度も、こんなふうに求められたことがなかった。「花を咲かせるな」とは言われたけれど、「花を咲かせてくれ」とは一度も。


グレン様にとって私は「ベルフラワー家の血筋」であり、「公爵夫人の肩書」であり、でも「イリス」ではなかった。三年間、名前を呼ばれた回数を数えられるほどしかない。


ルーカスさんは初対面の日に「イリスさん」と呼んだ。それだけのことが、こんなに重い。


「……私で、よければ」


「よければも何も、君以外にできる人間を僕は知らない。少なくとも、この辺境領には植物魔法の使い手はいない。それに」


ルーカスさんは眼鏡を押し上げた。


「僕は温室の苗を枯らす天才だからね。理論だけでは花は咲かないと、この数年で嫌というほど学んだ」


自虐だったが、声は明るかった。自分の弱さを笑える人だ。


「やります」


即答だった。迷うかと思ったのに、口が先に動いていた。三年間「はい」と「いいえ」しか言わなかった口が、「やります」と言った。


ルーカスさんは少し目を見開いて、それからノートに何かを書き込みながら「ありがとう」と言った。ペンを持つ手が、ほんの少し嬉しそうに見えたのは、たぶん気のせいではない。



夜、窓の外を眺めた。月が出ていない。辺境の夜は暗い。


アシュフォード公爵邸の庭が枯れている。私がいなくなったから。


いや、違う。あの庭を枯らしたのは私ではない。私の力を封じて、その価値を理解しなかった人たちが枯らしたのだ。


それでも少しだけ、肋骨の裏側がきしんだ。庭師のことを思い出す。無口だけれど花を大切にする人たちだった。私が枯れかけの花を撫でていると、そっと新しい水を持ってきてくれることがあった。あの人たちは今、途方に暮れているだろうか。


でも。私はもう、あの庭の花ではない。


窓の外に目を向ける。温室のガラスが暗闇にぼんやり浮かんでいる。明日からあの場所で、ルーカスさんと薬草園を作る。


自分で「やります」と言った。三年間で、初めて自分で選んだ言葉だった。


グレン様と暮らしていた頃は、何一つ自分で決めたことがなかった。食事の献立も、着る服も、会う人も。すべてが公爵家の慣例に従い、誰かが決めたレールの上を歩いていた。自分の意志で何かを選ぶということ自体を、忘れかけていたのだ。


指先に、かすかな魔力の温もりを感じた。明日が、少しだけ楽しみだった。

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