エピソード8
目を覚ますと、そこは保健室ではなかった。
澪がかつていた、あの無機質な施設の一室だった。
(……体が動かない。声も出ない)
ただ目だけが開いていて、視界に白衣の人間たちが映る。何人もが澪の周囲を囲み、無機質な声で交わす会話が耳に届いた。
「●▲■による✕✕の▢▢▢だから、丁重に扱えよ」
(一部聞き取れない……けど、聞こえる。耳を塞がれたって、言葉は届く)
「なぜ00に感情が現れたんだ」
「感情なんて生じてしまえば、制御が効かなくなる」
「なら、削除してしまえばいいだけだ」
(……隠す気もないんだ)
澪の視界に入ってきたのは、普段と異なる装置。
キュィィィィィィィィンッ……
(この音は……いやな予感がする)
機械の先端が澪の瞳に向かって伸びてきた瞬間――
「っっっ!!!!」
脳の奥がかき回されるような感覚。
ぐちゃぐちゃにされる。気持ち悪い、気持ち悪い!
痛い、痛い、痛い!!
叫びたくても声が出ない。
身体が動かない。というより――「身体」という感覚そのものがない。
「……澪、帰ってこなかったな。どうしたんだろ」
朝、朱莉はいつものように制服に袖を通し、ベッドの上のクマのぬいぐるみを撫でた。どこか気が抜けないまま、学園へ向かう。
教室で担任の翔が言った。
「澪は体調を崩し、入院している」
(……体、弱かったの?私、澪のこと……本当に、何も知らないんだ)
「朱莉、なんだか今日は元気ないね」
「……颯。彼方は?」
「ほら、あそこ」
颯が指差した先には、女子に囲まれて微笑む彼方の姿。
「相変わらずモテモテねぇ」
「でも、朱莉は澪がいないからつまらないんでしょ?」
「な……何よそれ、違うし!」
「おっ、図星?」
「颯、軽い。そういうとこ、ちょっとイラッとするのよね」
「まーまー、落ち着いて。で、本当のところは?」
朱莉は少しだけ口をつぐみ、目を伏せて言った。
「澪が入院してるって聞いて……思ったの。私、あの子のこと、何ひとつ知らないんだなって」
「……まあ、澪って、そういうとこあるよな。俺も話しかけようとすると、なんか自然と敬語になる。距離感が、遠いっていうか」
「……それでも、わかりたいって思ったのに」
(私は――何を知ってたつもりだったんだろう)
「朱莉、顔つき変わったね。なにか吹っ切れた?」
「全然。むしろ別の問題が浮上したって感じ」
朱莉は小さく息を吐くと、鞄を肩にかけ、教室を出た。
「……あまり、良くないね」
「どうした颯?」
「彼方、来たのか。モテモテで相変わらずですねー」
「からかうな。で、何が“良くない”んだ」
「朱莉がね、自分を追い詰めてる。最近ずっと見てて思ってたけど、今日は特に」
「……そうか」
「澪のことがきっかけかもしれないけど、問題はもっと深い。放っておくと、壊れるよ。あの子は人のために動きすぎる」
「……お前、ほんとよく見てるな」
「ふふん、伊達に軽そうな顔してませんから!」
2人は、それぞれの教室へと戻っていった。
一方、澪の意識はまだ施設の奥で揺れていた。
感覚が、断片的に戻ったり、また消えたりする。
(朱莉……)
思考が、名前をかすめた。
その一瞬、冷たい闇の中に、小さな温もりが灯った気がした。