エピソード32
「澪に最後に会ってから、今日でちょうど一週間か…」
「うん。無事に逃げ切れてたらいいけど…」
夜の静寂を破るように、窓ガラスがコツンと小さく鳴った。
「……ちっこいの!?」
「いいから、入れて」
窓から滑り込んできたのは、黒だった。彼の表情は険しい。
「颯、それ誰?」
「そうか、会ってなかったんだな……」
颯は短く説明しながら、黒の顔を見る。その目には焦りと悔しさが混ざっていた。
「お姉ちゃん、戻っちゃったんだ……あの場所に」
「澪がそう言ったのか?」
彼方が問いかける。
「……ううん。『宿で待ってろ』『ついてくるな』って」
「……悪い予感しかしないな」
「俺もだよ、彼方」
2人は視線を交わし、小さく頷き合った。
「黒、お前は澪の指示に従え」
「……僕は役に立たないってこと?」
「違う。澪がそう言ったんだ。お前の安全が最優先なんだろう」
「……わかった」
不満げながらも黒は従い、颯がその頭をくしゃっと撫でた。
「偉いぞ」
その言葉に少し笑った黒は、足早に学園をあとにした。
「じゃあ、行こうか」
「珍しく積極的だね、彼方。いつもの“規則厳守”はどうしたの?」
「……なんのことだ?」
彼方がすっとぼけて笑うと、颯も同じように笑った。
*
「朱莉……これが“最善”なんだよね?」
「うん。今はこれが一番可能性が高い。でも……本当にやるの?」
「それしかないから」
「……成功しても、みんなには二度と会えないかもしれないのよ?」
「本来なら、私なんか最初からいなかったはずなんだ。ちょっと……違うけど」
「……そっか。もう止めない」
「ありがとう、朱莉」
朱莉は微笑んだまま、光の粒子となって消えた。
(そうだよね、お母様……私はこうあるべきだ)
*
——真っ白な無の空間。
澪は意図的に、現実から意識を切り離していた。深く、深く潜るように。
痛みも、音も、全部閉じ出していた。
現実から目を逸らすことで、意志を研ぎ澄ませていた。
だが今、その意識が戻る。
「……!? 0番の意識が回復しました!」
緊張の走る研究所。報告を無線で伝える研究員の声が響く。
檻の中で、澪の瞳が、赤く光った。
「開始します」
その一言とともに、制御用の檻が音を立てて破壊され、空間が振動し始めた。
「何が起きている!? 蒼の石の影響で動けないはずだろう!?」
「解析中です! ですが、抑制が効いていません!あれは……!」
「……天使の力です」
博士が吐息を漏らすように呟く。喜悦と狂気が混じった声だった。
「な、なにを言っている!? じゃあ今まで蒼の石が吸っていたものは一体なんだったんだ……!?」
「おそらく、澪自身の……“根源エネルギー”です」
「…訓練無しに力を扱うことはたとえ0番だとしても不可能だったということか!?」
その言葉に澪は沈黙で答える。
「騙していたのか!? 私たちを!?」
「博士、私は一度も嘘はついていません。盗聴機能があるのはわかっていました。だから、誤解されるように話していただけです」
博士は悔しそうに顔を歪め、そして頭を下げる。
「……っ、0番。その力も、私に研究させてくれ!!頼む!!」
澪は博士を見据えたまま、はっきりと首を振った。
「……嫌です」
「ま、待って……待ってくれ、0番!!!」
「所長!崩壊が始まっています!早く避難を!」
研究員たちが叫ぶ中、澪は静かに踵を返す。
彼女が向かう先は、地上ではなかった。崩れゆく研究所の中心を突き抜けるように、さらに——地中深くへと。
その背に、赤い光の羽のような残像を残して。




