エピソード21
帰り道、澪はぽつりと言った。
「最初、碧の苗字を聞いたとき……驚いたなあ」
「名乗ったから?」
颯が気楽そうに返す。だが澪の顔は笑っていなかった。
「ううん」
「じゃあ、なんで」
「……だって、それは私を殺し続けてきた男の名前だったから」
空気が止まる。颯が一瞬、言葉を失った。
「……それで、碧とは関係あったのか?」
「それは今度調べるよ」
「どうやって?」
「石の交換の日が近い」
「……まだ、抑圧されてたのか? っていうか文化祭前にいなくなったのって——」
「そう。最初は石の交換だけだったのに、急に実験が入って。脳の感情を司る部分に電極を刺されて……ちょっと傷ついたみたい」
「だからか……あのときの、お前」
「……朱莉には、この話してなかったんだよ」
「……」
「あなたたち二人だけ。今日初めて話した。……朱莉の前じゃ、どうしても言えなかった。怖くて。彼女の反応が。私が、私じゃなくなるのが怖かった。でも、死ぬ前に……話しておけば、よかったな」
「……話してくれて、ありがとう」
三人は重苦しい夜の空気を背に、それぞれに沈黙したまま帰った。
その夜——澪は、いなくなった。
*
「……澪?」
目を覚ました碧は、隣のベッドに誰もいないことに気づいた。澪の痕跡すら残っていない。
すぐに制服を羽織り、教官室へと駆け込んだ。
「失礼します! 翔先生、おはようございます。澪が……澪がどこに行ったか、知っていますか?」
「ん? ああ、澪なら昨日の夕方、病院に検査入院したって報告来てるぞ。そういうのたまにあるから、あんまり気にしすぎるな」
「……ありがとうございます。失礼しました」
廊下に出てから碧は眉を寄せた。
(何かが変だ。なんでこんなに、連絡もなしに……?)
そのころ、翔は椅子にもたれ、ぐうぐうと寝息を立てていた。
「まったく……寂しくなるな」
碧は誰に言うともなく、つぶやいた。
*
白い部屋。息苦しいほどに清潔な空間。
そして、あの男——博士。
「やあ、0番。今はレイだっけ? まあ、どうでもいいか。今日はね、重大発表があるんだ!」
白衣を揺らしながら、博士は軽快に喋る。
「新しいプロジェクトをはじめま〜す! 被験体は、もちろん君! 他の子はね、死んじゃったから! しかたないよね〜! それと、上の指示で君の中にある“絶滅したはずの生物”のDNAを使って、生命を復元することになったから、よろしく!」
「……わかりました」
声は平坦だったが、その眼はどこか壊れていた。
澪の背中はこわばり、爪は無意識に手のひらに食い込んでいた。
「ねえ博士……あなたには娘さんがいたでしょう。名前は?」
博士は笑った。にやけた顔で、無邪気に答えた。
「うん、ミドリン! 本名は永瀬碧。うちの可愛い子だったんだけど、学園に出したらさあ、もう戻ってこなくなっちゃって。あはは! まあ、天使になったんだよ、あの子も。しょうがないよね!」
澪の表情は動かない。ただ目だけが、ひどく静かに、博士を見ていた。
「でもね〜、もっとすごいのがあるんだよ! なんとなんと!君に……弟ができました〜〜〜!」
「……弟?」
「おいで〜114番〜! 君のお姉ちゃんだよ!」
現れたのは、黒い髪に、青い瞳の少年だった。
「こんにちは……お姉ちゃん?」
その言葉に、澪の胸の奥がざわついた。
「……その瞳、その色……まさか、私の血を混ぜたの?」
「それもあるけどね〜。でも青くならなかったから、君の目、まるごと移植しちゃったの!」
博士の声が弾む。澪は凍りつく。
「……は?」
「この子はね、お母さんのお腹から取り出して、ポットで育てたんだ〜。君の血を栄養に使って。何人か死んじゃったけど、この子だけ成功した! 強いよ〜、君の血って! 0番ほどじゃないけど、君を除けばこの施設で最強だよ! 弟くんとは同室になるから、仲良くね〜!」
――
「はじめまして、私は澪。あなた、名前はあるの?」
「ない。114番って呼ばれてる……」
「じゃあ、黒って呼ぶね」
「!……名前、つけてくれたの?」
少年の顔に、花のように笑みが咲いた。
それは——痛々しいほど無垢な笑顔だった。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「……黒、普段はなにしてるの?」
「実験と……テスト。力をぶわーって出して、天使を倒すんだ」
「それ、テストっていうより訓練ね」
「うん。でも……実験は、嫌い。終わったあと、すごく痛いから。……でも、この目、嫌いだったけど、お姉ちゃんのって知ってから、ちょっと好きになった」
澪は黙ったまま、そっと黒の目を見つめた。
「私の目、もとはこういう色だったのね……ちょっとだけ、手、切ってもいい?」
「……やだ。痛いの、怖い」
「ほんの少しだけ。すぐ終わる。実験より、ずっと軽いよ」
「……なら、いいよ」
澪がそっとナイフを走らせた。黒の指に小さな傷ができ、すぐに閉じた。
赤い血がにじんでいた。
(血の色は……赤。少なくとも、彼は“生きて”いる)
「ありがとう、黒」
「……お姉ちゃん、なんで泣いてるの?」
「……泣いてないよ」
部屋の扉が開き、研究員が呼ぶ。
「0番、ついてこい」
「……うん。行ってくるね、黒」
「……うん、またね。……お姉ちゃん」
その声には、小さな期待と、胸を刺すような寂しさが滲んでいた。




