エピソード19
薄暗い談話室、窓の外では夜が凍えるように沈黙していた。
「彼方、もしあの仮説が本当なら……澪はただの“天使”じゃない。それどころか天使と言っていいのかも怪しい」
颯の声が、空気の重さを破るように落ちる。彼方は手元の端末を閉じ、彼を見た。
「それ、本気で言ってる?」
「冷静に見てくれ。過去の記録に彼女の前例は存在しない。力を扱えた者など、あの“大災害”以前には存在していなかったはずだ。そもそも、変異が起き始めたのはあの災厄以降だ」
「澪は“気づいたら使えていた”と言っていた?」
「うん。訓練もなしに」
「……普通なら身体が壊れる。力の発現は、言ってしまえば生物としての構造の再編成だ。適応が間に合わなければ、死に至る」
「でも澪は生きてる。それも、あれほど自然に」
「明日、確かめよう」
彼方の瞳に、確信がにじむ。
*
(予想はしていた。だけど、これほどとは。)
「2時間経過……まだ半分も進んでない」
澪と碧は新年の参拝に訪れた神社の列にいた。寒風が吹き抜ける中、碧は寒さも疲労もものともせず話し続ける。
「しょうがないよ。神社なんてこの地区にはここ一つしかないし」
「……碧」
「なに?」
「力のことだけど――使いすぎると、死ぬ」
碧は一瞬、言葉を飲んだ。
「……どういうこと?」
「力は進化の一種。発現も、拡張もそう。だけど急激に使いすぎると、身体がその進化に適応できなくなる。壊れる。死ぬ」
「学校でそんな話、聞いてない」
「碧が来る前に話されたんだと思う。とにかく、覚えておいて。これは、命に関わること」
「……わかった。気をつける」
*
昼過ぎ、ようやく参拝を終えたふたりは、日差しに背を向けて帰路に着いた。
「ふぅ~!終わった! もうしばらく人混みはいいかな!」
碧はわざとらしく明るい声を上げた。澪は眉をひそめた。
「またその顔」
「だって誰かに見られてるかもしれないし~。癖なんだもの」
「……無理してるだけに見えるけど」
「平気。私は私なりに、やるから」
その声はどこか張りつめていたが、もう作り物ではなかった。
*
寮に戻ると、碧は倒れ込むように布団に沈んだ。
「やばい……眠れそう」
すぐに寝息が聞こえた。澪は静かに毛布をかけた。そのとき、部屋のドアがノックされる。
「なに?」
「頼みたいことがある」
颯だった。
*
闘技場。冷気の残る夜、澪は彼方と颯に連れられていた。
「君の“力”を、見せてほしい」
「……どうして?」
「確かめたいことがあるんだ」
澪は黙ったままだ。が、次の瞬間――
澪のピアスが微かに発光した。空気が震えた。その余波が床を走り、壁を這い、空間の温度が急激に下がる。
――そして。
闘技場全体が、凍った。
静寂。吐く息さえ白く凍る中、澪はただ立っていた。
彼方が、呆然と口を開く。
「……やはり、そうだったのか」
「彼方、わかった?」
「ああ、あれは力なんかじゃない。力の気配を感じなかった…自然と起きた、そんな感じだ」
「やっぱりか…」
「澪は、天使なんかじゃない」
澪は何も言わず、その言葉を聞いていた。表情に変化はない。ただ、彼女の立つその姿は、まるで――
命の星が、帰ってきたかのようだった。
──彼女は、与えられたものではなかった。
彼女の存在は、模倣でもなければ偶然でもなかった。
この世界で帰る場所をなくした、すべての生命が、かつて踏みしめた土。
記憶の奥底に眠る、失われた声。
澪は、それを纏っていた。
「……澪、お前は、いったい何なんだ?」
彼方の問いに、澪はただ静かに目を閉じた。




