表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 水無適
2
18/38

エピソード18

朝、朱莉の姿はもうどこにもない。

代わりにいるのは碧——それだけのことに、澪の心は未だ馴染めずにいた。


頭では理解している。朱莉はもういない。けれど、澪の内側ではまだ何かが拒絶している。あの空白に蓋をしようとするたび、蓋の裏側で血が滲んだ。


(また朝から……いない)


ベッドから起き上がった碧は、静まり返った部屋を見渡し、小さく息をついた。

夜のうちに澪が眠っていた形跡はない。身体は動いていても、あの人は確実に壊れかけている——そう思った。



その存在は、誰からも「人」として認識されていなかった。


今にも消えそうな透明感。

儚げな青の瞳。空を模したような銀髪。

まるで世界の輪郭そのものに溶け込んでしまったかのようだった。


感情がない。ただ“存在しているだけ”の物体。多くはそう考えた。


「私を、元に戻して」


それが言語を使ったのは、ある冬の日。

誰もが度肝を抜かれた。自我などないと思われていた。だからこそ、言葉の重さが際立った。


「お前、話せたのか。前から意識はあると考えてはいたが」


「うん。この姿になったときから、ずっと」


「……だが、戻すことはできない」


「どうして? 寒いよ、ずっと」


「技術が足りない。皆、望んではいるが……どうしても、どうしても無理なんだ」


「——全部、そっちの都合じゃない」


「……ぐうの音も出ないな」


その日から、その存在に「名前」が与えられることはなかった。

語られることも、語ることも。

ただ、記憶の底で凍ったまま残された。



「……最近、よく昔の夢を見る」


澪は中庭の片隅で空を見上げながら、誰にでもなく呟いた。

顔色は悪い。睡眠不足が限界を迎えつつあるのが見て取れる。


少し離れた場所では、碧と颯が特訓を続けていた。氷の張る気温のなか、ふたりの息が白く弾ける。


「碧ちゃん、いい感じ!」


「ほんと!? やった!」


颯の声が弾む。風の性質を持つふたりは、練習相手として相性がよかった。


「澪ー!」


碧が呼びかけると、澪は重い動作でゆっくりと近づいた。


「見て、これ!」


碧が両手に集中させた力が、微かな風の渦を生む。成功だ。


「……うん、悪くない」


「だよな! 俺なんか発動まで二ヶ月かかったぞ。碧は半月でこれかよ〜すげーな〜」


颯は軽く碧の頭を撫でた。碧は恥ずかしそうに笑いながら髪を整える。


「碧は……風、だったっけ?」


「うん。でも、澪や颯みたいに複数使えないと思う。澪は何個使えるの?」


「……わからない」


「じゃあ、発動までどれくらいかかったの?」


「気づいたときには、できてたよ」


あまりにシンプルな答えに、碧の表情が固まる。


「まじで……?」


颯は澪から静かに距離を取った。


「——あ、俺、彼方に呼ばれてたんだった!じゃ、またな!」


勢いよく逃げていく颯に碧が手を振り、ふと澪に向き直る。


「そうだ、明日……初詣、何時にする?」


「ああ……朝ごはんのあとでいい?」


「うん!でも、混むから暇つぶしも持っていこうね。今じゃ神社も少ないし、毎年行列なんだ」


「覚悟しておく」


碧には微かな笑みがあった。

その笑みの下に潜む“痛み”は、澪の目に映っていた。



廊下の奥、静まり返った空間で、颯は足を止める。彼方の姿を探し、そして口を開いた。


「……彼方、大事な話がある」


その声は、冗談めかした軽さを捨て去っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ