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  作者: 水無適
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エピソード17

朝、部屋には澪の姿がなかった。

まだ薄暗い窓辺に冷たい光が差し込む頃、碧は目を覚ました。


「……こんな早くから何やってるのかしら。今日は休みだっていうのに」


独り言を呟きながら洗面台に立ち、制服に袖を通したそのタイミングで、澪が戻ってくる。


「ただいま」


「おかえりなさい」


変わらない声。けれどどこか、昨日よりも柔らかく感じられた。


「今日は休みだから、遅くなったけど……施設、案内するね」


「うん。ありがとう」


ふたりは並んで食堂へ向かい、質素な朝食を前に腰を下ろした。


そこへ颯が姿を見せる。


「澪、おはよ。……その子は?」


「颯、おはよう。この子は碧。転入生だよ」


「へえ。噂の子か」


軽く相槌を打ち、颯は目を細めた。


「最近寒いんだから、防寒ちゃんとしとけよ? 今朝も薄着だったし」


「わかってる」


それだけ返すと、澪は黙ってパンにかじりついた。

碧はふたりのやり取りを、貼りつけたような笑顔で見守っている。


「……その顔、やめなくていいの?」


ふいに、澪が口を開いた。


「え?」


「ずっと笑ってるの。疲れない?」


「……人前だから、ね」


「……まあ、好きにすれば」


それ以上、澪は何も言わなかった。



施設の案内は端的だった。

職員室、教室棟、図書棟、食堂……そして鍛錬場へ向かう廊下の途中、碧が声を上げる。


「ねえ、入ってみたい」


「わかった」


鍛錬場の扉を開けた瞬間、金属のぶつかる甲高い音と、熱気が押し寄せる。


「……広い」


目を輝かせる碧の瞳に、反響する打撃音が映っていた。

天使たちが剣を交え、地を踏み鳴らす音。汗と血の気配。ここには、この世界の“現実”があった。


「ねえ、澪。手合わせ、してくれる?」


「いいよ」


ふたりは構えを取る。碧が一気に距離を詰めた、その瞬間――


次に地面に倒れていたのは、碧だった。


「……すごい、ね!」


地面に手をつきながら、それでも碧は笑っていた。

あまりに無傷なその笑顔に、澪の眉が僅かに動いた。


「1クラスしか違わないって、甘く見てた?」


「うん……ちょっと思ってた。ごめん」


笑みがゆっくりと崩れ、碧の本来の顔が現れる。


「何が起きたのか、全然わからなかった。鍛錬の差もあるんだろうけど、才能の差……かもしれない。埋められる気が、正直しない」


「強くなりたい?」


澪の問いかけは静かだった。だが、その瞳はまっすぐ碧を見つめていた。


「……当たり前でしょ」


その答えに、澪は一枚の紙を差し出す。


「私のトレーニングメニュー。……参考になるかもしれない」


「これ全部? 本気で……?」


碧の手がわずかに震える。記載された内容の密度は、初心者には到底こなせそうにないものだった。


「少しずつでいい。最終的に、これをこなせるようになって」


「……ありがとう」


引きつった笑顔のまま、碧は深く頭を下げた。



その日から、碧のトレーニングが始まった。

放課後の鍛錬場。最初は立ち上がれないほどの疲労に何度も倒れた。それでも、彼女はやめなかった。


天使は成長が早い――それは事実だ。

だが、それだけに危険でもある。放置すれば、才能は容易に“こちら側”に届いてしまう。芽は早めに摘まなければならない。


それが、この学園における鉄則だった。



「今日から冬休みになります。しっかり休んで、次に会うときまで元気でいること――以上!」


担任の締めくくりに教室がざわつく中、碧が澪の隣に声をかけた。


「ねえ、澪。冬休みって、何か予定あるの?」


「少しはあるけど……どうして?」


「初詣、一緒に行かない?」


「初詣?」


「うん。一年のはじまりに神様に“今年もよろしく”ってお願いしに行くやつ。……地元の風習みたいなもので、小さい頃からなんとなく行ってたの」


「……知らない。信仰はないし」


「私も別に宗教的な意味では行ってないよ。……けど、一緒に行ってくれたら嬉しいな」


短い沈黙のあと、澪はわずかに頷いた。


「……わかった。一緒に行こう」


「ふふっ、ありがとう」


その時、碧はようやく――ほんの少しだけ、“作り物じゃない”笑顔を見せた。

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