エピソード15
朱莉の葬儀が終わり、澪は朱莉のコアを静かに見つめていた。
その輝きは、もう失われてしまった心音の代わりに微かに鼓動していた。
Sクラスのコアの吸収は極めて危険だ。朱莉が雫のコアを取り込んだように、それは本来ならば禁忌とされていた。けれど学園長は、今回だけは特別に許可を出した。
「……朱莉。君の想いを、受け継ぐよ」
澪は胸元に朱色のコアをそっと当てた。
次の瞬間、渦巻くように記憶の奔流が澪を飲み込んだ。澪の中に流れ込んできたのは、朱莉の過去──そのまま生きてきた一つの人生だった。
*
虫の声が響く田舎の夕暮れ。
澪は、誰の記憶でもない「肌寒さ」を感じた。
(これは……朱莉の記憶。コロニーに来る前の)
「おとーさん!見て、トンボ!」
「大きいなあ。けど、かわいそうだから、逃がしてあげな?」
「はーいっ!」
小さな朱莉がスキップしていた。稲穂の海の中、家へと駆けていく。
「ただいま!」
「おかえりなさい」
母親の優しい声。姉の微笑み。その穏やかな風景の中に、ふと──澪は"自分"の姿を見つけられた。朱莉の母がこちらに目を向け、にっこり笑う。
「お客さんも、どうぞ。うちに上がって」
(……この人、見えてる。記憶の幻じゃない)
夜。澪と朱莉の母が向かい合って座っていた。
「あなたは、誰?」
「未来から来た、朱莉の友達」
「まあ。あの子、元気なの?」
「……うん。元気だった。立派に育ってる」
「今日は……何年、何月何日ですか?」
「2114年の9月2日よ。どうして?」
「……1年後に“大厄災”が起きます」
「信じろと?」
「信じなくていい。ただ、忘れないで。私は……これ以上この世界に干渉できない」
「お姉ちゃん、またお母さんなんか喋ってるよ」
「そうだね、何かいるのかな?」
そして──1年後、本当に世界は崩れた。
天変地異のような災厄。逃げ遅れた多くの命。けれど朱莉の母は備えていた。澪の言葉を信じ、コロニーに移住していたのだ。
だがそこからが、本当の地獄だった。
人々が押し寄せる中、地球から持ち込まれた生物たちは守られなかった。パンデミック、資源の枯渇、誤情報……文明はゆっくりと死に向かっていった。
そして、“それ”は現れた。
最初の天使──ゾウリムシ型。
巨大で、街ひとつを崩壊させた。なんとか焼き払って倒したものの、街もまた焼け野原となった。
大災害から逃れた朱莉の一家も天使の討伐に巻き込まれてしまった。
その日から、次々と天使が現れるようになった。
地球滅亡の翌年、ついに人の形をした天使が誕生する。
それが、「私たちの始まり」だった。
*
記憶の奔流が静かに引いていった。
澪は膝をついて、息を吐いた。焼けつくような鼓動が胸を叩いていた。朱莉のコアが、まだ澪の中で完全に馴染んでいない。脈動が、まるで異物のように跳ねていた。
「……これが、Sクラスの力」
手が震える。恐怖ではない。圧倒的な情報、力、そして……朱莉の“想い”が、澪の中で蠢いていた。
(これを……彼女は一人で抱えていたのか)
澪は、初めて知った。あの優しくてまっすぐな朱莉が、どれほど多くの悲しみと憎しみを飲み込んできたのかを。その一つひとつが、澪の中で芽吹き始める。
それはただの記憶ではなかった。生きていた。今も朱莉の想いが、澪の中で目を覚まそうとしている。
「朱莉、これは……重いよ」
澪の視界がぐにゃりと歪む。思考が混濁していく。自我が自我でなくなる。朱莉の怒り、澪の悲しみ、混じり合う感情が形を変えて、やがてひとつの叫びになる。
──なぜ、朱莉が死ななければならなかったのか。
澪の背に、天使の輪郭が浮かび上がった。赤く、禍々しく、けれど美しかった。
「落ち着け……私は、私でいる……」
専門家たちが緊急封印結界を展開する。だが、その中心で澪はただ静かに立っていた。暴走はしない。ただ、力の余波が空間を軋ませている。
「これは、始まりに過ぎない」
澪は、朱莉が見た記憶の断片──最初の天使が殺された瞬間、そしてその死骸から生まれた新たな個体──を思い出す。天使は死ぬたびに進化していったのだ。
生物兵器などではない。これは、適応を超えた“意志”だ。
「朱莉……君は、一人じゃなかったよ」
澪の掌に、ほんのり温かい光が宿る。それは朱莉の想いの残滓か、それとも澪の新たな力か。
どちらでも構わない。
澪はただ、前を見据える。これが、引き返せない道だと理解して。
「私は、やるよ。朱莉が夢見てた未来を、私が……叶える」
朱莉のコアを継いだ澪。彼女は朱莉の意思を背負い、前に進み出していた。




