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  作者: 水無適
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エピソード1

かつて、地球は命にあふれていた。

海に、森に、空に、数えきれないほどの生き物たちが息づいていた。

しかし、10年前に起きた大災害が、そのすべてを奪い去った。

現在、コロニー内で確認されている生物はわずか120種類。大災害にって地球は、命の星は消滅してしまったのだ。

だが人類は生き延びた。大災害の前に、多くの人々がすでに宇宙居住区へ移住していたため、滅びを免れたのだ。

その先に待つのは、希望か、それとも破滅か。誰にもまだわからない。

そして今、新たな時代が始まろうとしている——。

「澪! 澪! 起きてってば!」


「……朝からうるさい」


「もう授業始まっちゃうよ!」


朱莉の焦った声に、澪はのそのそとベッドから体を起こす。彼女の赤い髪が太陽を透かす。澪は眠たげな目をこすりもせず、無言で制服に袖を通した。


入学してから一ヶ月。寮生活にも慣れてきたが、澪と朱莉が初めて顔を合わせたのは入学式の日だった。それなのに今では、すっかり“お世話係”のように、朱莉が澪の面倒を見るのが日常になっていた。


「ほんと、あんたってば……ねえ、たまには自分で起きる気ないの?」


「……今は、ない」


「“今は”じゃないでしょ!」


その軽口をさえぎるように、突然、寮内にけたたましいサイレンが鳴り響いた。


『緊急事態発生、緊急事態発生。東地区にて“天使”の出現を確認。学園の生徒は直ちに戦闘態勢へ移行してください。市民の皆さまは、速やかにシェルターへ避難してください。』


“天使”──それは、かつての大災害の余波から生まれた異形の存在。ある種の生物が突然変異し、人間社会を脅かす凶悪な怪物。予測も制御もできない“災厄”として、人々はそれを天使と呼んだ。


そして、それに立ち向かうために育てられるのが、この学園の生徒たちだった。


「……“花型”か。あれ、見た目が気持ち悪くてほんと嫌なのよね。さっさと燃やしちゃいましょ。澪、準備できた?」


「もうできてる」


澪は淡々と答える。感情は、見えない。


この学園では、寮で同室となった生徒が“バディ”として任務にあたる。澪と朱莉もそのペアだった。だが朱莉は、時折ふとした拍子に澪の“無”に近い表情に不安を感じることがある。


──本当にこの子、生きてるの?って。


***


戦闘は、数時間で終わった。


澪と朱莉は的確に“花型”の天使を撃破し、街は再び静けさを取り戻していた。崩れかけた建物、焼け焦げた地面。だが、その中で市民たちは、安堵の笑顔を見せていた。


「お姉ちゃんたち、ありがとう! また来てね!」


「本当に助かったわ。もう慣れちゃったけど、怖いものは怖いのよね。」


少女が笑顔で手を振る。その足元には、さっきまで火に包まれていた痕跡がまだ熱を持っていた。


澪はその光景を、どこかぼんやりと眺めていた。


「澪、朱莉。今回の戦闘、どうだった?」


訓練教官が近づいてくる。


「はい。今回の“花型”、少し燃えづらかったです。以前より確実に耐性が上がっています。もうすぐ、機械兵器じゃ対応しきれなくなるかもしれません」


「火力は落としてないのに、処理に五分以上かかりました。耐性強化は明らかです」


「……よし。記録しておこう。今日はもう休め」


「「了解です」」


帰還後、二つ上の先輩であり、澪の学年のSクラスの指導役でもある雫が彼女たちに声をかけてきた。


「戦闘には、もう慣れた? 無理はしないこと。分からないことがあったら、いつでも頼ってね」


「お気遣いありがとうございます。戦闘は安定してきました」


澪は静かにそう答えたが、その視線はどこか宙を泳いでいた。


***


寮へ戻る道すがら、朱莉は隣を歩く澪の横顔を見つめながら、そっと声をかけた。


「……澪? どうしたの? さっきからずっと様子が変だよ?」


「……気にしないで」


「気にするに決まってるでしょ。あんたがそんな調子じゃ、こっちが任務に集中できないの。……さっさと話してくれない?」


少しの沈黙のあと、澪がぽつりと口を開いた。


「朱莉……なんか、胸のあたりが変なの。くすぐったいような、むずがゆいような……」


「どんなとき?」


「街の人に“ありがとう”って言われたとき。……全身に何かが走るの。熱いような、でも苦しくはなくて……」


朱莉は、息を呑んだ。


「……澪、それ、“嬉しい”ってことよ」


「……うれしい?」


「そう。人に感謝されて、心が温かくなるのは、“嬉しい”って気持ち。別に、変なことじゃないわよ。普通のこと」


「……“嬉しい”……そうか。それが“嬉しい”……」


小さく、澪は呟いた。まるで、まだ馴染まない言葉を何度も繰り返すように。


「……今度から使う、その言葉」


朱莉は、ふっと表情を緩めた。


「それだけで悩んでたなんて、ばっかみたい。心配して損したわ……。でも、今度からはちゃんと言いなさいよね、そういうの」


「……くすぐったい。ううん……“嬉しい”、か。……おやすみ」


「……おやすみ、澪」


澪が部屋へと消えていく背中を見送りながら、朱莉は心の中でそっと呟いた。


(この子は、きっと普通じゃない。でも、それでも……)


一瞬だけ浮かんだ言葉を飲み込み、代わりにもう一度、胸の奥でつぶやく。


(今度は、失わない)


その夜、澪は“嬉しい”という言葉を、何度も、何度も心の中で繰り返していた。

まるで、新しい世界の扉を開くための合言葉のように。

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