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一夜目 熱意

「(本名)って冷めてるよね」

高校1年生の11月末、偶然隣で信号待ちをしていた女子生徒が私にそう言った。先に言っておくが、彼女とは別に仲が良い訳ではない。偶然小学校が同じで、偶然中学校が同じで、偶然塾も志望した高校も同じだったというだけだ。それでなんとなく顔見知りとなり、顔を合わせたら10回に 1,2回は会話する程度の仲だ。


「どこが?」


私は短くそう返した。特段不機嫌だったという訳ではなく、私は元来こういう人間なのだ。


「なんかね〜…熱を感じないんだよね。あ、別に(本名)を悪く言いたい訳じゃないんだけど…」


熱か。私は生まれてこの方、自分の中にその熱とやらを感じた事はない。そういう事なら、私は確かに冷めているのかもしれない。だが…生まれてから一度も熱された事がないのなら、それが私にとっての正常なのではないのか?私は『正常=冷』ではないと思うのだが。


「恋愛とか学校行事とかさ、全部どうでもいいって思ってそうだよね」


流石に全部どうでもいいとは思っていないが。だが彼女の言う通り、私は物事に熱意を持って取り組んだ事が無い。何故だろうか。

4歳か5歳の頃、私は美術教室に通い始めた。だがそれは、当時の1番の友人が行っていたから通ったに過ぎず、私自身には美術に対する情熱など存在しなかった。当然、マジで1ミリも上達しなかった。

小1の頃、水泳を始めた。だがそれも、昔から患っていた脊柱側湾症の改善に良いから始めたに過ぎず、私自身は特に水泳をやりたい訳ではなかった。これに関しては割と上達した為、今では水泳の授業で粋がれるくらいにはなった。尚、私の通っている高校に水泳の授業は存在しない。なんならプールもない。

小3の頃、バスケットボールを始めた。だがそれも、当時の友人…加えて従兄弟がやっていたから始めたに過ぎず、そこに私自身のバスケに対する熱意は大して存在していなかった。これも誇れる程上達した訳ではなく、せいぜい初心者に毛の生えた程度の実力に収まった。

ここまで私の経験した事を振り返ってみたが、結局何故私の中に熱意が無いのかは分からない。ひとまず、『冷めてる』と言われた時の私は、その応答として


「ふーん…」


と、答えた。


「そういうところだよ」


と、彼女は言った。その後、私は彼女に『なら熱って何だ』と問うたが、彼女にもよく分からないそうだ。

依然、私の心内は冷たいままである。

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― 新着の感想 ―
多分、何となく作者はわかっていそうだが、「冷めてる」と言われて、感想が「ふーん」はそりゃ冷めている。冷めていない人はせめて「そんなことないよ」くらいは言う。いや、それも冷めてるか? 物事に対する興味…
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