00:プロローグ
…そして、この島のとある場所でも、一つの物語が始まろうとしていた―――。
薄暗い中、焚きあげられた奉納の炎が揺らめく。
周囲は固く黒い岩肌の洞窟。
狭い通路の奥、広く削られた場所で揺らめく炎と同じように、暗く響く呪文の言葉も揺れるようにつぶやかれている。
炎に向かい、一心にその文言を唱える男の顔は真剣そのものだ。
黒い髪を長く伸ばし、暗くくすんだローブをまとう…闇のように周囲の暗さに埋没しそうな色彩だ。
そして…その男の前には、その暗い周囲になじまない、違和感を感じるような明るい色彩の少女が横たわっている。
金色に輝く長く波打つ髪に白く血の気のない肌…。
赤い血の色に染められた布が、まるで彼女を拘束するかのように幼い身体に緩く巻かれている。
幼い…少女というより、5~6歳の幼女といってもいい幼い姿は、まるで死体のように動かない。
呼吸のためか薄い胸がかすかに上下する部分で、かろうじて生きていることがわかる。
「ここに…貢ぎ物を捧げる…」
何の言語か…どの国の言葉にも属さない、不思議な響きの祈りが終わり、男の口元が微かに緩む。
暗い光を帯びた黒い瞳が、その貢ぎ物の少女の方を見る。
少女の額には赤い血文字で『邪』という文字が刻まれている。
――そう…この方法しかもうない…。
「遠き昔―――聖なる七勇者に封印されし神よ…」
――時間がもうないのだから…。
「今こそ人々に不幸と災いをもたらす時!」
男は、自分の持つ精神力――エナジーを、思いっきり圧縮すると、ゆっくりと両手を前に向ける。
「目覚めよ!! 邪神デスフォート!!」
両手から全身の力を、目の前の少女と炎に向かって放出する。
ぶわっ!! …と、揺らめいていた炎が、突然光の柱となって洞窟の天井に大きく立ち上がってゆく。
大きな力が凝縮され、洞窟内にいっぱいに広がり…
ドン!!!
大きな爆音と共に、洞窟から何かがあふれ出し、その周囲が激しく揺れる。
洞窟の外…岩山と、その周辺の深い森から、振動と共に慌てて逃げだす動物達が騒ぐ。
ぶすぶすぶすぶす…と、洞窟内に充満する煙たい空気と視界を遮る砂埃の中、男は唖然とたたずむ。
徐々に晴れてくる目の前には、消えた炎がくすぶ煙を上げる奉納台と、横たえられた寝台から爆風の勢いで身体がずり落ちた少女がいるだけだ。
「あ゛ーッ!!! くそぉ~失敗かぁ!!」
男の口が苦々しくゆがむ。
禍々しい…ある意味不気味な厳かさが完全に霧散している。
用意した舞台が駄目だったのか。古代文字で書かれた呪文にミスがあったのか。あるいは――貢ぎ物が受け入れられなかったのか…。
邪神は目覚めなかった。
儀式は失敗したのだ。
せっかくここまで準備したのに。
もう復活のチャンスなんて二度とないのに。
「くそぉぉ~」
男は悔し気に声を漏らすと、ゆるゆると身体を動かす。
ぶつぶつと文句を言いながら、儀式の成れの果てになった舞台を片付け始める。
その時――
ぱちっ…
死体のように横たわっていた少女の瞼がゆっくりと開く。
濃い金色の瞳が周囲を移す。
ゆっくりと上半身を起こす少女の身体からは何やらオーラの様な気が立ち上がる。
男は、背を向けていて、その異様さにまだ気がついていない。
ザワ…ザワワ…
そして――少女の身体はじわじわと大きくなっていく。
幼い身体がだんだんと少女に…そして大人の身体に。
巻かれていた布が身体の成長にひっぱられ、隙間から白い肌が覗く。
「…?」
ふっ…と、気配を感じ振り返った男は愕然と目を見張る。
「おっ…お前!? いったいどうして――!?」
急に大人になった姿に慌てる男。
「ふっ……」
怪しい微笑みを浮かべながら、少女はゆっくりと寝台から立ち上がると男にゆっくりと近付く。
「誰に…」
少女の口から出る言葉が、美しい少女の声なのにどこから響いているのか…不思議な声音に聞こえる。
「向かって言っておる。このタワケが!!!」
ドゲン!!
少女の力とは思えないほどの拳骨で、男は思いっきりぶっ飛ばされる×
「召喚師!! お前のポカのせいで、復活のチャンスを逃したではないか!!」
「いい!? じゃ…じゃあ…」
『召喚師』と呼ばれた男が、殴られた頬を押さえつつ目を見張る。
「そうじゃ!! 我こそは邪神デスフォート!! …この印のせいで、また封じられた邪神様じゃ!!」
びしっ!!
…と、自らの額に記された赤い文字を指さし、邪神様は声を荒げる。
「へ?」
「だからぁ!これは生贄の印じゃない!封じの印じゃ!! こんな子供の体に封じられては、ロクな力など使えんではないか!!」
――間違えたのは舞台でも呪文でもなく…印?
男は愕然とする。
「で…でも、それじゃ何で急に大人に…?」
「フッ…。決まっとる…」
怪しく美しい笑顔で小首をかしげる邪神。
「お仕置きのためじゃよ♡」
ぽきっ…と、指を鳴らすチンピラの様な邪神。
「覚悟はよいな」
うーふーふーふーふ♪
心から楽しい…というかのような笑顔で、じわじわと男に近づいていく邪神。
「あ…」
…かくして
「ひぇぇ~。ごめんなさい。ごめんなさーい」
「えーい、うるさい!死んでわびろー!!」
ゲシゲシゲシゲシゲシゲシ
――男の悲鳴と絶え間ない折檻の音が洞窟から響き、人気のない岩山と森の中にこだまする。
そうして――物語は、始まってしまう……いきなり×