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 灯りのない地下道を緊張した面持ちで進む。相手が相手ということもあって、珍しくクリスまでもが緊張を顔に映し出している。


 この中で唯一、普段と変わらない面持ちでいるのは、暗闇と同化するドレスをまとった女性、夜だ。

 人々を惑わす美貌には笑みが乗り、この状況を楽しんでいるようにも見える。


「思っていたより順調ね。もう少し抵抗されるものだと思っていたけれど、相手も本気ではないということかしら」


 式たちが本気であれば、ここまで来ることは叶わなかった。甘やかな声はそのことを暗に告げている。

 敢えて目の前の相手に集中し、先へ進む海里たちを見逃したのだと。


 彼女らの性格もあるだろう。しかし、主ならば、強制力のある命令も下せる。

 それをしなかったのには理由があると夜は海里に言っているのだ。


「……紫苑さんは何か知っているんですか? 健さんの指示で動いているのでしょう?」


「健の目的を知りたいと言ったところかしら?」


 何度も問いかけて、何度もはぐらかされてきたレオンの問い。

 今回もはぐらかされる。夜は答えない。


 そもそも彼女は健の目的を知らない。推測はできても答えを知らない以上、正解は語れない。

 そこまで理解していて、でもレオンは問いかけた。問いかけずにはいられなかった。


「守ることよ」


「ぇ……」


 短い返答は予想しておらず、微かな呼吸が漏れた。


「健の目的は守ること。私も同じ。貴方たちもそうでしょう?」


 長い睫毛に縁取られた目がレオンを射抜く。海里を、クリスを射抜いた。

 甘美をまとったその姿は闇の中でも劣ることを知らず、目を逸らすことを許さない。


「家族。友人。恋人。見栄やプライド。地位や名声。居場所。自分自身。理想。理由。過去。未来。そして今。命あるものはみな、守るために生きている」


 歌うように夜は言葉を紡いでいく。美麗な声は一音一音を甘く奏で、遮ることを躊躇わせる。

 今ここで口を挟んでしまえば、不協和音になってしまう。

 美しいメロディを邪魔することはできない。そう思わされる声だった。


「同じところを見ていても、守りたいものはみんな違う」


「結局、紫苑さんは何を言いたいんですか?」


「あら、分からない?」


 笑みを含んだ声はからかうように奏でる。

 流麗に言葉を紡ぎながら確信には触れない。重ねる言葉ははぐらかすためか、それとも真か、容易に悟らせてはくれない。

 嘘も、本当も、すべてを覆い隠す喋り方は健の協力者らしいとも言えよう。


「敵だからといって協力できないわけではない。味方だからと完全に信用できるわけではないように」


 高いヒールがコンクリートの地面を叩く。地下道で反響するその音さえ、夜の奏でる音楽の一部だった。


「そう、思ってくれると嬉しいわ。よぉーく考えて。貴方は得意でしょう?」


 闇の中で小さな光が瞬いた。夜の指に弾かれて高い音を鳴らしたそれは宙を回転する。

 それの正体、夜の行動の意味するところを理解するより早く、薄い唇は開かれる。


「起動――強制睡眠一〇〇%」


 光が崩れた。と同時にクリスとレオンの身体が頽れる。

 妖界の王直属部隊の隊長と副隊長の意識を、夜はいとも簡単に奪ってみせた。

 見事な手際と言うべきだろう。警戒されている状態で、隙を作り出すことはそう簡単ではない。


「喰えない人ね。それとも、妖界の王の指示かしら」


 抵抗もなく倒れ伏したクリスを横目に夜は独りごちる。


「理由を聞いても?」


「私よりも貴方の方が詳しいのではなくて?」


 知っているとその目は語っている。健と海里の繫がりを知っていると。

 つまり、夜の行動はすべて神生ゲーム――健の目的に関わることなのだ。

 しかし疑問は残る。なぜ、レオンとクリスを昏倒させる必要があるのか。


「この先にいるのは創造神らしいわね」


 なんてことのない口調に「ああ、そうか」と理解が広がる。納得が胸に落ちた。


「健君は創造神に会わせたくないんだね」


「下手に情報を与えて邪魔されるのは困るから、と健は答えるでしょうね」


 妖艶に彩られた声は正しく健の言葉を言い表す。脳内で簡単に再生できてしまうほど、健らしい言葉だった。

 間違いなく健はそう言うだろう。不器用に、優しく。


 知っているから、海里は思わず笑みを零した。


「紫苑さんは健君の守りたいものを知っているんですか?」


 問いに返されたのは微笑みだった。頬を淡く染めた、柔らかな笑みが美貌に乗っている。

 無垢な少女らしさを纏う笑みは彼女の印象をがらりと変える。


「……健は優しい人よね」


 愛しさを詰め込んだ言葉だけで充分だった。

 健から詳細を聞かされている海里よりも、彼女は答えに近いところにいるのかもしれない。

 数年前、海里は健からすべてを聞かされた。けれども、それは答えとは言えないのだと夜の言葉を聞いて気付かされた。


 すべてを話していても、健はすべてを話しているわけではないのだ。

 先を歩き始めた夜の背を見ながらそう考え、海里もまた歩き始める。


「私たち二人で藤咲桜の相手をすることのなるなんてね」


「健君はこのことも予想していたんでしょうね」


「そうね。何番目のものかは分からないけれど、悪くはないのかしら」


 健は常に何通りもの可能性を想定して動いている。今回のことも、健の想定の内なのは間違いなく、何かしらの手を打っているのだろう。

 その証拠こそ、真横を歩いている闇色の女性だ。


 創造神との接触を妨害するよう指示していたのなら、そのアフターケアも怠らないのが健という人間だ。

 海里に手を貸すと言った以上、その辺りは万全と思ってもいいだろう。


「勝つ必要がないのならいくらもでやりようはあるわ」


 美麗な声に紛れて金属音が鳴った。レオンとクリスが眠らされたときと同じ輝きが過ぎったのと同時に薄い唇が再度開かれる。


「起動――煙幕」


 夜が弾いた細身の指輪が白い煙を撒き散らしながら崩れた。


「武藤海里」


 呼びかけとともに海里は飛び出す。その手に召喚した龍刀を、一瞬で詰めた間合いで振るう。

 刃は狙った通り。しかし、手応えは狙っていたものとは違う。


 勘に従って距離を取った海里を爆風が襲う。見た目ほど威力のない爆発は煙幕を飲み込み、場をクリアにした。


 晴れた視界に映し出されるのは小柄な少年だ。

 第一の式、真砂。暗い空間に似合わない明るい表情で、彼は海里へと近付いていく。

 そこに敵意はない。龍刀の切っ先を下ろし、海里はじっと真砂を見つめる。


「威力は落としたつもりだけど大丈夫? 怪我はない? こんなに暗いとちょっと手元が狂っちゃったりもするから……」


「真砂、さん」


「うんうん、そうだよ。さくちゃんの第一の式、真砂ですっ。あはは、警戒するのも無理ないね。さくちゃんの命令だー、ってみんなはりきって足止めしてるみたいだし」


 敵意がないどころか、緊張感もない態度で真砂は海里の前に立った。

 隙だらけ。今ここで切り捨てることだってできる。

 そこまで考えて、海里はその思考こそを切り捨てる。

 真砂に敵対する意思はない。少なくとも対話する気はあるようだ。


「れんれんを取り戻しにきたんだろう? 僕にも協力させてよ。こう見えて、それなり? いや、かなーり役に立つと思うよ?」


「藤咲桜から私たちを止めるよう、命令を受けているのではなくて? 主の命に背くなんてできるのかしらね」


 警戒を滲ませながら隣り立った夜が疑いの目を向ける。海里も概ね同じ意見だ。

 式にとって主の命令は絶対。それに背くことは自己否定にもなる。


「問題ないよ。最期と今が上手く相殺してるからね。僕は自由の身、フリーな立場なんだよ。僕は特別製、再構成できないタイプの式だからねぇ。例外も多いんだ」


「再構成ができない、ね。それで納得するとでも?」


「ダメかな? しーちゃんはあんまり気にしない人だと思ってたけど、僕の勘違いかな。うーん、人を見る目には自信あったんだけどなー」


 狐色の目が理知的な光を瞬かせて笑う。

 まとう雰囲気にそぐわない光はやけに馴染んでいる。

 彼が当代一と謳われた人物ともっとも長く付き添った式だということを今更実感した。


「……もしかして、真砂さんが健君の保険?」


「健なら再構成できないことも知っているでしょうね」


「そうだねぇ。彼ならきっと知っているだろうねぇ」


 海里の呟きを肯定する二人は分かり合ったように頷いている。


「ってことで、僕のことを信用してくれる気になった? 肯定してくれると嬉しいなあ」


「信用する気はないわ。そんなものに意味はない。私は健の意思に、健けの愛に従うだけよ」


 迷いのない言葉は彼女の信念そのものだ。

 貫いてきた生き様こそ、彼女の美しさに磨きをかける。理解されることを求めない姿は強く美しい。


「よかった、よかった。信用してくれてうれしいよ。されなくてもついていく気ではあったんだけどねっ。心情的には仲間感があった方がいいよねぇ」


 真砂もまた流されない強さを持った人だ。頼もしい人選だと小さく笑む。


「桜さんはこの先にいるんですよね?」


「……。そだね、そうだよ。れんれんも一緒にいる。無事だよ、安心して」


 微かの間の中に滲む哀切と憤怒。幼い顔立ちには似合わない複雑な感情が渦巻いていた。


「じゃあ、早速……失礼するね」


 言いながら真砂は懐から小さな種を取り出した。種は刹那のうちに発芽し、長い蔦を伸ばす。

 真砂の掌から伸びた蔦は海里と夜の手首に絡みつき、即席の手錠を作り出す。


「あれ? 思ったより驚かないね。抵抗される覚悟もしてたんだけど」


「敵意がないのは分かるので」


「必要なことなのでしょう?」


「あはは、からかいがいがないな、君たちは。ほむちゃん的には面倒がなくていいって奴だね。ではでは、物分かりのいい二人には僕と口裏を合わせてもらうとしよう」


 二人の自由を奪う手錠から伸びる蔦を引っ張り、はりきった様子で一歩踏み出す。

 スキップしそうな足取りで進む真砂の後に二人は続く。そうして――藤咲桜に、帝天と相対する。


「さくちゃん、捕虜をつれてきたよー」


「敵対者は殺すように言ったはずですが?」


「ええー、この子たちを殺すとさくちゃんが困らない。わざわざ人質を手に入れた意味がなくなっちゃうでしょ」


 不審を滲ませた桜の目がこちらを見る。純白の目が向けられた。

 感情を宿さない目は恐ろしいほど空っぽだ。感情が希薄なのではなく、そのそも持ち合わせていないのだと告げる目。

 彼女は藤咲桜ではないのだと当たり前に理解した。


「武藤海里」


「帝天」


 思わず零れた呟きを聞き咎めた藤咲桜――帝天が眉根を寄せる。感情が、怒りが滲んだ。


「やはり、あれに入れ知恵をされているのですね。忌々しい」


 吐き捨てられた言葉とともに霊力の刃が放たれる。殺意だけを宿した刃は遊びもなく、急所を狙っている。

 わずかに腕をあげた海里は伸びる蔦を刃に切らせて、距離を取る。


「起動――点火」


 手を縛られようとも夜の攻撃手段は奪えない。唱えられた言葉はドレスの装飾一つを犠牲に、手錠のみを燃やした。

 自由を得た海里は龍刀を召喚し、帝天へ斬りかかる。


「ありゃりゃ、拘束が解かれちゃたか。失敗失敗」


 白々しい真砂の言葉の裏で、帝天がいくつもの刃を放つ。出鼻をくじかれた龍刀の切っ先は残らず霊力の刃を斬り裂いた。

 最後の刃を落とし、地を蹴る海里の目が吹き飛ばされる黒を捉えた。

 それを追う茶色の影も認めて、構わず帝天に切っ先を向ける。


「驚いたわ。藤咲桜って思っていたより動けるのね」


 飛ばされた黒――夜は滑るように着地する。そして自分の迫る影に微笑した。


「これ。しーちゃんなら使い方は分かるよね?」


 円盤形の土塊に周囲を囲まれた夜は微笑のまま、向かい合う人物を見つめる。

 握った拳を叩きつける素振りを見せる真砂は、霊力で編まれた鍵を夜に手渡した。

 笑みで了承を示した夜は力の限り真砂を蹴り飛ばす。そのまま土塊から逃げるように跳躍し、海里に並び立つ。


「武藤海里」


 帝天を引き付けていた海里は隻眼を夜へ向ける。

 一閃で牽制しつつ、夜とともに帝天から距離を取る。


「強者を出し抜くのって少しだけ楽しいわね」


 どこか弾んだ声に見開かれた白い瞳が怒りを宿す。

 彼女がまとう黒とは対照的な白い指が、真砂から受け取った鍵を宙に差し込んだ。

 ゆっくりと回せば、鍵は開かれ、宙に亀裂が走る。その隙間から金の光が落ちた。


「華蓮っ」


 金色の光を纏う球体の結界に守られた華蓮。海里はほとんど反射で彼女に駆け寄る。

 眠らされているらしい海里を結界越しに確認して、怪我はないようだと安堵を零した。


「何故、貴方が鍵を? どうやって……」


「僕が渡したからさ。君は僕相手だと警戒が薄くなるからね」


「貴方は私に逆らえないはずです!」


 不可解と睨む白い瞳と相対する狐色の瞳は朗らかに笑っている。

 まるでそれ以外の表情を知らないとでもいうように真砂は笑顔を見せる。


「桜じゃない君に僕を従えることはできないよ。式をなめないで」


 怒りを言葉だけで表しながら、真砂は笑顔を向け続けた。


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