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「健さんと何を話されていたんですか?」


 春野家から帰る道中、レオンは海里にそう問いかけた。

 その表情は硬く、健を警戒していることが窺い知れる。


「……言えませんか?」


「ごめん」


 取り繕いもしない海里の返しにレオンは深く息を吐き出した。


「健さんに我々へ危害を加える気がないのは知っています。しかし、彼は味方というわけでもありません」


 いつ裏切るか分からない。信用するのも、信頼するのも、危険だと言外に告げている。

 視線鋭く海里を心配しているのはレオンだけではない。

 傍らに立つ金髪の幼子。海里にしか見えないその少年は悲しみに彩られた隻眼を海里へ向けている。


「健さんは強い。その上、頭が回る。策に嵌まった時点で手遅れなんてことだって……」


「分かってるよ。でも大丈夫」


 心配してくれているのは分かっている。それでも海里は思うのだ。

 豊富な知識を飼い慣らす頭脳を持った青年。秘密主義ゆえに信頼よりも疑心を向けられることの多い青年。

 誰よりも優しい彼を、誰もが警戒する。それはとても寂しいことだ、と。


「大丈夫だよ」


 言い聞かせるように海里は何度も同じ言葉を繰り返した。大丈夫、大丈夫と。

 海里は健の秘密を知っている。けれども、海里が健を信じるのはそれが理由ではない。


「健君は――っ、この匂いは」


 藤咲邸のある通りに差し掛かったとき、血の香りが鼻腔を擽った。

 人間よりも優れた嗅覚が嗅ぎ取った香りに息を呑み、顔を合わせる。


 最悪の想像が脳内を駆け巡り、ほとんど同時に走り出した。近付くほど匂いが濃くなっていく。

 焦る心を必死に宥めながら、二人は警戒心を募らせる。


 まだ何かあったと決まったわけじゃない。

 屋敷には流紀とレミ、クリスがいる。彼女たちがそう簡単に負けるわけがない。


「……帰ったか」


 息を吐き出すような声が、藤咲家に足を踏み入れた二人を迎えた。

 寒色の着物は無残に切り裂かれ、血を滲んでいる。藍白の目が申し訳なさそうに海里へ向けられている。


「流紀さん! 一体何が……」


「っ……華蓮が、攫われた」


 端的な説明に二人は各々表情を変える。

 驚きと緊張を混ぜるレオン。そして同じく緊張を宿らせながらも、海里の顔に驚きは生まれない。

 事前に可能性は示されていた。しかし、その分、後悔が中性的な顔を彩った。


「今、レミが追いかけている。相手は……っく」


 思っていたより傷が深いようだ。二人が帰ってくるまで、なんとか意識を保っていた流紀は苦悶の表情で浅い呼吸を繰り返している。


「私が追いかけます。海里様は屋敷で……」


「いいや、俺が行くよ」


「華蓮様が心配なのは分かりますが、冷静になってください」


 言葉を遮った海里にレオンは険しい表情を向ける。

 こういうときこそ冷静であれ、と語る目に、静やかな隻眼を向ける。


「俺は冷静だよ。治癒の術を使えるレオンが残って流紀さんの治療をした方がいい」


 事態を冷静に見極めた上での言葉にレオンは軽く頭を下げた。


「すみません。出過ぎたことを言いました」


「気にしてないよ。心配してくれるのは分かってるから」


 レオンが行くと言ったのも海里を気遣ってくれたからだ。

 海里が気持ちの整理をする時間を作ろうとしてくれたのだ。

 しかし、こんな状況でも不思議と海里の頭は冴えている。焦りもなく揺るがない心だけがある。


「じゃあ、行くよ」


 強く地面を蹴り、飛び出す。身体強化を施した身体で、先に行ったレミの気配を追いかける。

 華蓮の気配は朧気で感じ取ることができなかった。


〈……健君、聞こえる?〉


 懐から取り出したタマを握り締め、念じる。

 あちらは今、パーティが終わって休息している頃のはずだ。平気そうな顔を見せてはいたが、かなりの疲労が溜まっているのは間違いない。

 応答のない可能性も考えながら、健へ呼びかけた。

 

〈……海里さん。何か?〉


 ほとんど間もなく、応答はあった。

 別れたばかりの相手に声は仄かな不審をまとっている。


〈華蓮が攫われた〉


 簡潔な状況説明に返ってくるのは沈黙だ。無言で続きを促している。

 

〈今、追いかけている最中で……〉


〈相手は桜さん……いえ、その式なんですね?〉


〈そこまでは分からない……けど、多分そう、だと思う〉


 流紀とレミが後れをとるような相手。苦悩するような流紀の表情。パーティ会場で健が言っていたこと。これらすべてを合わせて出される結論は一つだけだった。

 桜が相手と言われて、勝てる自信は正直ない。だからこそ、借りられる手の中でもっとも頼りになる人物へ助けを求めた。


〈動いているのは焔さん、鈴懸さん、嵐さんの三人でしょーね〉


 健は海里以上に桜の戦力、戦法を把握している。海里が記憶する限り二人が会ったことがないはずなのに不思議なことだ。

 それも健だからという理由で納得できてしまうのだが。

 戦力としてはもちろんのこと、直接手を貸せない状況であっても健は頼りになる。


〈恐らくは――〉


 健の言葉を遮るように轟音が鳴り響き、海里のすぐ傍を何かが駆け抜けた。

 軌跡として舞う純白の羽根を見て、駆け抜けたものの正体を悟る。


「ぁ……っく」


 羽根とは別に粉塵が舞い、コンクリート塀に背中を強かに打ち付けた少女が声を零す。

 反動で激しく揺れる蜂蜜色の髪を認め、駆け寄ろうとする海里を健が止める。


〈結界を〉


 端的な指示通りにレミの前へ結界を張る。と同時に不可視の刃が弾かれ、甲高い音を鳴らした。


〈鈴懸さんの攻撃が来ます。迎撃を〉


 耳とは違う場所から聞こえる声にただ従う海里は龍刀を召喚する。竹刀の形をした龍刀を構え、滑るようにレミの前に立った。

 間もなく無数の種が視界を埋め、一瞬で発芽する。蔦のなって襲い掛かるそれを一太刀で斬り伏せる。


 第二陣も斬り伏せた海里の目は四つの影を映し出した。

 月明かりに照らされるのは健の言葉通りの三人。桜の式である焔、鈴懸、嵐だ。


 炎をまとう拳を握り締める焔と、温厚な雰囲気をまとう顔に鋭さを宿す鈴懸。前に立つ二人に守られるように立つ嵐が華蓮を抱きかかえているのを認めた。


「海里様……戻られたんですね」


「うん。流紀さんはレオンが見てくれてるよ」


 ほっと安堵の息を吐くレミを横目に、海里は淡々と紡がれる健の言葉に耳を傾ける。

 まずは焔の攻め。身体の一部を炎に戻した打撃は式の中でも随一の攻撃力を持つ。近距離に長けた焔の猛攻の合間を縫って、種を用いた鈴懸の変幻自在の術が襲い掛かる。


 二人の攻撃に意識を向ければ、予測不能の風が駆け抜けてすべてを切り裂く。

 巧みな連携で繰り出される攻撃のすべてを細かく分析する健の声。

 見えているわけではないというのに、健の分析は驚くほど的確だ。


「鈴懸さんの相手をお願い」


「分かりました」


 健の言葉を参考にした指示だ。撒き散らされる種を風刃で蹴散らし、鈴懸の前に躍り出るレミ。

 海里は龍刀の切っ先を焔に向け、地面を蹴る。炎をまとう打撃が振るわれるより先に龍刀を振るった。肌を掠め、火の粉が舞う。浅い。


〈核がこの場にない以上、消耗戦に持ち込むしかありません。が、相手は桜さんの式です。しかも三人。逆にお二人がジリ貧になる可能性が高いと言えるでしょー〉


 容赦なく打ち込まれる拳を刀で捌く海里はただ健の言葉に耳を傾け続けた。

 この場は健の判断に委ねるのが一番。そう思ったからこそ連絡を取ったのだ。


〈華蓮さんが相手の手に落ちている以上、下手に攻撃は仕掛けられない。この場で決着をつけるのは得策ではありません〉


 駆け抜ける風刃は何拍が遅れて気付き、紙一重で躱す。その裏で迫る炎の拳は龍刀で受け止めた。重い一撃が刀身を震わせ、思わず顔を顰める。

 共に戦っているときは頼もしかった相手だけに、敵に回るとかなり厄介だ。


〈取り返すのではなく、守るために動くことをおすすめします〉


「守るため……」


〈相手が桜さんと言えども、海里さんなら難しくないはずです〉


 健の言わんとしていることを察し、小さく息を呑む。そして笑った。

 逡巡の余地もなく、海里は行動に移す。


 迫っていた焔を文字通り一蹴し、距離を取る。そうして戦闘に余白を生み出した海里は躊躇なく己の眼帯に触れた。

 紐を解けば、青空を写し取ったような紺碧の瞳が露わになる。

 と同時に溢れるのは尋常ではない量の妖力で、傍らに立つ金髪の少年を見た。


「お願い」


 その応えるように妖力が渦を巻き、少年に疑似的な肉体を与える。

 腰の辺りまである金の髪を靡かせ、不機嫌を隠しもしない少年。怒りを滲ませた鋭い目で目の前を睨みつけている。


「海里の頼みなら叶える」


 声変わりを迎える前の高い声が冷たく言い放ち、隻眼を金色に瞬かせた。

 その意味を悟った嵐が放つ風刃を、展開させたばかりの結界で弾かれる。


 嵐を睨みつけ、少年カイはその掌を向けた。

 金の瞬きは駆け、嵐を――いや、嵐に抱えられている華蓮を包み込む。金をまとう結界が華蓮を包み込んだのを確認し、幼子の身体は掻き消える。

 形作っていた妖力が解けたのを確認して海里は眼帯をつけた。


「レミ、一度引いて態勢を立て直そう。妖姫様の結界なら少しは時間が稼げる」


「……。分かりました」


 込み上げる感情を呑み込むレミは理性に従って頷く。

 華蓮を一番心配しているのは海里。ここで感情的になっても状況が改善するわけでもない。

 水と風を混ぜ合わせた攻撃で牽制したレミは海里を抱えあげる。


「今のうちに」


 翼をはためかせ、一蹴りで宙に浮く。そのまま空を駆けるように二人は式たちから距離を取った。

 どんどん遠ざかっていく想い人を隻眼は真っ直ぐに見つめ続けた。


(必ず助けるよ――華蓮)


〈海里さん〉


 胸の内に落とす強い意志に重なるように静かな声が呼びかけた。そういえば、健と繋がったままだったことを思い出す。

 脳に直接響くような声は、先程までの淡々と指示していたものを少しだけ違う。微かな感情の波が感じ取れた。


〈すみません。俺がもー少し早く伝えていればこんなことには……〉


〈健君のせいじゃないよ。健君だけのせいにするつもりはない。奪われたなら取り戻せばいいだけの話だ〉


〈――すみません〉


 ただ重ねられる謝罪に違和感を覚えて首を傾げる。健の謝罪はただ華蓮が連れ去られたことだけが理由ではないような――。


「っぐ……」


「海里様⁉」


 左腕に激痛が走り、思わず苦悶が漏れた。心配するレミに応える余裕もなく、鈍い痛みに翻弄される。今までとは比べものにならないほどの強い痛みだ。


 やがて痛みが過ぎ去ると同時に身体から力が抜け落ちた。糸が切れた人形のように海里の身体は弛緩する。

 身体が言うことを聞かない。それはまるで――。


〈すみません〉


 繰り返される謝罪の意味を理解した。

 彼はこのことを知っていたのだ。こうなる未来を知っていて、海里に選ばせた。


〈気に、っしない……で〉


 だって海里はすべて説明されていたとしても同じ選択をしていただろうから。

 遠のいていく意識の中で、海里は笑みを浮かべる。


 もう、時間だ。終わりが迫っている。ならせめて、この僅かな時間を愛しい人に捧げよう。


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