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神生ゲーム〜龍が奏す狂想曲(カプリッチョ)〜  作者: 猫宮めめ


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 身体が重い。浮上した意識のまま、瞼を持ち上げることすら億劫だ。

 このままずっと眠っていたい、と脳が、身体が訴えている。甘い囁きに流されたい欲求に抗い、健は目を開けた。


 知らない天井、いや、知っている天井だ。吊るされた薄幕と、肌を撫でる空気から場所を特定し、ここに至るまでの流れを導き出しながら息を吐いた。

 面倒なことになっているようだ。あれが関わって面倒なことにならなかったことがない。

 とはいえ、失態を演じて意識を失っていた健に文句は言えない。


「起きたんだね、健君」


「……海里さん。もしかするとずっとついていてくれたんですか?」


「約束したから、て言えたらかっこいいんだけど、行動制限されて他にすることもないからね」


 傍らで苦笑して答える海里。意識が朦朧としている中でも海里が駆けつけてくれたことは覚えている。

 ここに来るまで、いろいろと苦労をかけたことは想像に難くない。


「それは……窮屈な思いをさせたようですみません」


「健君が気にすることじゃないよ。多少の制限は仕方ないことだし、待遇はむしろいい方だから」


 海里は笑顔のポーカーフェイスだ。

 向けられる笑顔に隙はなく、健でもその裏を見抜くことはできない。


 息を吐き、身体を起こそうとして失敗する。上手く力が入らない。

 人の身体というものは面倒なもので、一度休むとそれを覚えてしまう。怠けた身体を叱咤するように内なる存在へ呼びかける。


 紅い力を上書きするように全身に巡らせ、


「こういうときは頼ってもいいんだよ」


 海里の腕が伸び、健の身体を起こす。

 必要なくなった紅が内で静まり、変わった視界の中で海里を見る。


「ありがとーございます」


「どういたしまして。枕、この位置でいい?」


 身体を預けられるよう、枕の位置を調節する海里に首肯で答える。

 同じ立場になったことがあるからか、妙に手際がいい。その上、どこか楽しそうだ。


「ここは桜宮家本家ですよね?」


「うん。あの後、八潮さんに会いに行ったんだ。……そのときに隠れ場所を提供するって申し出てくれて…」


「わざわざ聞こえのいい言い方をする必要はありませんよ」


 大方、健の状況を面白がって出てきたのだろう。

 健に貸しを作れるいい機会だと上機嫌で。


「……面倒な奴に貸しを作っちゃったな」


「あ、それは心配しなくていいよ」


 健のぼやきを聞き咎めた海里の言葉に首を傾げる。


「俺への貸しってことにしてもらったから」


 にこやかに告げられる言葉は決してにこやかに聞き流せるものではなかった。

 海里はいつだって笑顔だが、笑顔で口にしていいことではないのだ。

 これもまた、健の咎だ。意識を失い、海里を止められなかった罪。


「桜宮家当主に貸しを作ることの意味を理解しているんですか?」


「もちろんだよ。これでも俺は妖界の王の子で、今は龍王の御使いなんだよ?」


 そうは見えない暢気な態度で、言葉には重みを乗せている。彼の苦手なところだ。


「心配しなくても大丈夫。もう返した後だから」


「どーいうことですか?」


「俺の名前を教えること。それが条件」


 些細なことだ。些細で、重大なこと。


 名前は一番短い呪だという。

 名を知れば、相手を縛ることができる。格下の相手ならば魂を縛り、一生服従させられる。


 海里も櫻宮も当然そのことを知っている。しかも、相手――櫻宮は他者を操ることに長けた人物だ。

 櫻宮が求めたのはただ名乗ることではない。海里は自らの名を櫻宮に捧げたのだ。


「――今の俺に手を出すことは誰にもできない。龍王さん敵対することになるからね」


「強かさに磨きがかかっていませんか……?」


 今の海里は龍王の御使いだ。彼への攻撃はそのまま龍王への攻撃を意味する。

 最強と謳われる存在と敵対することは流石のあれも望まないだろう。

 貴族街の主は基本的に勝てる戦いしかしないのだ。


「――沙羅です。お入りしてもよろしいですか?」


 ノック音とともに控えめな声が投げかけられた。

 確認するように向けられる隻眼に頷き、可憐な女性が中に通される。


 桜宮沙羅。桜稟アカデミーを卒業後、彼女は桜宮家へ戻り、大姫巫女として君臨している。

 美しい女性に成長した沙羅は海里と健をその目に収めて、深々と頭を下げる。


「お目覚めになられてよかったです」


「場所を提供してくれたお陰、とは言いたくありませんが……まあ、感謝はしてますよ。多少」


 認めたくないと渦巻く感情で言葉を濁し、沙羅はそれを微笑んで見つめる。


「私の方こそ、お礼を言いたいところですわ。ここ数日の宮様は上機嫌でいらっしゃいますから」


 笑声を混ぜた沙羅の言葉に健は渋面を作る。それを見て沙羅はさらに楽しげに笑った。

 不敬だと罰せられた仕方のない態度は二人だからこそ許されているものだ。


「なんか意外だな。当主さんはもっと尊ばれているものだと」


「尊ばれてますよ、実際。俺や沙羅さんが特殊なだけです」


 それ以外の人は過剰なまでに櫻宮を尊ぶ。そうしなければ貴族街では生きていけないから。

 少しでも彼の機嫌を損ねれば、機嫌を損ねなくとも、気紛れに処刑されかねないのが貴族街という社会だ。


「海里さんもきっと気に入られてますよ。ご愁傷様です」


「ご愁傷様なんだ」


「あれに気に入られるということは貴族街での自由が保障される代わりに、ストーカー被害に遭うことを意味します。なので、ご愁傷様です」


「……否定はできませんね」


 ストーカー被害の当事者とも言うべき、沙羅が苦笑とともに肯定する。

 アカデミー在学中、彼女の周辺に紅い影があったことが数知れず。流石の沙羅も思うところがあるのかもしれない。


「今更だけど、この会話も聞かれているんだよね?」


「気にしても仕方ないですよ。むしろ、喜んでいるんじゃないんですか? ドMなので」


 聞かれているのはいつものことなので、今更配慮する気はない。

 糾弾する気があるのなら、とっくに姿を現しているはずだ。つまり、なんの問題はない。


「……では、そろそろ。何かあればいつでもお呼びください」


 現れたときと同じく、深いお辞儀のもと、部屋を立ち去っていった。

 ゆっくり会話できるよう配慮してくれたのだろう。大姫巫女であれば、その場にいなくてもある程度状況が把握できる故もある。

 気にしても仕方がない。口にしたばかりの言葉を脳内でも呟き、海里に向き直る。


「八潮さんに会いに行ったってことは夜に?」


「うん。八潮さんが連絡してくれることになってるよ」


 気を失う寸前のことは朧気だったが、ちゃんと伝えられていたようだ。

 あの日、はじまりの森に行ったのは白人間を引きつけて殲滅することともう一つ、夜と接触するためというのがあった。それも無事、果たせそうだ。


「俺の方からも聞いていい?」


「なんです?」


 質問内容を予想しながらも、オッドアイを見つめる。

 黒と紺碧。両親どちらの色も受け継いだ目は隠されず、健を見返している。


「星司のこと。帝天に唆されていたのは分かる。でも、星司だって馬鹿じゃない。……健君なら詳しい事情を把握しているだろう?」


「俺もほとんど推測でしかありませんよ」


「それでもいいよ。健君の推測は何よりも信用できるからね」


 過大評価だ。健の推測だって外れることはある。

 人より知識があるから当たりやすいだけ。


「現在、帝天は二人の肉体を手に入れています。一人は桜さん、もう一人は幸さんです。おそらく、帝天は幸さんの肉体を使って、兄さんに接触したんでしょー」


 なるべく感情を混ぜないよう努めながら言葉を紡いでいく。


「相手が幸さんともなれば、兄さんもつい気を許してしまっても不思議はないかと」


 推測を話すだけに、健の感情なんて邪魔なだけ。

 和幸の名を出すたび、星司のことを思い出すたび、奥底で震えるものを無視する。

 向けられるオッドアイに悟られないよう、無表情を貫く。


「上手いこと言われて、うっかり心を囚らえられて、帝天の手中に」


「それを分かってても、健君は星司のことを切り離せなかったんだね」


 痛いところを吐いてい来る笑顔に無言を返す。

 あの場で星司を見捨てていたら、健は腕輪を嵌められるという失態を演じることもなかったと言える。


 海里が来なければ、健は間違いなく死んでいただろう。

 目的のためなら、誰であっても切り捨てる。そのはずだったし、その意思は変わっていない。


 相手が星ならば切り捨てていた。そこにあるのは愛とは別の――星司だったから、切り捨てられなかったのだ。

 岡山星司は健の弱点だった。健の弱さの象徴だった。


「健君は、星司に拘るところあるよね。なんで?」


 無垢さを感じさせる問いかけだった。オッドアイは他意なく健を見つめている。

 少し前にも似たように聞かれたことがあった。少し考えて、彼の母に聞かれたのだと思い出す。


「たまたまですよ」


「前に言ってたよね。脅威の芽に先を摘むためって。健君にとって星司は脅威になり得る存在ってことだよね?」


 誤魔化しを聞き入れず、海里は畳みかける。

 以前、何故そこまでして海里を助けようとするのか聞かれたことがある。

 健は答えた。星司の後悔を塗り潰すため、と。脅威の芽を先に摘むため、と。


 そこを突かれてしまえば、健には何も言えない。まさか、昔の自分に苦しめられることになるとは。

 最近、失態を演じること多い気がする。


「俺には健君が星司を脅威という理由が分からないんだよね」


 教えてほしい、とその目が語りかけている。優しい顔をして、甘さは宿さず。

 逃げられない。誤魔化せない。自分が弱くなった気がして、虚勢がすべて剥がされた気分で、震えないようにただ努めた。


「……大した理由はありませんよ。ただ……ただ、兄さんは俺を否定しなかったから……それだけです」


 首を傾げる海里が示すのは無理解だ。なるべく抽象的な言葉を選んだので無理はない。

 健自身、理解してほしいとは思っていない。ただ私情だ。

 それをわざわざ語って聞かせるなど――向けられるオッドアイに健は脳内で並べていた言い訳じみた言葉を吞み込んだ。


「……俺にも、普通の子供だった頃があるんです。ほんの数年程度ですけど、普通の……どこにでもいる子供だった頃が。家族のアイドル、みたいに…とても、可愛がられていました」


 貴族街に、研究区に攫われる前までの話だ。きっと、あの頃が岡山家の一番幸せだった時期かもしれない。

 健がいなければ、あの家が壊れることもなかったのだろう。


「アイドルのままでは苦しめるだけだと思って、俺は今の俺に。……人であることを止めたんです」


 その判断に後悔はない。むしろ、目的を忘れて、無垢に成り果てていたことの方に問題がある。

 最初から異端であったら、壊れることもなかった。中途半端に正統の皮を被ろうとしたこと、これが健の犯した大罪の一つ。


「姉さんに、違うと言われました。私の弟を返してって……父も母も、俺を遠ざけようとしました。変わってしまった俺を受け入れられなかったんでしょー」


 仕方のないことだと思う。健に彼らを責める気はまったくなく、むしろ申し訳なさがあった。


「兄さんは……兄さんだけが今の俺を否定しなかったんです」


 変わってしまった健を、星司だけが変わらず弟として見てくれている。戸惑いながらも、恐れを抱くことがあっても、星司は健を弟の席から外すことはしなかった。

 逃げ腰のくせに、一番楽な方法は取らないのだ。


「兄さんは弱いのに強いから厄介なんですよね」


 常人の健を知る人の中で、異端の健を受け入れた唯一の人。

 これが星のように強いだけの人なら、気兼ねなく切り捨てられるのに。


 強さを覆う弱さが、健の心に躊躇いを生む。星司は健が情に縛られる唯一の人だと言ってもいいだろう。だから、脅威。弱味。


 星司から離れてくれるよう、画策してきたが、どれも上手くいかなかった。

 星司は弱いだけの人ではなかったから。


「俺は健君のそういうところ、好きだよ」


 癖とは違う笑顔を向けられる。実に楽しげで。あのときもこんな表情をしていたのか、と物言いたげな視線を寄越す。海里は涼しい顔だ。


「帝天は健君の情の深さを利用したってことか。今後もそういう手を使う可能性は?」


「兄さん次第ですが、高くはないかと。帝天といえども、縁を結び直すのは簡単ではないでしょーし」


 星司と帝天に繋がれている縁の糸は海里によって斬られた。それを再び結ぶことはいくら創造神でも難しいと言える。

 そして星司以外が相手であれば、脅威になり得ない。


「じゃあ、紫苑さんを待つのが今の方針ってことでいいのかな」


「夜にはいろいろ頼んでいるので、彼女が来ればようやく動きだせるでしょー」


 もっとも信用できる協力者に場は整えてもらっている。

 彼女から応答があれば、健はようやく神生ゲームを終わらせるために動き出せる。


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