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あの日捨てたもの

作者: 夜宵

一人称の短編

 カラカラと窓を開けると冷たい風が部屋の中へと入り込み、フルリと身体が震えた。カラリと晴れた雲ひとつ無い空がどこまでも広がっている。空模様と同じく晴れ晴れとしていてとても穏やかな心持ちだった。


「んー、気持ち良い 」


 サラサラと短く切った髪が風でなびく。引越業者は段ボールに詰まった荷物を部屋の中に積み上げると直ぐに帰っていった。今は新しい家にひとり。


 ふとあの日の事へと想いを馳せる。未練と期待とそして想いを捨てたあの日の事をーー……。



ーーーーーー

ーーーー

ーー



 ふわりふわりと真っ白な雪が空から舞い落ちてくる。手袋を忘れた指先が(かじか)んで赤く色付いていた。広場にある大きな時計へと視線を向ける。時刻は既に23時を過ぎていた。


はぁ……。


 無意識のうちに口から溢れたため息がひとつ。約束の時間からは既に3時間以上過ぎていた。スマホを見ても連絡ひとつない。身体は既に冷えきっていて、手足の感覚も鈍い。

 いつもの事、そう思ってもなかなか納得いなくて、でも諦めきれなくて結局この場を離れられない。何日も前から楽しみにしていたのに……。ここに着くまでは凄くドキドキとして、自分でも落ち着きがなかったのが丸分かりだった。現にこの寒い中手袋を忘れてきた。


ブブブッ


 手の中のスマホが短く震えて、メッセージが届いたことを告げた。見れば待ち人からで、不安と期待でドキドキとしながらメッセージを開いて失望と共にソッとため息をついた。

 メッセージに並ぶ文字。何度見てもその素っ気ない内容は変わらない。届いたのはたった7文字。


『行けなくなった』


 思い遣りも気遣いも何もない。無機質な飾り気のない言葉。理由くらい、言い訳くらいしてくれても良いのにと思うがこれもまたいつもの事。

 でも、今日はそれだけじゃ許さない。覚悟を決めてきたのだ。こんな理不尽な扱いを受ける謂れはない。私だけが我慢して成り立つ関係なんて……そんな関係は虚しいだけだ。

 (かじか)んだ手に息を吹き掛けて、メッセージに返信をする。いつもは従順な返信を。今日は、反発の返信を。指が震えてなかなか上手く打てない。寒さが原因か、それとも……。


『どうして? 私ずっと待ってるのに……。 今日は大事な話があるって言ったよね? 来てくれるまで待ってるから 』


 震える指先で苦労して打った文章。サッと文章を見返して、一瞬送るのに躊躇(ちゅうちょ)したが、そのまま送信する。従順じゃなかったのは初めてかもしれない。寒さだけでなく少しの恐怖と不安にブルリと身体が震える。

 筆無精な彼から返信が来るか分からない。行けないと言うメッセージですら待ち合わせから3時間してやっと送ってきたくらいなのだ。それでも待つと決めた。今日だけは……。

 蔑ろにされるようになったのはいつからだったか。初めは待ち合わせに送れる事もなく、ドタキャンもなく、メールの返信も今と比べるとずっと早かった。何がきっかけか全く心当たりはない。いつからか彼の中での私の優先順位は低くなってしまったようだ。

 嫌われたくなくて何も言えなかった日々。何度友達に諭されようと何も出来なかったし何も言えなかった。それでも、やっと決心したのだ。もし、もしも今日話し合えなかったら。彼が来なかったら、連絡がなかったら、もう我慢するのはやめにする、と。




 それからも待ち続けたが、案の定彼からの返信は無く、既に終電はなくなってしまった。日付が変わり、待つと決めたその日が終わった。終わってしまった……。


「呆気なかったなー…… 」


 ボソリと溢れたのは覇気の無い弱々しい声。これだけ理不尽な扱いを受けてもまだ痛む心に、彼を想うこの気持ちに呆れてしまう。

 ため息と共に俯くとサラリと長い髪が肩から落ちて表情を隠してしまう。ポツリと溢れた一粒の雫は誰に気付かれること無く地面へと落ちて雪と混じって消えていった。

 賭けには負けてしまった。と言っても勝率がとても低いことは分かっていた。それでも、信じたかったーー……。

 スマホを手に親友へと電話を掛ける。指先が(かじか)んで電話1本掛けるのにも苦労した。呼び出し音が何度か鳴った後、聞こえた声に何だかホッとして、声が震えないように気を付けながら結果を伝える。


『……もしもし』

「……負けちゃった」


 一言ずつ、それだけ。電話を挟んでふたりの間に沈黙が落ちる。


『……そっか』

「……うん」


 沈黙の後に続いたのも一言ずつ。多くを語らなくてもお互い言いたいことも考えてることも分かる。


『……お疲れさま』

「……ありがとう」


 短い言葉を重ねた電話。言葉数は少なくても通話時間は少し長かった。お互い黙っている時間も長かったのだろう。沈黙が苦じゃないそんな付き合いが出来る友達。恋人には恵まれなかったけれど友達には恵まれている。

 電話を切った後、既に聞こえないと分かっていても伝えずにいられなかった。


「ありがとう」


 思いの外大きく響いた呟きに辺りに視線を巡らせる。終電も終わり、冬の寒さが身に染みる時間。人通りも殆ど無く、タクシーも通らない。誰にも聞かれなかったであろう呟きにホッと安堵の息を吐く。

 小さな駅の前にある小さな広場。何度ここで彼と待ち合わせをしただろうか。妙に感傷的になり、もう此処に来ることもないと思うと何だか少し寂しい気がした。胸がズキズキと痛むのには、気付かないふりをした。

 彼を待つ間腰かけていたベンチも季節毎に表情をくるくると変える花壇も、春になると満開になる桜の木も、誰が壊したのか少し欠けた花壇の煉瓦も……。

 これからは私の知らない時を刻んでいくのだろう。そう思いながら広場をあとにする。



ーー

ーーーー

ーーーーーー



 あの日、あの場所で、見慣れた小さな広場で私は色々と捨ててきた。後悔はしていない。


 彼を愛する気持ち、愛しさ、温かさ、優しさ。そして彼を愛する虚しさ、悲しみ、辛さ。全部捨ててきた。


 期待も、希望も、憧憬も、不安も、焦燥も、執着も、そして未練も……。何もかも捨て置いた。


 弱い自分にさよならして、新しい自分と新しい街で新しい人生を歩んでいく。ふとした時に思い出すこともあるでしょう。泣きたくなることも、嗤いたくなることも。それでもどこかスッキリとした気分で今を、今日を迎えられている。

 離れたら生きていけない。そんな馬鹿なことを思っていた時もあったけど、そんなことは無いんだって思い知った。人ひとり自分の人生から居なくなったところで日々は変わらず過ぎていく。

 悲しくても辛くても太陽が昇って朝が来るように。恋をひとつ終わらせても太陽は昇る。私は今日もまた生きていく。隣に寄り添う人がいなくても独りではないから。


「さて、頑張って荷物片さないとなー 」







あの日私が捨てたもの。


弱くて情けない自分自身。






あの日私が拾ったもの。


前を向く強さと明るい未来ーー……。

エブリスタに昔投稿したものを手直ししてこちらへ

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