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プロローグ

 ふわふわ、ふわふわと金色に輝く羽がくるくると回っておちてくる。


 ふわふわ、くるくる。


 どこから落ちてきたのか誰も知らない。


 ただ、ふわふわ、くるくると発光しながら落ちてくる。



 宇宙からなのか、それとも別の何処かからなのか羽は地球の大気圏に入ってからも発光して燃えることなく落ちてくる。


 雲の上をくるくる、ふわふわと落ちていると、飛行機がすぐ横を通り過ぎて行った。

 羽はくるり、くるりと回転して飛行機のジェットエンジンに巻き込まれることなく、風に巻き上げられて進路を変えて落ちていく。


 ゆっくり、ゆっくり落ちていくが、このままじゃ海に落ちるんじゃないかと思われた時、風のイタズラか、ある島国に向けて落ちていく。



 くるり、くるりと、ふわり、ふわりと夕暮の中落ちていく。


 街の上空まで来て、突風に煽られながら風まかせにふかれる。


 ある、アパートの屋根に落ちると思われた、その時、羽は屋根などないと言わんばかりにするりと透過して落ちる。


 運命のイタズラか、ベッドに横になっている人にめがけて羽が落ちた。


 ベッドに横になっているのは女だった。


 斜めうつ伏せ気味な女の肩から背中にかけて、すぅーっと吸い込まれるように輝く羽は消えた。


 誰にも目撃されることなく。







 さて、輝く羽を身体に吸い込んだ女性は音無晴香(おとなし はるか)。絶賛、持病の双極性障害によってベッドで苦しみ、のたうち回っている。


 1週間前に主治医に「食欲がとまらない」と話したところ、主治医の先生は「症状が良くなってますね。薬を減らしましょうか」と薬を減らしてくれた。


 精神病になってから6年。やっと回復の兆しが見えたと喜んで実家の母に電話して喜んだにもかかわらず、翌日から覚えのある頭痛に悩まされていた。これは、薬を減らした事による副作用だ。「我慢すれば良くなるはず」と3日間、頭痛に耐えたが、4日目から、またまた覚えのある倦怠感に襲われて、嫌な予感がしつつも一週間耐えた。


 1週間目の今日。

 頭痛に吐き気、胸の不快感に勝手に早くなる呼吸。気の高ぶりに、身体の緊張。苦しさに唸る。考えはネガティブだ。首吊りする自分の想像を止められない。


 双極性障害は自殺率・再発率の高い病気だ。一度先生に「入院しましょう」と言われたが、金が無いので断ったら「当院ではこれ以上治療が出来ない」と転院させられた。


 両手を顔に当てて、過呼吸になりそうな呼吸の仕方を正常に戻そうと息を止めるが、苦しさにゴホゴホと咳を吐く。もう、2時間も苦しんでいる。


 『先生のバカー!』


「ゔゔ〜、苦しいよ〜。もう嫌だ〜。健康になりたい〜」


 ゔーゔー唸って泣き言をこぼしたら、胸がカァっと熱くなって全身に広がった。


 『もう終わりだー。死ぬんだー』と思った次の瞬間。のたうち回るほど苦しくて痛かったのが、嘘のように消えた。


 はて?と全身を確認してみても筋肉は弛緩しているし、頭も痛くない。呼吸も正常に出来ている。苦しみの波が去ったのか?


 急に容体が治ったので驚いたが、明日は月曜日だし、かかりつけ医に行くことにした。1週間も苦しんだのだ。容体を先生に訴えてやる。


 夜の薬を飲んで、緊張疲れした身体を弛緩させて早めに眠りについた。




 晴香は実家暮らしだったが、仕事でどんどん体調が悪くなり、立っていられなくて内科を受診したらメンタルクリニックを紹介された。精神病は偏見を持たれやすい。私も何かの間違いかと思って、いろんな病院に行って診察を受けた。だが、どの病院に行っても「問題ありません」。


 最後に紹介されたメンタルクリニックに行くと「適応障害ですね」と診断されて、仕事を続けられなくなり無職となって治療に励んだ。


 ベッドに横になると、もう立ち上がる気力が湧かない。家は貧乏で荷物が多い。マンションのリビングのすぐ横に私の寝る場所があった。隣の障子を挟んだ部屋が両親の寝室だ。


 父は耳が悪く、大きな音でテレビを見る癖があり、私はそれを雑音としか受け取れなくなった。何をしても楽しくないのだ。


 母は寝てばかりの私を心配したし、たまに過呼吸になるから余計に心配して干渉してくる。私は放っておいて欲しかった。


 父は寝てばかりの私を叱りつけて、病気への関心や理解は余り無いようだった。部屋はリビングの隣だから逃げ場が無い。私はどんどんストレスを溜めていった。



 3ヶ月くらい経ったある日、限界を迎えた私は泣きながら「一人暮らしさせてくれ」と頼みこんだ。両親は家族は一緒にいるものだと思い込んでいたから、初めは反対されたけど、普段泣かない私が涙ながらに頼み込んだので、しぶしぶ納得してくれて今のアパートに引っ越した。家からは車で10分の距離だ。

 何かあったら真っ先に頼るように言われて、私は静かな1人暮らしを始めた。


 家からの援助は断った。まずは貯金を切り崩して3年程生活した。


 お金が無くなってきたら、かかりつけ医に相談して障害者年金を受給した。まとまったお金が入り、それで2年程生活した。


 また、お金が少なくなってきたら生活保護で生活に足りない不足金を受給した。人として最低限の生活だが、寝てばかりで、トイレもお風呂もろくに移動できない、食事は食べれればいいし、外にも出かけたくない私には十分だった。



 だから、沢山飲んでいた薬を減らして暮らせるのは回復の見込みがあって嬉しかったのに。



お読みくださりありがとうございます。


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